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【野に咲く花のように】 #711


彼は普段は普通の人と全く変わらず日常を過ごせるんだよ

ただちょっとだけ普通と違うところがあるんだよ
今の子たちには理解できないと思うんだけど
彼は字の読み書きができないんだ
この平成の時代に何言ってんだって感じだろ
でもなそんな人が時々おるんよ
彼は戦争孤児で闇市の隅っこでちょこまかと生き抜いた
学校にも行かず死なないように必死に生きた
10代なると住み込みで働きその後も職場を転々とし住む場所も転々とし20歳になった頃俺たちの工場で働くようになった
彼はとても良い奴なんだが字の読み書きができない
それは彼が働き出して随分としてから分かった
ずっと上手く隠していたんだ
良い奴なんだけどなんかちょっと変だなと思ったんだ
文字の読み書きが影響しているのか
彼は話の組み立てが下手だし一貫性が無くどちらかと言うとその場その場で人の意見に流される
悪い事でも良い事でもだ
言葉の理解の仕方が独特で直接的で平たい
だいたい同時に2つくらいの内容なら理解できるが3つ以上になってくると一気に混乱を招く
例えば
「喉が渇いたからジュース買ってきて」
だと
喉が渇いた

ジュースを買う
の2つだから理解してくれるけど

「喉が渇いたから工場の前の自動販売機じゃ無くてクリーニング屋の前の自動販売機で炭酸が入ったジュースじゃ無くて果汁100%のジュースを買って来てほしい」

こうなるともう無理になる
彼は子供みたいに言われた事を指で数えながら必死に覚えようとするが
覚える端から忘れていく
そしてヘラヘラと笑う

普通だったら腹が立ってくるんだけど
何故か彼は社長は元より工場の皆んなに好かれているというか愛されている
だから彼を助けるし許す

社長は将来を憂い心配した
仕事場では自分たちがサポートできる
しかしそれ以外の所までは手が回らない
今はまだ若いから良い
でも歳を取ったらなかなか助けが難しくなる
そこで社長はお見合いの話を持ってきた
この女性も彼と同じで戦争孤児でしかも左手を失っている
そのせいで中々縁談には繋がらない
人柄は上々で何よりも文字の読み書きができるし器量も大変よろしい

こうして彼は所帯を持てた
文字の読み書きも彼女から学ぼうと必死に勉強している

彼には子供も恵まれ立て続けに3人の娘ができた

こんなにも幸せな彼に不幸にも黒い闇が迫ってきた
ある日帰宅途中に商店街を歩いていると男と肩がぶつかってしまった
彼はその弾みで地面に転げた
立ったままの相手が彼に因縁をつけてきた
彼は必死に謝った
そしたら何を思ったのか男は彼についてかるように言った
逃げるという手もあったのだが彼は言葉に流される癖があるので
そのまま男について行った
そこは正真正銘ヤクザの事務所だった

「アニキ面白いもん拾てきましたよ」

「面白いもん?」

「へい
この男です」

「なんだこのボンヤリ男が面白いんか」

「そうです
今度の取引のパシリこいつにやらせようかと思ってますんや」

「そんなもん組の若いもんにやらしたらええこっちゃがな」

「あきませんって
相手にうちの組ってバレますやん
それは避けたいってアニキ言うとりましたやん」

「まぁそうやけど
どこの馬の骨ともつかんこんなボンクラにそんな大役大丈夫なんか」

「アニキこれは咬ませ犬です
空っぽの荷物運ばせますよってに
取引してる最中はあっちの組も手薄になります
そのスキに頂くもん頂きに行く
そういう流れですわ」

「なるほどな
まぁ一回やってみよ
失敗したかてあのボンクラが背負うだけや
ほんなら見張りつけてボンクラ行かせ」

「承知しました」

この後
組の名前は伏せて取引の電話を入れた
向こうの組は簡単に飛び付いた
しかも急いでるようですぐにでも取引したいと言ってきた
渡に船である
早速彼に仕事の話をした

「にぃちゃん許してほしいやろ?」

「はい許してほしいです」

「ほんなら今から俺の言う事を聞いてその通りにしてくれたら許したるわ」

「その通りにしてくれたら許してください」

「そうや
ほんなら話すから耳の穴ようかっぽじって聞きや」

「かっぽ?聞きます」

「この紙袋持って4丁目の公園あるやろ」

「4丁目の公園
4丁目の公園
4丁目の公園…」

「えっとなぁ
さっき俺とぶつかった所あるやろ」

「ぶつかった所
はい」

「あそこをまっすぐ行ったら左手に公園があったろ」

「左手に公園
公園
公園
あっあります」

「よっしゃ
あの公園に今から行ってほしいんや
ほんでなこの紙袋を相手に渡して
代わりに別の多分紙袋やと思うんやけどなんや渡されるから
それ貰って此処へ戻って来い
もしなんかあったらアカンさかい
用心の為にこのドスも持って行き
でも何も無いのに振り回したらアカン
分かったな
なんかあった時だけそれ使うてええから」

「なんかあったら使う
はい」

「よっしゃ
ほんなら今から行ってき」

彼は言われた通り公園を目指した
これはちゃんと覚えていた
公園に着くと男が5人ほど居た
彼は誰に渡すのか知らないのでベンチに座った
周りをキョロキョロしながら男たちが近づいて来た

「アンタか物を持って来たのは」

「物じゃ無くて紙袋です」

「何言ってんだコイツ
それで良いんだよ
さぁそれをよこせ」

「それをよこします
はい」

「中をあらためるぞ
いいな」

「いいな
はい」

「おいっ
オマエふざけてんのか
なんたよこの熊のぬいぐるみは
なめてんのかっ」

「なめてんのか
はい」

「はいだとぉ」

次の瞬間
彼はドスで男を刺してしまった

男は地面にうずくまった
周りにいた舎弟たちはブチ切れて
彼をボコボコにした瞬間
警察官がざっと現れた
張り込まれていたようだ

それを陰から見ていた若いのが組へ戻り計画がバレてる事を告げた
きっと組に裏切り者がいるのだろう
その話はまた別の機会にしよう

彼は警察に拘留された

刺された男がヤクザなのと軽症で命には別状が無かったこと
それから彼はヤクザでは無くて命令されて犯行に及んだこと
それらを踏まえて実刑半年の執行猶予3年で済んだ

工場はクビになっていない
もちろん離婚もない
むしろ皆んなは安堵し逆にサポート不足だったことを反省していた
彼はそこまで愛すべき人だった

その後も彼は必死に働き3人の娘さんも嫁ぎ彼は定年まで働いて今は奥さんと2人水入らずの生活を送っている
今の彼の一番の楽しみは読書である

気がつくと平成も終わり令和と新しい元号へと変わっていた





ほな!

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