土屋武之

鉄道を専門分野とする、フリーライターです。 国内外の鉄道に関する取材、執筆、講演、監修…

土屋武之

鉄道を専門分野とする、フリーライターです。 国内外の鉄道に関する取材、執筆、講演、監修、編集、番組出演などをお引き受けいたします。 これまでの実績については「土屋武之公式サイト」もご覧ください。 http://ts-express.work/

最近の記事

【お知らせ・2】

2月になりました。単行本の原稿はまだ書き上げられていません(汗) 最低でも、あと1ヶ月はかかるだろうなあ… そこで、自分に足かせをかけることにしました。 これまでnoteに書き溜めてきた「鉄路の行間」ですが、毎週火曜日に3本ずつ、無料公開していくことにします。もう公開からかなり時間も経ちましたし… 20本ありますから、7週間分。 そのぐらい時間があれば、全部公開し終わるまでには単行本の原稿も仕上がり、うまくいけば発刊のお知らせもできるかもしれません。 まずは、今日、以

    • 【お知らせ】

      2週間に1回のペースで新規投稿を続けてきた「鉄路の行間」ですが、単行本の執筆が佳境を迎えたため、11月30日公開分、および12月、1月の投稿はお休みさせていただきます。 公開済みの記事は引き続き、そのまま公開します。 執筆している単行本が脱稿しましたならば、皆さんにも良いお知らせができると思います。

      • 「鉄路の行間」No.20/北陸本線の全通で、故郷を強烈に感じた室生犀星

         「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」で始まる詩、『小景異情その二』が広く人口に膾炙している詩人・小説家の室生犀星の、その故郷とは金沢だ。犀川の左岸(西側)で育ったことから「犀星」を名乗っている。  世において犀星は望郷の詩人と理解されているが、実際はそう単純ではない。有名なこの詩も、東京ではなく金沢で詠まれている。そして「よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」と続く。つまり、故郷は思うところであって、たとえ乞食となろうとも

        • 「鉄路の行間」No.19/四代目柳亭痴楽の大ピンチ?! 西日暮里駅の開業

           『恋の山手線』と言えば小林旭の歌がよく知られているが、その「元ネタ」は四代目柳亭痴楽の『痴楽綴方狂室』の中の一作だ。頻繁にマクラで演じられ、代名詞の一つともなっている。  歌の方は演芸評論家の小島貞二の作詞で、痴楽はきちんと入れていた新大久保と浜松町を飛ばしているなど、似て非なるものである。落語を元にしているからコミックソングに類されようけれど、全駅を入れなかったのは、ちょっといただけない(笑)。曲の方に引っ張られた(作曲は浜口庫之助)のかもしれないけれど。  この『恋

        【お知らせ・2】

          「鉄路の行間」No.18/『ゲゲゲの鬼太郎』の幽霊電車の終点は、現存する京王多磨霊園駅

           水木しげるの代表作『ゲゲゲの鬼太郎』で、原作の漫画をはじめ、アニメ化されるたびに取り上げられる有名な話として「幽霊電車」がある。ストーリーは時代を経るにつれて少しずつ変わっているが、妖怪をバカにした相手を終電後に走ると言われていた幻の幽霊電車へと誘い込み、恐怖のどん底へ追いやるという流れは変わらない。  舞台となる路線は京王線とされ、その様子は作品の随所にうかがえる。出発点は京王新宿駅。線路が3本しかない駅だが、4番線から発車するシーンを入れるなど、細かい芸を見せている。

          「鉄路の行間」No.18/『ゲゲゲの鬼太郎』の幽霊電車の終点は、現存する京王多磨霊園駅

          「鉄路の行間」No.17/『阪急電車 片道15分の奇跡』で、最初で最後の晴れ舞台を踏んだ阪急3000系

           有川浩のベストセラー小説を映画化した『阪急電車 片道15分の奇跡』は、阪急電鉄の全面協力の下、原作の通り阪急今津線を舞台にロケーションが行われた。映画公開は2011年春なので、撮影は2010年に行われたものと思われる。  この作品に何回も登場したのが、今津線を走る3000系電車だ。ロケ用の貸切電車にも起用されており、走行シーンや駅のシーンなどでも、極力この系列の電車が登場するよう、編集上も配慮されている。  しかも、3000系のうちでも、行先・種別を幕で表示する装置を取

          「鉄路の行間」No.17/『阪急電車 片道15分の奇跡』で、最初で最後の晴れ舞台を踏んだ阪急3000系

          「鉄路の行間」No.16/泉鏡花『高野聖』の冒頭で描かれた明治の鉄道の旅と敦賀駅

           現在の北陸本線は1889(明治22)年に米原〜長浜間が開通し、同時に全通した東海道本線とも接続。新橋から敦賀までレールが結ばれた。福井まで北陸本線が延びたのは1896(明治29)年。金沢に達したのは1898(明治31)年だ。金沢出身の泉鏡花が文学を志して上京したのが1889年。その後、何度か帰郷しているが、鉄道が開業するまでは敦賀や福井から江戸時代と変わらず歩いて向かったことだろう。  鏡花が作家としての名声を確立した『高野聖』は1900(明治33)年の発表だ。旅の僧が飛

          「鉄路の行間」No.16/泉鏡花『高野聖』の冒頭で描かれた明治の鉄道の旅と敦賀駅

          「鉄路の行間」No.15/短く美しく咲いた、フランク永井が歌った西銀座駅

          「ABC・XYZ…」という歌い出しが印象的な、フランク永井の『西銀座駅前』は、同名の映画の主題歌として作られた。作詞は佐伯孝夫、作曲はあの、国民栄誉賞の吉田正。しかし、歌の方はムード歌謡なのに対し、映画はコメディだった。フランク永井本人も、ところどころ狂言回しとして顔を出し、劇中で歌いもするが、どうも「浮いている」感じがしなくもない。なお監督は、まだ新人だった今村昌平である。  ところで現在、東京に西銀座という駅はない。1958年7月29日の映画公開の直前、1957年12月

          「鉄路の行間」No.15/短く美しく咲いた、フランク永井が歌った西銀座駅

          「鉄路の行間」No.14/平岩弓枝『旅路』に登場する鉄道員たちが働いた舞台

          「人生は旅路、夫婦は鉄路」。神居古潭駅跡近くに立つ、平岩弓枝の文学碑には、こう刻まれている。大正の末から戦後、洞爺丸事故まで。鉄道職員の室伏雄一郎と妻の有里の半生を描いた『旅路』は、NHKの連続テレビ小説にもなり、1967年に放送された。  テレビで知られるようになったのは、旭川に近い函館本線の神居古潭駅。原作では雄一郎が初めて駅長として赴任したところで、石狩川の美しい渓谷をのぞむ、谷間にある駅だが、1969年に線路移設により廃止された。今、旧線はサイクリングロードになって

          「鉄路の行間」No.14/平岩弓枝『旅路』に登場する鉄道員たちが働いた舞台

          「鉄路の行間」No.13/『天国と地獄』で黒澤明が描き出した鉄道

           1963(昭和38)年3月公開の黒澤明監督『天国と地獄』には、随所に鉄道が登場し、誘拐犯人逮捕へ向けてのキーポイントともなっている。テーマは重いが、鉄道好きにとっても楽しめる作品だ。アジト解明のヒントとなった江ノ電の極楽寺トンネルをはじめ、横浜市電、サロ153が入った田町電車区の153系付属編成、まだカナリア色だった山手線の101系などもスクリーンを横切る。  有名なのは、中盤の身代金の受け渡しシーンだろう。大阪行きの特急「第2こだま」に乗るよう犯人は命令する。この列車は

          「鉄路の行間」No.13/『天国と地獄』で黒澤明が描き出した鉄道

          「鉄路の行間」No.12/大岡昇平『武蔵野夫人』の恋愛模様にからむ西武鉄道

           大岡昇平のベストセラー『武蔵野夫人』は1950年の発表だが、作中には1947年9月に上陸したカスリーン台風が登場。重要な出来事となる。この小説は「はけ」と呼ばれる野川の北側を走る崖(国分寺崖線)と、その周辺が舞台だ。この川の源は今、国分寺駅の北西にある日立製作所中央研究所の敷地内にある。  湧き出た水は線路の下をくぐり、南側の深い谷底へ流れ出る。両側は急な斜面だ。主人公の勉と道子が二人で水源を訪れた時、「恋ヶ窪」という地名であることを知り、既婚者の道子は従弟の勉への恋心を

          「鉄路の行間」No.12/大岡昇平『武蔵野夫人』の恋愛模様にからむ西武鉄道

          「鉄路の行間」No.11/西条八十の『東京行進曲』が世に広めた? 小田急の名前

           『東京行進曲』と聞いて、原作の菊池寛の小説や、1929(昭和4)年公開の無声映画を思い出す人は少なかろう。興行的にはヒットしなかった映画を差し置いて、佐藤千夜子が歌った同名の主題歌の方が、今や世に知られている。  この歌の4番の歌詞に「いっそ小田急(おだきゅ)で逃げましょか」と、1927(昭和2)年に新宿〜小田原間が開業したばかりの、現在の小田急電鉄が出てくる。当時の正式社名は小田原急行電鉄。しかし、すでに「小田急」という通称が世に広まっており、作詞をした西条八十も、それ

          「鉄路の行間」No.11/西条八十の『東京行進曲』が世に広めた? 小田急の名前

          「鉄路の行間」No.10/大林宣彦『ふたり』で尾道の町をよぎった、民営化直後のJR西日本

           大林宣彦監督の「新・尾道三部作」の第1作『ふたり』は、1990年11月にまずNHKのテレビドラマとして放送され、そして予定通り再編集の上、1991年5月に映画として劇場公開された。「尾道三部作」の最終作『さびしんぼう』の公開が1985年。この間に日本の鉄道界は、1987年の国鉄分割民営化という激変を迎えている。映画の協賛にもJR西日本が名を連ねるようになった。  尾道は、今の聖地巡礼が始まるはるか以前より、ロケ地巡りが大きな観光資源となってきた。そのきっかけは、やはり生ま

          「鉄路の行間」No.10/大林宣彦『ふたり』で尾道の町をよぎった、民営化直後のJR西日本

          「鉄路の行間」No.9/岡本喜八が描いた、赤川次郎の不思議な世界

           「幽霊シリーズ」の第一作『幽霊列車』は、1976年の発表。赤川次郎のデビュー作でもある。1978年には、早くも岡本喜八の手でテレビドラマ化された。鉄道がトリックに使われている作品で、ロケは秩父鉄道で行われている。  1970年代のこの鉄道は、秩父地方への観光輸送やセメントの原材料である石灰石など貨物輸送は盛んだったものの、蒸気機関車の動態保存運転(「パレオエクスプレス」)はまだ行われていなかった。  登場する電車も、現在のようなステンレスカーではなく、同社オリジナルの1

          「鉄路の行間」No.9/岡本喜八が描いた、赤川次郎の不思議な世界

          「鉄路の行間」No.8/伊藤左千夫の故郷、成東駅の歌碑

           1906(明治39)年、歌人であり、同年に『野菊の墓』を発表して小説家としても評判を得た伊藤左千夫は、歌会に出席するため、生地の成東へと帰った。1897(明治30)年には総武鉄道(現在の総武本線)佐倉〜成東間が開業しており、もちろん利用しただろう。  その帰省で詠まれた短歌の一つ。 久々に家帰り見て故さとの今見る目には岡も河もよし  この歌は、JR成東駅のホームにあった碑に刻まれていた。現在、歌碑は駅の改良工事に伴い、駅前広場へ移されていて、改札口を入らなくても見るこ

          「鉄路の行間」No.8/伊藤左千夫の故郷、成東駅の歌碑

          「鉄路の行間」No.7/司馬遼太郎を仰天させたJR木造駅

           歴史小説家・司馬遼太郎には、もちろん明治維新以降をテーマとした作品もあるのだが、鉄道の影は薄い。ただ、『街道をゆく』シリーズには、”道”の一つとして鉄道が登場する。  時代が平成に入り、1994年から翌年にかけて連載された『北のまほろば』には、わざわざ「木造駅の怪」と題した一章がある。話は青森県木造町(現在のつがる市)出身の横綱旭富士から亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶へと移り、JR五能線木造駅へとたどり着く。そして、「駅舎をみて、仰天する思いがした」と、この稀代の作家に記させ

          「鉄路の行間」No.7/司馬遼太郎を仰天させたJR木造駅