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【短編小説】ビビットカラーと除湿器③

「これなんかどう?」
 と彼女が見せてきたのは、いかにも純文学的な映画で
「それより、こっちのほうが面白そうじゃないか?」
 と、アメリカでヒットしているというディズニーの実写版を勧めてみると
「そうね、確かに、今流行ってるしそれもいいかも」
 と、僕の計算に一切気付いていないかのような態度で、意外にも抵抗なく受け入れてくれた。彼女は再び朝食を食べ始めた。外の雨は相変わらず強く地面や壁、窓を叩きつけており、弱まる気配を一切見せない。雨の音と彼女のビビットな色たちは反発し合うのではなく、むしろ互いが互いに歩み寄っているようにも見え、雨が強くなればなるほど、主張の強いそれらの色もまたより輝度を増しているような気がした。  朝食を食べ終え外出の用意ができ、その頃にはほんの気持ちばかり雨が弱まったようにも見え、骨の16本ある傘をさして映画館へと向かった。彼女は目立つ青色のワンピースに身を纏い、雨の中を歩いている。彼女の周囲に降る雨の雫は、まるで彼女の洋服の色や堂々たる姿に屈服しているようで、錯覚か事実か、雨の雫が彼女を避けているようにも見えた。しかし、避けているのは雨ばかりではなく、彼女もまた文句を言いながらなるべく雨の当たらない屋根の下などを歩き、自分を守っていた。
「その服の色だと、暗い映画館の中でも目立ちそうだね」
 純粋な感想を彼女に投げかけた。
「この服が映画館には相応しくないってこと?」
 けれど彼女には屈折した形で言葉が届けられたようだった。
「いや、そういうことを言ったつもりはなくて、ただの感想だよ」
「そう、ただの感想。それより、映画観ながらなにか食べる?」
「食べたい?」
「まあ、映画館と言えばポップコーンでしょ? でも、今朝食を食べたばかりだし、せっかくのポップコーンもそれじゃあ味わえないかも。なにか買うとしてもせいぜい飲み物」
「同じように思ってた」
 彼女はいつもよりも若干広がった髪の毛を指に巻き付けて、「でしょ」と言った。すれ違う1割くらいの人が、彼女のビビットな青色のワンピースに目を奪われていた。しかし彼女は、それらの視線など気にすることなく、ただ我が行く道を真っ直ぐに見つめている。まるでビビットなカラーと同じような視線で。
 しかし彼女は初めから、こういう目立つ色、自ら発色しているような色を着ているわけではなかった。どちらかというと、太陽の光に照らされている月のような、どこか奥ゆかしげで周囲に難なく溶け込むことのできる黒やベージュ、白などそういう色を好んでいたようにも思える。僕が彼女と出会ったのは、大学のときだ。桜の花びらが散り、ピンクが落ちていってしまったところに今度は若々しい黄緑色の葉が太陽に照らされて、街全体がこれから夏に向かおうと輝きを増し始めている季節、それは大学の1年目ではなく2年目のできごとだった。今日のこの豪雨と言うしかない天気とは真逆の、今すぐにも緑で覆われた丘に行き、そこにレジャーシートを敷き、手作りのサンドウィッチやおにぎり、肉団子に卵焼き、カットフルーツなどを食べたくなるような天気の日だった。どうして数年前のことをそんなに鮮明に覚えているのかというと、その日は彼女に一目惚れをした日だったからだ。初めての体験で、彼女という存在が一瞬にして頭の中を埋め尽くし、まるで大学に入学するときのような胸の高揚を覚えた。
 彼女がビビットなカラーに身を包みだしたのは、大学を卒業し、社会人2年目になろうとしているときだった。彼女はいきなりそれまで持っていた洋服を全て捨て、「今日から生まれ変わるの」と宣言してその日に洋服を買いに行った。荷物持ちとして彼女のショッピングについていくことになった僕は、彼女の選ぶ洋服の色にいちいち大げさなほどに反応し、彼女が試着するたびに訊ねたものだった。「本当にそれ買うの?」と。
 ビビットなカラーに身を包んだ彼女は、メイクもそのビビットなカラーに合わせて濃くなった。ついでに性格も、普段から軟弱という言葉を連想させる彼女ではなかったが、より強靱な雰囲気を身につけたような気がした。



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