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【短編小説】ビビットカラーと除湿機②

「この雨はいつまで降る予定なの?」  と言いながら、真っピンクのカバーに囲まれたスマホを弄ると「今日は一日中雨だって、やになる。一日中除湿機が手放せないわ」と言って、床においてある除湿機を手で撫でた。
「それって重くないの?」
「別に重くない。湿気に比べたらどんなものだって軽いの。わたしにとって世界で一番重いものは湿気」
 彼女はスマホを、画面が割れることなど気にもしないように結構な音を立ててテーブルに置くと、いただきますと挨拶をしてから、ビビットな赤色の箸をまるで見本のように正しい持ち方をして、朝食を食べ始めた。彼女はときおり喉を鳴らした。それは機嫌のいいときには絶対にやらないことだった。喉を鳴らしたあとの彼女はいつも、眉を顰めて不機嫌を100パーセント表情に表す。
「湿気よ。全ては湿気なの。からっとしたところに住めたら最高なのに。大学のときにフランスに留学したでしょ? 最高だった。あっちはからっとしてるから。ねえ、あなたの会社って海外転勤あるでしょ? 地中海あたりの国に転勤の予定なんてないの?」
 彼女の声には、明らかな感情の揺れが含まれており、1つ1つの単語を発するごとに、揺れの幅は大きくなっていく。地球をまるごと呑み込んでしまいそうなほどに降る雨は、一向に弱くなる気配を見せない。普段ならすでに十分な明るさを持つ空は、この大雨においてはまるで夜の始まりのように暗いままだ。彼女のパジャマのビビットなオレンジのように、彼女の気持ちもスペイン人みたいに陽気になればいいものの、しかしビビットカラーは湿度には常に負け続けている。
「今のところそういう話はないな。確かに、あっちのほうは湿気が少ないし、君にとっては過ごしやすいかもしれない」 「そうよ。あっちに行けばこんなもの背負わなくてすむもの」
 そう彼女が言った瞬間、机の下で除湿機がテーブルの脚らしきものとぶつかる音が聞こえた。どうやら彼女は感情に任せてそれを蹴ったようだった。しかし眼の前に座る彼女は、繊細な機械を蹴ったという事実などなかったかのように、ビビットなお椀に盛られた十六穀米を食べている。今日の彼女を一体どう扱えばいいのやら、と思ったが、どう扱ったところで彼女のこの湿気に対する嫌悪が消えるはずもなく、だからいって僕がこの湿気を魔法のように消せるはずもなく、スープを飲みながら無駄な考えを胃へと流した。
 雨という檻にサーカスのライオンのように強制的に入れられた今日、どこかに出かけて憂鬱をどういう形でも減らしたいと思ったが、それも難しそうだと思った。しかし、なんとかして彼女を窮屈な部屋の中から出し、せめてこの雨を感じないところに連れて行ければ、多少の彼女の湿気による苛立ちも収まるのではないか、と思う。例えばどこがいいかどうか。
「今日、映画館でもどう? 最近行ってなかったし」
「映画?」
 彼女は、一度首を横に倒して「ううん」と言い、「今ってどんな映画やってるの?」と訊いてきた。
「それはまだこれから調べるんだけど」 「わたしもちょっと調べてみる」
 彼女はビビットな箸からビビットなスマホに持ち替えて、早速今放映しているものを調べ始めた。不機嫌という言葉を纏っている彼女には、ミステリーだとか純文学的な内容よりも、SFだとかファンタジーだとか、コメディのほうがいい。
 彼女のスマホの色を見ていると、そういえば彼女がビビットカラーを好きだという理由を訊いたことがないなと思い出し、しかし今はそれを訊くタイミングでもないと思うと、せっかくでてきた疑問は再び脳の迷いの森に引っ込んでいった。彼女は再び「ううん」と唸りながら画面を見ていて、途中ミニトマトを口に放り込んだ。


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