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灰色の中学生期②

昭和の中学校。
目立たないモブキャラだったはずなのに、意図せず注目の的に。
思い出してみると色々あったなぁ。



逃げ出した部活

テニス部に入って2年目。
運動が苦手だった当時の私は、全然上達せず主力メンバーに入れなかった。
部員が多かったため、コートは主力メンバーが占有していて、私たちはろくにボールを打つこともできなかった。
相変わらず先生は顔を出さず、練習は力のある生徒に仕切られていた。

主力の一人であるW君に、私はなぜか嫌われていた。
クラスも違い、ほとんど会話もしたことはなかったのだが、何か気に入らなかったらしい。

3年生が引退して、2年生の私たちが引き継ぐと、W君の圧は目に見えて強くなった。
言葉がきつく、何かと言うと私をののしった。
テニスも一番うまく、ガキ大将的な気質のW君は部内を支配していて、だれも逆らえなかったので、私は部内で徐々に孤立するようになってきた。

元々楽しくもなかったので、3年生に進級するとき、継続願を出さずに部活を辞めた。

小学校の剣道もそうだったが、何かに打ち込んで努力し、最後までやりぬくという経験を積むことができなかった。
やる気や根性がなかった私がいけないのはもちろんだが、指導者をはじめ環境に恵まれなかったことも大きかったように思う。

いや、ちゃんとした指導者がいて、厳しい練習をしているような部活を避けて、ゆるくできそうなところを選んだのだから、結局自分がいけなかったのだろう。

少年期にしか味わえない、何かに熱中して自分を鍛えるという貴重な経験を逃したことは、後々大きな負の影響を与え続けることになった。


パパラッチ

3年生になるころには、身長もだいぶ伸びて、顔つきもシュッとしてきた。
小学校の頃はぼてっとしたしもぶくれの顔つきで、かわいくもカッコよくもなかったのだが、少しマシな見た目になってきた。

ある日、少し風邪気味だったので大げさに親に訴えて、学校をずる休みした。
夕方、帰ってきた弟とゲームをしていると、家のチャイムが鳴った。
近所の同級生がプリントを持ってきたのだと思い、元気な顔して出ていくのはバツが悪かったので、弟に行かせた。

「兄ちゃん、なんか違うから来て欲しいって言ってるよ」

弟がよくわからないことを言うので、仕方なく玄関に出ていくと、違うクラスの女子が2人立っていた。
1人は近所の子で、小学校のときに同じ通学班だったので知ってはいたが、中学に入ってからはほとんど関わっていなかった。
もう1人は知らない子で、顔を見た覚えがあるかどうかという程度だった。

その知らないほうの子が、
「具合が悪くて休んだって聞いたので、お見舞いに来ました。突然で驚いたと思うけど、前からスキでした。私と付き合ってください!」
と言ってきた。


なにこの状況?

スキでした?

私、あなたのこと知らないんですけど?

え?付き合ってください?


完全に想定外の事態にパニック!


「どうですか?」


返事を迫られ、別に断る理由もないので、


「別にいいですよ」


と、OKしてしまいました。

彼女はめっちゃ喜んで、名前と電話番号を書いたメモをくれました。
私も電話番号を教えて、その日はそれで帰っていきました。

まだギリギリ昭和だった当時の田舎では、中学生で付き合った経験のある子はほとんどいなくて、私のクラスではなんと、私が初めての彼女持ちになってしまったのです。

当時は携帯電話やインターネットもなく、家にダイヤル式の電話が一つあるだけでした。
彼女と話すには、お互いの家に電話するしかなく、そうなるとまずお互いの親が出ることがよくありました。
あの頃は彼氏や彼女の存在を親や家族にオープンにする習慣はなかったので、家電にかけるのはなかなかにハードルが高かったです。

ということで、連絡手段はもっぱら手紙になりました。
彼女は1組で、私は8組だったので、ちょうど校舎の東端と西端にお互いの教室がありました。
小学校で同級生だった男子が、休み時間に私を訪ねてきて、
「これ、お前にだって。俺をパシリに使うなって言っとけ」
と、ちょっと不機嫌に彼女からの手紙を持ってきてくれたりしていました。


しかし、そんなリア充生活は、喜んだり楽しんだりする前に、想像を絶する大変さでした。


突然彼女ができてしまったことで、クラスで目立つ存在ではなかった私は、一躍時の人となってしまい、クラス全員どころか、学年全員から注目される存在となってしまったのです。

朝登校すればすぐに数人に囲まれ、
「昨日彼女と一緒に帰ったでしょ?」
「何話したの?」
「今度映画見に行くんでしょ?なに見に行くの?」
などと、矢継ぎ早に質問攻めにあいました。
映画に行くなんて話は出ていなかったので、「知らないし誘われてない」と答えると、
「え~、彼女が今度誘うって言ってたらしいよ?」
と、どこから聞いてきたのかわからないようなことを言います。

情報が本人たちを置き去りにして、独り歩きしてしまっている状態で、私以上に私たちのことを、周りの生徒が知っている状態でした。

男友達と2人で帰ったのに、
「昨日なんで彼女と帰らなかったの?彼女、後ろからつい来てたのに!」
と責められ、
「後ろにいたのなんて気づかなかったよ」
と答えると、
「なんで気づかないの!ダメじゃん!彼女傷ついたよ!」
と怒られました。

本当に気づいていなかったのに・・・
それより、なんでそんなこと知ってるんだ?
いったい誰が見てたんだ?
それで、いつ広まったんだ?

LINEもない時代だったのに、翌日の朝には学年中に広まっているという異常事態。
常に誰かしらに見張られて、一挙手一投足が報告されて広まってしまう。

学年生徒全員がパパラッチ(芸能ゴシップ記者)のように、私たちをつけ狙っているように感じました。

当時はプライバシーという概念がまだ一般的ではなく、学校から配布される要覧には全校生徒の氏名と住所はおろか、電話番号から親の職業まで記載されていました。
当然職員(先生)の住所や電話番号もすべて記載されており、個人情報のオンパレード。
現代の感覚からしたら目玉が飛び出るような衝撃です。

昭和の芸能人は簡単に電話番号や住所を調べられたので、家にファンから電話がかかってきたり、突然押しかけてきたりしていたようです。

私も、あたかも芸能人になったかのように、連日衆人環視の中生活することになってしまい、非常にストレスを感じていました。
さえないモブキャラだったはずが、突然芸能人になってしまったかのように注目され、もてはやされ。
本人だけが取り残されていました。

そんな状況で2人の仲が深まるわけもなく、お付き合いは長く続きませんでした。
1カ月くらいたったころ、彼女から手紙が来て、「別れましょう」と書いてありました。
クラスの女子からは、
「その時のあんたの言葉が冷たくて、彼女ショックだったらしいよ」
とか言われましたが、正直

「知らんがな!」

という感じでした。
元々私が好きになって付き合ったわけではなかったし、悲しいという気持ちはなく、これで元の生活に戻れると、ほっとしたことを覚えています。


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