見出し画像

「鉄路の行間」No.12/大岡昇平『武蔵野夫人』の恋愛模様にからむ西武鉄道

 大岡昇平のベストセラー『武蔵野夫人』は1950年の発表だが、作中には1947年9月に上陸したカスリーン台風が登場。重要な出来事となる。この小説は「はけ」と呼ばれる野川の北側を走る崖(国分寺崖線)と、その周辺が舞台だ。この川の源は今、国分寺駅の北西にある日立製作所中央研究所の敷地内にある。

野川水源
中央本線の下から湧き出る、水源近くの野川

 湧き出た水は線路の下をくぐり、南側の深い谷底へ流れ出る。両側は急な斜面だ。主人公の勉と道子が二人で水源を訪れた時、「恋ヶ窪」という地名であることを知り、既婚者の道子は従弟の勉への恋心を初めて覚る。恋ヶ窪は今も西武国分寺線の駅にある。語源は諸説あるが、当て字らしい。

恋ヶ窪駅
西武国分寺線恋ヶ窪駅

 道子は自らに戦慄しつつ「分かれる二つの鉄路の土手によって視界は囲われていた」ことで、恋に捉えられたことを知った。位置としては右手が西武多摩湖線、左手が西武国分寺線になる。合併により、前年に同じ二代目西武鉄道の路線となったばかりの2本の鉄道だ。小説では「見すぼらしい二輛連結の電車が、支線の鉄路を傾いて曲がっていった」とあるが、どちらだろう。多摩湖線は国分寺駅から緩く曲がりつつも、ほぼまっすぐ北上している。国分寺線なら西向きに発車し大きくカーブするが、1947年にはまだ非電化だった。

西武多摩湖線
国分寺を発車する西武多摩湖線
西武国分寺線
西武国分寺線は国分寺を発車するとカーブを描いて中央本線から分かれる

 そして二人は、台風が近づく中、多摩湖線の電車で出かける。村山貯水池は、定番のデートスポットだった。下車した終点は「狭山公園」。現在の多摩湖駅だが、当時は200mほど手前の、狭山公園の入口に隣接した場所にあった。ただ、駅名としては「狭山公園前」が正しい。狭山公園駅は、狭山公園前駅のすぐ東側に存在していた西武村山線の駅のことになる。1947年にはまだ戦争による休止中で、営業再開は翌年。1951年に廃止された。

 なぜ、こんなにややこしいのかと言えば、武蔵野鉄道系の現・多摩湖線に対し、村山線は初代西武鉄道系で、不倶戴天の商売仇同士であったから。観光客を奪い合っており、意図的に紛らわしい駅名を付けたのだ。

 多摩湖線は狭山公園前駅跡を過ぎるとすぐ、駐車場をまたぐ不自然な橋梁を渡る。初代西武鉄道は村山線を延ばし、ここに新しい駅を設けて湖畔により近づける計画だったが、さすがにそれはライバルが阻止したようだ。道子と恋敵の富子の関係を書くにあたり、ひょっとすると両鉄道の争いが作家の念頭にあったのかとも思うと、また違った風景にも見えてくる。

旧狭山公園前駅付近
狭山公園前駅跡付近を走る多摩湖線。手前の駐車場あたりに村山線の駅が建設される計画であったと思われる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?