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夢現徂徠

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ロマンの織物/澱物
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#エッセイ

小人閑居してデジタルデトックス

 日頃から「流行りすたりに興味なし」とかうそぶいているくせ、座右のMacBookProがブラックアウトして使えなくなるや早速「デジタルデトックス」と当世用語を並べ立てる節操なき小人が、ここにいる。是非もない、いくら精神を紀元前アテナイに19世紀末パリに遊ばせようと肉体は令和六年ニッポンから逃れられないものだ。それならたまには現代人を気取ってみてもバチは当たるまい、確定申告も済ませたところだし。  前段の「ブラックアウト」は「画面に何も表示されない状態」にふさわしいかと感覚的

あくびの中心

 「禍福糾纆」という四字熟語がある。「禍」はわざわい、現代日本人の思考力を規定している「Google日本語入力」でもなんとか変換できる。「纆」は縄のこと、「糾」は縄を縒ることを表す。出典は『史記』だったか『礼記』だったか覚えていないが、平たく言えば御大美輪明宏女史が麗しの鼻母音まじりに囁く「人生プラマイゼロよ」のことだ。  これを基にしたことわざ「禍福は糾える縄の如し」の方がまだ膾炙しているかもしれない。どちらにしても、安っぽいセンチメントに流されがちな今様大衆社会では煙た

残夏

 黄昏に音割れした『新世界より』が響く。17時だ。何処から鳴っているのだろう、と見上げた目が西日をかすめて思わずくしゃみが一ツ出る。  もう夕方は半袖だと肌寒い。あれほど囂しかったヒグラシも鳴りを潜めた。そろそろ夕涼みもおしまい、明日から散歩は午前中に戻そうかとてくてく行きつつ考える。  けだし「夕涼み」は夏の季語である。暑かった一日の終わりに涼風を迎える慣わしのことだ。蚊取り線香と風鈴のある縁側や軒先が思い浮かぶ一方、「夕涼みに出る」で散歩を表すこともある。  似たこ

イヌと語れば

 英語、仏語、独語、古希語、簡体字、と学習してきたのは、とどのつまり犬語を解するためのような気がしてならない。6年前に実家の柴犬ケンが亡くなってから、そんなふうに感じるようになった。 「やあ」 「あっ、久しぶり!」 「調子はどうだい」 「おなかすいたよ」  夕方16時半ごろ散歩に出れば、住宅街を闊歩する面々と歓談できる。語学なんでも「習うより慣れろ」の鉄則で、そうして5年はうろうろしてきた。 「なんだ、しけたツラしてんな」 「腹減ってさ。そっちはたらふく食えてるみたいで

凡人、あまりに凡人

 数年前、吉田秀和を読んでいて、あるピアノソナタを知った。楽匠ダニエル・バレンボイムが弾く第一楽章にぞっこん惚れ込み、常住坐臥いつも流すようになった。  まもなくふらっと古書店をのぞいたら、その楽譜を見つけた。夥しい音楽関係の平積みに、1955年ヘンレ社発行の原典版が燦然と紛れていたのである。五百円、考える前に手が伸びた。  運命とはこういうものかと、翌週にはまあまあ質のよい電子ピアノをワンルームに据えた。本棚二架を処分して、マットレスやらカーペットやら模様替えして、防音

もの思う青

 毎年ほぼ欠かさず罹患する病といったら、インフルエンツァでも武漢病原体でもない。大型連休が終わり、今後しばらく祝日なしと絶望する朝ぼらけに突然やってくる、そう「五月病」である。  身も心も泥のように重たくて、どこにも行きたくないし何もしたくない。ひどいときは抑鬱症状にまで発展してしまう、あれだ。  ストレスから自律神経の働きが鈍る、日照時間が減ることでセロトニンが分泌されづらくなる、という二点が病理という。これは年を取ったらひしひし身に沁みるようになった「季節の変わり目」

めげずくじけずダンディズム

 上京したてのころ、最寄りの駅前にある某アメリカ産チェーンのバーガー店によく通っていた。地理か英語かの教科書でしか見たことなかったハンバーガーが100円(当時)で、これが大東京かとお上りさんの目には輝いて見え、それで腹を満たして講義に出るのがスタイリッシュだとオシャンティだと思っていた。バカである。  ある深夜、なんの帰りか、立ち寄った。客も店員もまばらな中、注文してボーッと待っていると、奥から出来上がったバーガーひとつが二三歩の幅の調理台を滑ってきた。  「ファスト」の

あと100秒

 「終末時計」というものがある。もとは英語で "Doomsday Clock"、いかにもSFっぽい用語だが現実のものだ。  とはいえ現実にある時計のことではない。アメリカの隔月誌『原子力科学者会報』に1947年から年一で掲載されている指標のことで、深夜0時きっかりを人類絶滅の時刻と見なして今は「何時何分何秒」に該当するのか、世界情勢をふまえて比喩してきたものである。  2022年は23時58分20秒を差していた。残り100秒である。  『会報』は、1945年8月の両原爆

大学生のいいわけに付き合ってみる

 7月下旬といえば、だいたいの大学が前期試験期間である。ここでしくじったら4月からの半期15週がまるまる水の泡となるから、熱帯夜も線状降水帯もお構いなしで誰もが血眼となる。  しかし学業ばかりにかまけてもいられぬ。部活、サークル、合コン、くっちゃべり、バイト、居酒屋、デート等々、「ニューノーマル」なるバカっぽいカタカナ語の占領下とて青春を謳歌したいものだろう。  そこで伝家の宝刀「いいわけ」の出番となる。  毎週マーキングかのように最後列にダボダボの尻を着けてApexに

王のまなざし

 ひまができたので、多摩動物公園を訪った。めあては園内マップ最北端のオオカミだ。実家で柴犬と暮らしていたこともあり、かねてより会ってみたかった。  閉園まであと一時間、季節外れの暑気で汗だくになりながら早足で坂をふうふう登る。野面の階段を上がったら、いよいよ看板が見えてきた。 「ガシャガシャガシャガシャ」  とたん耳ざわりな音がした。看板の矢印の先に洞穴みたいな下り坂が伸びている、その奥からだ。 「ガシャガシャ──」  急き立てられるように順路を抜けたら、やんだ。人

ことばが絶滅してゆく

 クリスティナおばあちゃんが亡くなった。ヤーガン族の最後の生き残り、つまり「ヤーガン語」の最後の話者だった。  ヤーガン族は南米チリの先住民、6000年前からかの地に定住していた。大航海時代(およそ400年前)のスペイン人の侵略・占領によって混血が進んだが、それでも150年前までは3000人が血脈を守っていた。それが、文字通り「0」となったわけだ。  チリの公用語はスペイン語である。ヤーガン語はそのかたわらで、親から子へ、口から耳へ、ひっそりと伝わってきた。国語ではないの

大学生のいいわけに流される

 ある都内の私立大学、後期は「対面授業」だった。新型コロナとともに遠隔授業が流行っているが、語学は演習科目として事務方から夏にお達しがあったのだ。ただし「学生が体調不安など訴えれば個別に対応せよ、既往症や家族構成等から通学に不安のある学生もいるので柔軟に」との注記あり。  要するに希望があれば「対面と一緒に遠隔もやりなさい」というわけである。もちろん給料は変わらない。教員の負担など目クソ鼻クソにしか考えていない職員の言い分だが、非常勤風情に文句は言えぬ。  10月第一週の

アメリカン・イデオロギーの教科書

 言わずと知れた『シートン動物記』の一編で、北米カランパ渓谷に棲むオオカミの首領「ロボ」の生き様を描いた感動作、という美辞麗句を取っ払ってみれば、なんのことはないただのプロパガンダである。  作者アーネスト・シートンはイギリス出身で、動物に関する専門教育を受けていない、王立協会(ものすごい権威)の奨学金を得たほど有望な画学生だった。本人も「アーティスト」と自称していた。  成人してから父親との仲違いにより渡米し、野生動物の観察記録をつけだした。それをまとめたのが『動物記』

石橋たたいてぶっこわす

 お母さんにおつかいを頼まれたけど外は雨、濡れたくないし危険な目にも遭いたくないから備えあれば憂いなし、でもそれも行き過ぎたら──という絵本の醍醐味が詰まった名作である。  物騒な昨今、特に都会では滅多に見聞きしなくなった「子供のおつかい」である。本作は1970年代のものだから、珠のようにかわいい幼稚園生くらいの女の子がお母さんに申しつけられる。  足もと悪いし髪も乱れる悪天候で外出なんて、大人であっても億劫なものだ。「でも、でも」となんやかんや言い訳するも、  雨具や