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【短編小説】ビビットカラーと除湿器④

 映画館に着くと、彼女は一つ息を吐いて、「ここなら雨の音も聞こえなくていい」と言った。商業施設の中に入っている映画館は完全に外の音とはシャットダウンされ、好きな人も多いであろう、雨がいろいろなものを打ちつける音は、一切聞こえなかった。
 映画の間、当たり前に彼女は湿気についての文句を口にはしなかったし、身体から発せられる雰囲気もまた、映画というエンターテイメントに包み込まれているおかげで、刺々しいものはなかった。しかし、彼女の髪はやはり膨らんでいた。横に座る彼女の髪が視界に入ってくるたびに、映画ではなく湿気のことが脳に入りこんできて、映画を鑑賞することを一時中断させた。しかし知っているストーリーだったので、内容が分からなくなることはなかった。
 映画が終わると、彼女は「せっかくだし、買い物でもしない?」と、アパレルや小物、海外食料品店など様々なところに足を運んだ。そのどこにいようが、彼女のビビットな色は目立っていた。ときどき、彼女と同じようにビビットな服を着た人たち数人とすれ違ったりはしたが、彼女たちは自分たちがビビットな仲間であるという態度は一切見せず、あくまでも赤の他人として振る舞っていた。
 時刻は昼の12時と1時の間を示しており、昼を食べようという話になった。適当に空いている店へ入り、適当に食べたいものを注文した。
「思うんだけど、職場ではその服の色についてなにか言われたりしないの?」
 彼女は、飲んでいた水を噴き出しそうになった。「職場に着ていくものはこれよりも薄い色だし。わたしの会社は服についてはうるさくないから。みんな好きなものを着てるって感じ」
「そう、ならいいんだけど」
 彼女は不服そうな顔をしながらも、それ以上話を展開させることなく、たった今運ばれてきた天板に乗せられてじゅーじゅーと音を立てているハンバーグを見ると、まるで1週間も獲物に辿り着けなかった野生動物のような視線をその肉の塊に向けた。なんでビビットなピンクを着るようになったの。質問の内容自体はなんてことないものだった。しかし、僕はなぜかそれを彼女に言えないでいた。彼女がビビットな色で自分を包み込むようになったその理由を知りたいと思う反面、知るべきではないという警告音が、誰かが強く吹くホイッスルのように脳内に響いていた。
「そういえば、除湿機は持ってこないんだね」
「一応ね。映画館だったから。それに、映画館の空調設備は素晴らしいの」
「そっか」
「そう」
 彼女はナイフとフォークを持つと、肉を大胆に6等分して、まるでシーエムのワンシーンのごとくに大きく口を開けて食べた。健康的だと思った。それが下品だとは思わなかった。口の端から汁やソースが垂れることもなく、口の中を見せながら咀嚼することもなく、あくまでも品を保っている彼女は、ビビットカラーで身を纏っているときも同じだった。彼女が着ることで、ビビットはまろやかになるような気さえした。
 商業施設から出ると、相変わらず雨は街を存分に濡らしていた。さきほどまで上機嫌を保っていた彼女は、暗い空模様を見ると眉を中央に寄せた。真っ青な傘をさして雨の中へと進んでいく。青は暗い街中の光になる。
 彼女が水溜まりを避けて歩いているのを見ていたら、まさかの自分が水溜まりにはまってしまい、通気性のいい靴は水を存分に吸い、足を濡らした。彼女はそんな僕の姿を見て大笑いした。
「そんなに笑わなくても」
「だって、思い切り水溜まりに突っ込んで行ったじゃない? それが面白くて」 「確かに面白いかも知れないけど、僕としては足がびしょ濡れで最悪だよ」
「そうね、早く帰りましょう」
 彼女の青い傘が揺れている。傘からちらちらと見える横顔から、口角がきゅっと上がっているのが見える。偶には彼女との雨もいいもんだなと、初めて思えた瞬間だった。



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