アメリカンフットボール(エッセイ#10)
私がアメリカンフットボールを知ったのは、大学受験に身が入らない思いを抱えながら、無為に毎日を過ごしていた浪人時だった。ある日ふと、父親が勧めてくれた。お前、アメリカンフットボールって見たことあるか?見てみたらどうだ、と。浪人中、父親は私に勉強をすることは強いなかった。彼はただ実直に、勤勉に、自分の仕事に向き合っているような人だ。普段の私の過ごし方にも口を出すことは稀だった。それでも、一向に勉強と向き合わない私の様子を見かねて、何かの刺激になるだろうという思いで声を掛けてくれたのかも知れない。
時にアメリカンフットボールとラグビーがどう違うのかという議論が巻き起こるが、私が一番に違うと思うのは、選手の役割分担の考え方にある。流動的な流れの中で全ての選手が攻撃と守備に参加するのがラグビーである。他方、アメリカンフットボールでは攻撃と守備を担当する選手が分かれている。言い換えると、より専門性が高く求められるのがアメリカンフットボールの特徴だ。将来への希望も持てずに世の中から目を伏せて過ごしていた私にとって、一つのポジションで専門性を極限まで高めて相手とぶつかり合う選手達がとても格好良く、憧れの存在に見えたのかも知れない。
次第に私はアメリカンフットボールの試合観戦にのめり込んでいった。当然、アメリカと日本との間では昼夜が逆転するような時差があるため、リアルタイムで試合を見ようとすると、日本社会で求められる規範的な生活リズムを崩さなければならない。勉強もせず、深夜にスポーツの試合を見ていることに罪悪感が無かったわけではないが、それでもアメフトの魅力は私の心を力強く掴んだ。
ジョー・モンタナという名前を聞いたことがある日本人は多いかも知れない。1980年代に日本でアメフトが一時的なブームになった際に時代の寵児であった選手だ。彼が務めていたクウォーターバックというポジションは、圧倒的な花形ポジションであった。ゲームの戦略を決め、攻撃と守備の配置を見極めながら全てのプレイの起点となる司令塔的役割だ。アメフトを語るときに、クウォーターバックを抜きにしては何も始まらない。私は、各チームのクウォーターバック達に釘付けになりながら浪人生活を過ごした。
その後何とか大学に入って、何もかも新しい生活が始まった。私はアメフトのことをしばらく忘れながら、学科の友人やサークル活動、時には色恋沙汰に振り回されながら気忙しい毎日を送った。
ある日、仲の良かった学科の友人に知り合いを紹介され、キャンパス内広場で軽い立ち話をした。彼はアメフト部に所属していて、ポジションはタイトエンドを担当していると名乗った。タイトエンドと言えば、数あるポジションの中では目立たない存在だ。プロ選手の中でも年棒が一番低い部類にある。タイトエンドの由来は、攻撃の最前線であるラインマン達の一番端っこ(エンド)に位置する”端くれ者”という意味だ。その役割は良くいえばオールラウンド、悪く言えば器用貧乏といったものだ。クウォーターバックからパスを受け取ることもあれば、守備陣に襲いかかって味方の攻撃を成立させるための犠牲になることもある。多様なプレーに欠かせないポジションではあるが、目立つプレーの渦中にいることが少なく、私が熱中していた浪人時代もあまり着目することはなかった。
私は彼に、失礼ながらも単刀直入に問い掛けてみた。どうしてタイトエンドを選んだのか。君は体格も良いし、もっと前線のポジションや、守備のカナメになるような役割もこなせるはずなのにと。対する彼の返答は意外なものだった。
曰く、組織には必ず調整弁というものが必要だ。アメフトというスポーツを組織戦として捉えている。そして組織では調整弁、つまり”黒子”次第で良くも悪くもなる。良い組織、強い組織というものを分析すると、そこには必ず良い黒子が居るんだ、ということだった。彼は、アメフトをやっている理由として、大学を卒業したあとに訪れる社会人という長い道のりを生き抜くための素地を作るためであると語った。社会は詰まるところ組織が形作るものだ。その組織を自分が成り立たせているんだという実感を得たいということだった。私は当時、彼の言っていることの一部しか理解できていなかったように思う。変な考え方の奴もいるもんだ、とさえ思っていたはずだ。
時は流れて、私は今、社会人として年数を重ねている。小さい頃に思い描いていたものと、実際の社会は大きく異なっていたけれど、もがきながら日々を過ごしている。今なら、彼の言っていたことが分かる気がする。組織を引っ張っているのは、必ずしも目立つポジションのリーダー的存在だけではない。部門ごとの橋渡しになったり、誰かがやらなければならないけれど名前の付いていない仕事を担う存在がいてこそ、組織が前に進んでいける。ジョー・モンタナを支えるのは、数多くの名も無きタイトエンド達だ。
私もそんなタイトエンドになりたいと思う。今でもたまに思い出す、大学で知り合ったアメフト部の彼のように。そして、立派に私を育ててくれた寡黙な父のように。
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