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「私の好きなもの」by Emma.

僕の好きなことは「考えること」だ。

もっと別の言葉を使うのであれば「心の鏡を見る」ことが好きだ。

自分がどんな人間かを知ることができる。

他者を侵害することなく、生きていくことができる。

しかし、僕は心の視力がとても悪いので他者への侵害が本当にゼロかと聞かれたらその限りではない。

これを今読んでいるあなたの心を侵害していないとはきっと誰にも言えない。

その行為、ひいては考える、知る、弁えるということは全ての行動の予備動作だから、個人の倫理観や価値観が大きく影響する。

そして個人の内側にある思想とかいうものは、教育、経験、環境依存で形を成していく。

それから僕は選択を誤ることが嫌いだ。

だから外から受けた情報を噛み砕いて飲み込んで反芻する。

だからといってこれから先ずっと間違わずに生きていけるわけではないけれど、自分がやってしまった他者への侵害を掘り起こして首が吊れるだなんてことは少なくとも減るだろうな、と思う。

僕は少しだけ周りの人間よりできることが多い。
でもそれは僕自身が今までの人生で獲得した輪郭のない方法論というフィルムをより多くの幕に投影しているだけだ。
感覚と感情と技術と思想の同時上映みたいなものなのだろう。
1000円ちょっとで何本か同時に映画を観ることができるのなら、一作品同士の感覚が短くても僕は楽しいのだ。幼い頃観たゴジラとハム太郎やデジモンとおジャ魔女どれみの同時上映みたいな。
各々短い話だけれど、ちゃんとアニメ放送で話を作ってきたから映画が成立するような。

人と話すということ、音楽をやるということ、絵を描くということ、文章を書くということは全て繋がっている。
全ては「考えること」に起因する。
僕は決して多芸なんて高尚なものではない。
ただ多面に応用しているだけ。
だから思想と感情だけで動くことから、同じ畑の人間から「浅いことをする人間」と思われがちなのかも知れない。実際浅い。
だからきっと僕は何かを伝えようとする過程で人と関わってはいけないタイプの人間なのだろう。一生独り言で成立するような方法をとらなきゃいけないのだろう。

それでもこうして今、このバンドで表現をしようとしている。
ショーマくんととうまくんからの人格と価値の歩み寄りで、僕は今この場に立っているのだろう。いや、立たせてもらっているのだろう。

2人の"底のある優しさ"のお陰で僕は過去の答え合わせをしているのだろう。
「自分は愚かで浅ましくて矮小な人間だ」という結論を覆したくて仕方がないのだろう。
「ありがとう」や「ごめなさい」では言い表せない。

これからこの「私の好きなこと」を毎年毎月毎日毎時間毎分毎秒延々と続けていって、果てには何があるだろう?
「考える」ということを思考と精神が擦り切れるまで遂行して、一体何になるだろう?
僕にはそんなことわからない。
でもそれでいい!
それでいいのだ!
西から登ったお日様が、東に沈んでもいいのだ!
僕は人の選択を責めることが偶にある。でも結論を責めたことは一度もない。
だから僕の結論は誰にも侵害させない。
これも僕の中にある「いつか覆ってほしい価値観」のうちの一つだ。
結論が出るまで考えて、それが出て準じた上で他者からの否定に供応することができたら、僕はもうその時が来たら死んでもいい。
結末というのはいつだってハッピーだ。

こんなことを言うと「この人はついに狂ってしまった!」と思われるかもしれない。

でもそれは断じて違う。

僕は今生きている人間の中で一番正気だ。

だからハッピーでいい。

どんなに馬鹿でも愚かでもなんでも、今この瞬間僕は度し難い程ハッピーだ。

そろそろ県から"ピースメン"の表彰を受けてもいいだろうと思う。

さて皆々様、思考しよう!識ろう!そして弁えよう!

人の心の領域を侵害しない為に、何よりも誰よりもあなた自身の幸福の為に!

考えるということは、選択を誤らないということは!他者を侵害しないということは!何よりも幸福な人生に繋がるのだから!

せーのっ!!

「美しく嘆かわしい人生を!」

Rain after Frogs.
Ba.Emma=sympson.

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