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【短編小説】ビビットカラーと除湿機①

 彼女は、ビビットカラーと除湿機、この2つをなによりも愛している。愛しているの度合いがどれくらいかと訊かれたら、僕は彼女自身じゃないし、どこかの超能力者みたいに他人の心を読むこともできないし、ましてや脳内を覗き見るなんてこともできないから、どれほどの熱量をその2つに向けているかは正確には分からないけれど、相当という言葉を使っていいくらいに彼女がその2つを好きだということは分かる。
「今日もすごい湿気。朝から水がぽつぽつ窓を叩く音を聞いた瞬間、心が地獄の底まで突き落とされたわ。別に、雨が嫌いってわけじゃない。むしろ好きなのに。嫌いなのは、湿気だけ」
 休日の朝、ビビットなオレンジ色のパジャマに身を包んだ彼女は、綿あめのように膨らんでしまった髪の毛を細い2本の指で挟みながら、起きて早々僕の顔を見て湿気のことを話しだした。次に彼女のやる行動は、雨の日には傘をさして歩くというほど当たり前になっているため、想像する余地さえない。
 まず彼女が向かった先は、リビングの四つ角に置いてある彼女の膝下までほどの大きさの白い箱だった。彼女の長い指がその箱のスイッチ部分に触れ、押すと『ぴっ』と音が鳴る。電源を入れると、彼女は暫くそこに立ち、ベランダに続く窓の方向を見て、今日一日の気分を大きく作用する空を眺める。ちなみに今日は言わずもがな、空を見ている彼女の口からは雲と同じグレーの息が吐き出され、髪の毛を触る指の本数は2本から3本、ついには5本にまで達し、手全体がカーテンのような彼女の長い髪の中へと吸い込まれていった。ビビットなオレンジ色は、今日のような天気の日にはより一層その色を際立たせ、家の中にいても感じる雨の日の暗さの中で、オレンジはまるで生命力を引き立たせるかのように存在している。彼女は今度は置き時計に記されている数字を見ると、髪を何度か手で梳かしながら、これはもう見事な、溜息に分類するしかないくらいに盛大に息を吐きながら、「歯を磨いてくる」と言い、ようやく箱の前から去っていった。除湿機は、外からふんだんに入ってくる水分を吸い、空気から重さをなくしていく。ついでに、今炊飯器から容赦なく吹き出している水蒸気もまた、雨の日の湿った空気と共に除湿機は吸い込んでくれるはずだ。と思うが、炊飯器の水蒸気は多分、除湿機よりも強力に吸引力を発揮する換気扇へと吸い込まれるだろうと、水蒸気の行く先を見て思う。雨は強くなる。外から聞こえる雨が地面を叩く音がだんだんと大きくなり、外の景色が雨の白い線によってどんどんとぼやけてくる。きっと彼女の機嫌も、雨の強さに比例してどんどんと悪化して、最後には爆発
した髪の毛のように彼女自身も爆発するだろうと想像すると、見た目と感情を同時に大破させた彼女の姿が、やけに滑稽に脳に刻み込まれた。
 雨の日と言うと、彼女に関する記憶中で『楽しい』と言えるものは一つもない。 「ああ、もう。日本はこれだから嫌になる。雨が多いのよ、雨が」
「まあまあ、とりあえず座ってさ、朝食にでもしようよ」
「こんな雨の日に呑気なあなたを見ていると、自分が馬鹿らしく思うし、あなたがとても羨ましく感じる」
 彼女の髪に纏わりつく湿気は、彼女の髪だけでなく彼女自身の感情を膨らませ、彼女はそれにいつも振り回される。まるで、自ら振り回されようとしているかのように、雨の日になると毎回こうだ。もちろん雨の日以外の湿気の多い日にも。
「そういえば、こんなものを買ったの」  と言って彼女がまだ朝食の並べられていないテーブルの上に置いたのは、今まさに湿度を下げている箱よりもさらに小さい箱だった。彼女はそれを除湿機だと言った。そしてその除湿機には、紐が取り付けられている。もっと正確に言うと、リユックの肩紐のような幅のあるもので、まさに背負えるようになっていた。
「持ち歩き用の除湿機よ」
「持ち歩き?」
「そう、これがあればいつでも除湿ができるってわけ。例えば電車に乗っているときなんか」
「それを背負いながら電車に乗るってこと?」 
「そう」
 この肩紐、もう少し長くしたほうがいいかも、と言いながら実際にその箱を背負う彼女の顔は至って真剣であり、例えるならばときおり街で見かけるピンクのワンピースを着て早々と何食わぬ顔をして歩いているおじさんと同じ類だ。炊飯器が短いメロディを流し、炊き終わったことを知らせてくると、2つの皿に目玉焼きやトマト、ちぎったレタスをのせて、カップにはキャベツとニンジンを刻んだコンソメスープ、あとは彼女が毎朝食べているドライプルーンを皿の空いているスペースに添えて、テーブルに並べた。彼女は背負っていた除湿機を床に置いて、いつも通りビビットカラーのお椀を持って炊きたてのご飯をよそうために炊飯器の蓋を開けると、中から出てきた大量の水蒸気に思い切り顔を包ませた。しかし彼女はその大量の湿気は気にしない。むしろ自ら手を仰ぎ白い水蒸気を自分のもとに手繰り寄せて、ううん、炊きたてはやっぱり最高、と言って思い切り鼻から吸い込む。ビビットカラーなお椀は中までもがビビットカラーに染められていて、その色は目に多大な刺激を与えてくる水色。水色の中に十六穀で染められた淡い紫色のご飯が入ると、まるでままごとのセットのようにも見えた。



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