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読書日記『山月記』

山月記

“自分の欲求に耐えられず、虎になってしまった男の話”
学生時代、教科書で読んだときの認識は、こんなものだった。

“なぜ、虎なのか”、“なぜ、虎になったことをそんなに悲しんでいるのか”
私には分からなかった。

そんな山月記を最近読んだ。
うっすらとあった、物語の記憶が掘り起こされていく。

自分の欲求に悩む主人公には以前よりも共感できたと思う。
自分の欲求もより自覚できるようになったし、そう上手く欲求は解消されないことも知った。
承認欲ともなると、自分だけでは難しいことも理解できる。

ただ、以前よりも欲求というものを神秘的なものだと思っている自分もいた。

人間の欲求は複雑だ。

山月記を学校で学んだように、学問的な欲求についても学校で学んだ。
「生理的欲求」→「安全への欲求」→「社会的欲求」→「自我欲求」→「自己実現欲求」
といったように低次元から高次元の欲求が存在するようなお話は、興味深く今でも頭に残っているし、人間しか持たない欲求があるというお話も面白く記憶に残っている。

だからか、以前よりも欲求を持つ主人公を魅力的に感じた。
同時に、そんなに自分に嫌悪感を持たなくてもいいのになと思った。

また、学生時代に感じた2つの疑問
“なぜ、虎なのか”、“なぜ、虎になったことをそんなに悲しんでいるのか”  
今回もやはり、疑問に思う。

なぜ、虎なのか。
虎は誰もが認める強者であり、カッコいい動物だからではないか、と思った。
主人公は承認欲求がこじれたことがきっかけで、虎になる。

まず、高次元の欲求を感じない存在。そして、自分の承認欲を満たす、多くの人が認め、恐れおののく存在。
それが、であったのではないかと思う。

なぜ、虎になったことをそんなに悲しんでいるのか。
悲しんでいるというより、葛藤しているという感じだなと気づいた。

欲求通りに動いてしまう自身に。

この世は弱肉強食の世界だ。
人間だって、他の命を頂きながら生きている。なんなら、もっと酷いことをしているとも言える。
それは、主人公だって理解しているだろう。

以前、「虎として他の動物を殺すことを話すのが辛い」ということは、”自身の手で殺めて食べていることが辛い”という意味だと思っていたが、そうではなく、”食欲という本能に逆らえない自身が辛い”という意味なのかもしれないと感じだしている。

まだまだ、理解が難しい山月記。

学生時代、先生が最後どのようにまとめていたのかは、申し訳ないが記憶にない。

教科書に載る意味を理解できるように成長していきたいと感じる。

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