「鉄路の行間」No.8/伊藤左千夫の故郷、成東駅の歌碑
1906(明治39)年、歌人であり、同年に『野菊の墓』を発表して小説家としても評判を得た伊藤左千夫は、歌会に出席するため、生地の成東へと帰った。1897(明治30)年には総武鉄道(現在の総武本線)佐倉〜成東間が開業しており、もちろん利用しただろう。
その帰省で詠まれた短歌の一つ。
久々に家帰り見て故さとの今見る目には岡も河もよし
この歌は、JR成東駅のホームにあった碑に刻まれていた。現在、歌碑は駅の改良工事に伴い、駅前広場へ移されていて、改札口を入らなくても見ることができるようになっている。
千葉県は最高峰が400m少々の土地柄だ。ある日、私は、列車を乗り換えようと成東駅を歩いていて、この歌碑に出会った。そして思わず立ち止まり、大げさではなく目を見張った。
千葉だから山ではなく「岡」なのかと。
関西生まれの私が若い頃、初めて千葉を訪れた時。やはり総武本線に乗った。列車の両側にまったく山がなく、田畑の間に浮島のように丘が点在する、見慣れない風景に驚いたものだった。
左千夫は明治22(1889)年に上京し、居を構えたのが、百年を経てJR錦糸町駅南口の駅前広場となっている場所。歌碑も建てられている。今の殷賑からは想像もできないが、乳牛を飼い、牧畜業を始めたのだ。最初は本所駅と言った錦糸町駅の開業は1894(明治27)年。丘陵地を縫って走る総武鉄道は、故郷を結ぶ道だった。
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