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「鉄路の行間」No.8/伊藤左千夫の故郷、成東駅の歌碑

 1906(明治39)年、歌人であり、同年に『野菊の墓』を発表して小説家としても評判を得た伊藤左千夫は、歌会に出席するため、生地の成東へと帰った。1897(明治30)年には総武鉄道(現在の総武本線)佐倉〜成東間が開業しており、もちろん利用しただろう。

JR成東駅
現在のJR成東駅

 その帰省で詠まれた短歌の一つ。

久々に家帰り見て故さとの今見る目には岡も河もよし

 この歌は、JR成東駅のホームにあった碑に刻まれていた。現在、歌碑は駅の改良工事に伴い、駅前広場へ移されていて、改札口を入らなくても見ることができるようになっている。

成東駅ホームに歌碑があった頃_2010年5月撮影
かつて、伊藤左千夫の歌碑は成東駅のホームにあった(2010年5月撮影)
成東駅前の歌碑
現在、歌碑は駅前広場にある

 千葉県は最高峰が400m少々の土地柄だ。ある日、私は、列車を乗り換えようと成東駅を歩いていて、この歌碑に出会った。そして思わず立ち止まり、大げさではなく目を見張った。

 千葉だから山ではなく「岡」なのかと。

 関西生まれの私が若い頃、初めて千葉を訪れた時。やはり総武本線に乗った。列車の両側にまったく山がなく、田畑の間に浮島のように丘が点在する、見慣れない風景に驚いたものだった。

 左千夫は明治22(1889)年に上京し、居を構えたのが、百年を経てJR錦糸町駅南口の駅前広場となっている場所。歌碑も建てられている。今の殷賑からは想像もできないが、乳牛を飼い、牧畜業を始めたのだ。最初は本所駅と言った錦糸町駅の開業は1894(明治27)年。丘陵地を縫って走る総武鉄道は、故郷を結ぶ道だった。

錦糸町駅前の伊藤左千夫歌碑
JR錦糸町駅前の伊藤左千夫の歌碑
錦糸町駅前
ここに伊藤左千夫の牧場があった


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