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【意味不明?】映画『TAR/ター』ネタバレ完全解説 Part① なぜ主人公は本を捨てた? 主人公はなぜ壊れてしまったのか?映画に仕掛けられた巧妙な罠とは?

5/12公開のケイト・ブランシェット主演の映画「Tar」。サスペンス映画かと思いきやかなり難解に作られた映画でした。
本記事では本作の核となる主人公ターとその付き人フランチェスカ、そしてターを告発するクリスタの三人の関係について、さらにラストシーンの意味について解説していきます。

いきなりネタバレ

といっても出来るだけ手短にこの映画の意味が知りたい方がほとんどだと思うのでいきなりですが本作のいちばん重要なネタバレをしたいと思います。

この映画はケイト・ブランシェット演じる女性指揮者ターの行動だけを映しているので分かりにくいのですが
ターの女性アシスタントのフランチェスカと、劇中で自殺してターを告発するターの指揮者学校の元生徒であり卒業生であるクリスタはグルで、ターの性暴力の悪事を世間に公表することでターを没落させようとしています。(そして彼女たちの計画は成功します)

なぜ彼女たちがグルになってターを没落させようとしているのか解説していきます。

第1章 フランチェスカとクリスタ

そもそもフランチェスカとクリスタって誰だよって方がほとんどだと思うので画像付きで紹介したいと思います

フランチェスカ。主人公ターの付き人

クリスタは劇中にほとんど出てこないので画像が無いのですが、彼女が自殺した記事に彼女の写真が載っています。そこで見てもらうと分かるのですがクリスタは長い髪の女性です。

クリスタは主人公ターが設立した女性指揮者養成プログラムの卒業生であり、主人公ター、フランチェスカ、クリスタの3人でペルーの民族に音楽や文化を学びに行くほど仲良しでした。そこから何があったのかは明らかにはなっていませんが、ターとクリスタの関係は悪化してしまいました。

アメリカにて

さて映画本編の解説に入ります。この映画の一番最初のシーンでは飛行機で寝ているターの姿を誰かがビデオに撮りながら、誰かとチャットを送り合っています。いきなり謎なシーンから始まるのですが、
ターをビデオに撮っているのは彼女の付き人であるフランチェスカで、恐らく彼女はクリスタとチャットしあっているのだと思われます。

フランチェスカとクリスタのチャット

はい。この映画の一番最初の時点から既に、ターの一番の理解者であり付き人であるフランチェスカでさえも、ターを心の底から恨んでいるクリスタとズブズブだったのです。

映画の最初、ターとフランチェスカはベルリンからニュヨークにトークイベントに赴きます。先ほど述べたようにその行きの飛行機の中でフランチェスカはクリスタとチャットをしています。
そしてニューヨークでのトークイベントでクリスタもイベントの観客として見に来ています。

意味深な後ろ姿のショット。クリスタがトークイベントに来ている

映像としては意味深な後ろ姿を何回か映すだけですがこれは間違いなくクリスタです。
さらにその後フランチェスカがターが滞在しているホテルに入っていくシーンでもクリスタの後ろ姿が映っています。

その後フランチェスカはロビーに贈り物が置かれていたと言ってターに一冊の本を渡します。
この本はクリスタがターを脅迫するための道具だったのです

クリスタがターに送った本

この本は20世紀の女性作家ヴィタ・サックヴィル=ウェストの『Challenge』という本です。

本で脅迫?となりますが、この本の作者は両性愛者の女性で、交際相手の女性が「別れるなら自殺してやる」と脅してきた経験を小説にしたものです。
クリスタは後に自殺しますが、ターにこの本を送り付けることによって「あなたが私を無視し続けるのならば自殺してやる」ということをほのめかす意図があったのでしょう

※追記 

この本を送り付けた意図に関する考察は間違っていたかもしれません
クリスタはわざわざこの本の初版を送り付けていて、初版には最初のページに作者の端書として
「この本をあなたに捧げる。この本を読めば不安定な心は自由へ解き放たれる」
という文章が書かれています

この文章をクリスタはターに読んでほしかったのだと考えると、クリスタは元々仲が良かったのに、仲違いした今、自身に対して嫌がらせを行うようになったターと、作者が夫と離婚しなかったことに耐えかねて、この本の作者と別れたヴァイオレットを同一視していたのでしょう

つまりクリスタ=この本の作者
ター=ヴァイオレット
という意味を込めて、クリスタに対して暴走しているターに送り付けたのだと思います

そしてこの本に書かれた迷路のような模様は、クリスタがターと一緒に訪れたペルーの部族が好んで使っていた模様で、ターがペルーでクリスタに対して行った性暴力を私はずっと忘れないという意思表示だったのでしょう

ペルーのシピボ族のタペストリーの模様

その意図をくみ取ったターは本の表紙を破いて飛行機のごみ箱に捨ててしまいます。

ベルリン到着後

アメリカからベルリンに帰ってきたターは自身の仕事場であるピアノが置いているアパートに帰宅します。
そして注意深く見ないと気づけないのですが、なぜか誰もいないはずの仕事場になんとクリスタがこっちを見つめて立っています。

誰もいないはずの部屋にクリスタが・・・

そこからターは誰もいないはずなのに人の気配を感じたり、ランニング中に女性の叫び声が聞こえてきたり、夜中にメトロノームが勝手に動きだしたりといった奇妙な体験をすることになります。
しかしこれらのことは実際に起こっている訳ではなく、クリスタの悪意のある脅迫によって動揺したために、ターだけが感じている幻覚だと考えるのが妥当だと思います
なぜならクリスタが部屋にいる次のカットではクリスタは消えていて、実際にクリスタがターの仕事場に侵入しているとは到底考えられないからです。

クリスタに対するターの対応

クリスタとターの関係が悪くなった本当の原因は分かりませんが、関係が悪くなった後ターはありとあらゆる楽団にクリスタを指揮者として採用するのは危険だというメールを送っています。
このターの身勝手な行動によりクリスタはどこの楽団にも所属することができなくなってしまい、クリスタは助けを求めるメールをフランチェスカに何通も送り付けます。
フランチェスカがこのことをターに報告してもターはメールを無視し続け、フランチェスカにメールをすべて削除するように命じます。そしてター自身が楽団に送り付けたクリスタを貶める内容のメールは自らすべて削除します。
ターが無視を続けたことによりついにクリスタは自殺してしまいます。

クリスタの自殺とフランチェスカの裏切り

クリスタが自殺した後ターはクリスタの両親に告発されますがターはクリスタのことなど全く知らないと嘘をつき続けます。
ターは副指揮者であったセバスチャンを追い出した後フランチェスカを副指揮者として任命する予定で、フランチェスカにも次の副指揮者をフランチェスカにしようとしているということを暗にほのめかすような発言もします。
このことを告げられたフランチェスカは、今までターを献身的にサポートしてきたことが報われてやっと副指揮者になれると嬉しがったことでしょう。
しかしクリスタの死後、フランチェスカはターに、違う指揮者を副指揮者にすることにしたと告げられます。このことを告げられた彼女は何も言葉を発さず、少し呆れたように笑うだけなのですが、このとき彼女はターに対して完全に愛想をつかしたのです。

愛想をつかしたフランチェスカは何も言わずに付き人を辞職して逃走。ターが激怒して彼女の移転先に向かうと床に紙がぶちまけられていて、その一枚にクリスタがターに送り付けた本に書いていたペルー民族の模様と同じ模様と
「Rat on rat」(裏切り者を裏切る)
という文字が書かれていました

このrat on ratといいうのはターが出版する本のタイトル「Tar on tar」の文字を入れ替えたもので、
クリスタを裏切って自殺させた裏切り者のターをフランチェスカはさらに裏切る
ということを表しており、フランチェスカは完全にクリスタの味方となり徹底的にターの悪事を世間に暴いてターに仕返しをすることを決心したのです

フランチェスカはクリスタが自分に送ってきた何通もの助けを求めるメールをメディアに売り渡し、ターは言い逃れができなくなってしまいます。
その結果彼女の元からスポンサーが離れていき、ベルリンフィルハーモニー楽団からも指揮者の職をはく奪され、代わりに副指揮者が彼女が指揮を務めるはずだったマーラーの交響曲5番の公演を指揮することになってしまいました。

全てを失ったター

フランチェスカの裏切りによって職も家族も名声もとにかくすべて失ってしまったター。ついに精神が崩壊してしまい、公演当日、出演者用のトイレの個室に忍び込んで開演するまでトイレに隠れて、演奏が始まる直前に舞台に現れ、副指揮者を吹っ飛ばし、暴言を吐き、殴りかかります。
もちろん警備員に取り押さえられ舞台から降ろされてしまいました

第2章 帰郷

全てを失ったターはアメリカの実家に帰り、ある男性指揮者が音楽の素晴らしさについて語ったビデオを鑑賞します。
そのビデオを見たターは大号泣。恐らく改めて音楽を志した初心を思い出したのではないでしょうか。

※5/17 追記
ビデオの男性は実在した指揮者であるバーンスタインらしいです
映画冒頭のインタビューでターがバーンスタインについて語っています

第3章 フィリピンへ

ターはそこからフィリピンへと向かいます。彼女はすべてを捨てて全く新しいアジアで指揮者として再起を図ったのです。

ラストシーンの意味

ラストシーン。ターはフィリピンで女性指揮者として舞台に立ちます。しかし演奏が始まる前にターはヘッドホンを装着します。なぜヘッドホンを装着して指揮をすることになったのでしょうか?

ターが指揮者として出演しているこの公演は今までのようなクラシック音楽の演奏会ではありません。実は日本が誇るゲーム「モンスターハンター」のゲーム内音楽の演奏会なのです。
その証拠として観客は全員モンスターハンターのコスプレをしていますし、エンドロールにもモンスターハンターの表記があります。

ゲーム内音楽の演奏会に行かれたことがある方ならお分かりかもしれませんが、こういった演奏会では後ろで流れる映像やナレーションと演奏のタイミングをきっちり合わせる必要があります。

映画冒頭のトークショーにおいてターは「指揮者が全ての時間を操る」と豪語していましたがゲーム内音楽の演奏会ではそうはいきません。そのためテンポをきっちりと揃えるためにヘッドホンを装着する必要があるのです。

このラストシーンは、ターが圧倒的な権力の元、周りの人間を全て自分の思いのまま操ってきた立場からすべてを失い、ヘッドホンから流れる指示に従ってゲーム内音楽の演奏会しか出来なくなった現在のターの立場を皮肉っているのと同時に、音楽を志した初心を思い出し、ターは新たなキャリアをスタートさせることが出来たという賛美でもあるのです。

スタッフロールが一番最初に流された理由

映画を見た方なら皆さん疑問に思われたことでしょう。なんで映画が始まってすぐにスタッフロールを流しているんだと。
実はこの演出には明確な意図があります。
ターはこの最初のスタッフロールが終わった後のトークイベントでいかに指揮者という存在が演奏を成立させるために重要かについて永遠と語ります。
ターは指揮者こそが絶対的存在だという信念を持っているのです。
そしてこれは映画にも置き換えて考えることができます
映画における指揮者は監督、あるいは主演俳優やプロデューサーです。
なので映画のスタッフロールは通常一番最初に監督や主演俳優の名前がデカデカと表示されてそこから順番にサポートメンバーたちの名前が表示されていきます。
しかし本作のスタッフロールは映画の最初に流れるだけでなく、サポートメンバーの名前を最初に表示させて、監督の名前はスタッフロールの最後に表示させています。

これは
「監督や主演俳優が一番偉いわけではなくサポートメンバー全員等しく重要な役割を担っているんだ」
というメッセージなのです
そしてこのメッセージは上述したターの「指揮者こそが全てを掌握しているんだ」という考えのアンチテーゼになっているのです

最後に

今回はターを含む3人の女性たちについてのみ解説しましたがターのパートナーのシャロン、そしてターが新たに気に入った女性チェロ奏者のオルガについては気が向いたら新たに解説記事を書きたいと思いますのでフォローお願いします。

Part2はこちら


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