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”苦手な人”ではなく”苦手な部分がある人”という捉え方。-自分の常識を再定義-

桜も徐々に散り始めた今日この頃。
新学期が始まり、僕の大学4年生としての日々が始まりました。

久々に会う友人と話していたら、僕の人間関係観を捉え直すきっかけに出会えました。
今まで漠然と感じていた僕の主観をnoteにまとめてみたいと思います。

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友人との会話では共通の友人の話題になることがしばしば。
最近どーよと言った話題から愚痴っぽい話題も少々。
そんな中、「ライも実際こうじゃん、だからさ〜(以下略)」と僕にも火の粉が飛んできたり。笑
今回、気付きをくれた友人は中々グイグイ切り込んでくるタイプなのです。笑

僕自身、苦手な人はもちろん居て、そうしたグイグイくる人は僕にとっては苦手なタイプに分類されます。

でも気付きました。
苦手なタイプの割に僕はその友人のことが全然嫌いじゃない。
むしろ好きな方だ、と思ったのです。

なぜ僕は苦手なタイプの人間が好きなのか。

それは、”苦手なタイプな人”ではなく、”苦手なタイプの話し方”という捉え方をしているからだと気付きました。

その友人に抱く苦手は一部分だけで、決して全てが苦手なわけではなかったのです。
グイグイくる側面にも苦手と好きが混在していて、話し方としては苦手だけど、そのグイグイくる性格でいろんな企画や準備を引き受けて次々こなしていく姿は尊敬していたりもします。

シンプルに考えてみて、好きなことと嫌いなことが並んでいたら好きなことを選ぶように、人間関係も好きな部分に目がいくようになればなんだか良好な関係が築けていけそうな気がしています。

要は”好きは苦手に勝る”ということなのではないでしょうか。

人間様々な側面を持っている中で、苦手な部分はあくまで一つ。
こんな風に思えたら気が楽だし、何よりその人と楽しく過ごせる気がしています。

もちろん苦手な部分が強すぎて、他の良い部分を見つけられない場合もあると思います。
そんな時は少しづつ遠ざかっていけば良いとも思います。

ただ、いきなり遠ざける前に別の視点から捉え直してみてからでも遅くはないのかもしれない、そんなことも思います。


やや余談ですが、僕はかつて属していた組織を離れる際にすごく後味の悪い去り方をしてしまったことがあります。
当時は余裕が無い中、苦手な部分に追われ、組織全体を苦手に感じて去ってしまいましたが、
今振り返ると必要なのは苦手から離れることよりも別の好きな部分を見つけ直す事だったのかもしれません。

去り際が悪いとこれまでの全てが悪かったようにも感じてしまうし、再開した時は少し気まづい。
せっかく出会えたのだからまた会う時は再開を喜べるようでありたい。
そのためにも”苦手”ではなく”苦手な部分”を分けて、
様々な角度から見直して決断できる人間でありたい、そんなことを思います。

好きの輪が広がっていく関係性って素敵だと思います。
気付かせてくれた友人に感謝です。笑

ライ

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