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ディズニーペアチケット持ってるの、私

白熱電球のスタンドライトはいつも熱いんだよなって自分に言い訳をする。もし、今のこの自分が隠しカメラで盗撮されても言い訳できるような、みっともない素振りで、もう一度画面を覗き見する。こんなこと初めて言われて少し照れている自分への、まるで青臭さと恥ずかしさのパックが分厚く覆っているように顔が熱く火照っている。


っていう驚きを描写できる小説を書けたらいいに越したことは無いけれど

ご覧の通り、センスはない。(ただし、これはノンフィクション。)

いい意味で人を驚かせてみたい。

サプライズみたいに裏側で決められているみたいなものじゃなくても、

偶然の産物でも、成果を連続を出していくことデモ。

もちろん最後が一番巡り会いやすいことは分カル。

なぜなら、自分で確率を上げることができるカラ。

「よくさー、頑張っても、頑張っても成果が出ない。自分の努力の方向が間違ってる。自分のやりたいことができない。ここでやれることは自分に違う。
そーいう頑張ることができない人いるけど、それって
『自分の想定が甘い、としか周囲は思わない』
からそうならないように気をつけなよ。」


って知り合いの官僚と話したときに言われタ。

報われる、つまり成果が出るから、そこまでに費やした時間、体力、

人間関係、お金が初めて努力の量として表されるんだよ。

給料を労働の対価と思ってるけど、本来は生み出した価値の対価だよ。

労働の対価って奴隷に働かせて、金あげてるみたいじゃんそれ。

大げさだけど、過労死になる寸前まで働いてやっと

物事っていい方向に動き出すかな?ぐらいだよ。


自論にはなるが、中学までは頑張ると必ず成果が出て、褒めてもらえタ。

だが、高校に入ると自分と同じレベルの人が集まるため、

成果を上げるには他人以上に頑張ることが当然の世界に入ル。

頑張っても周りがそれ以上頑張っていることで評価されナイ。

それでも、負けじと頑張ることでたとえ成果がでなくとも

頑張ったことに意味があると最後にはいい評価が待ってイル。

しかし、大学、社会人になると成果を出すことが求められる。

つまり、頑張ることにさえウェイトが向けられナイ。

成果を出すことが前提であり、成果を出すために努力をすることは

語る必要もないことなのダ。

同級生と話すと、ここでの差が大きくどうしても違和感を抱ク。

バイトが大変だとか、シフトを入れられたとか、

いつまで奴隷もどきが続くのか、聞くたび少しドキドキすることもアル。

兄にバイトするなら週5で入れと言われたが、

確かに週5ならば慣れるのにも時間はかからないし、

それほど頻繁に出向く勤務先が楽しい、少なくとも、

奴隷になるような場所にするなと、兄なりのメッセージだったとも言えル。

本当に社会で活躍したいなら、働き方を改革するより、

働くことについての考えを今一度、内省したほうがいいんじゃないのカ。

きっとあなたが偉大だと考える人は、平気で怪我や体調壊すぐらいの

タスクを毎日こなしているハズ。だからこそ、その方は偉大なのだから。

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