#6 競歩はメディア 勝つこと以外の愉しさとは?

競歩は私にとってメディアです。人生を楽しむための媒体。

そんな選手がもっと増えて欲しいと思い、SNE Athletesを立ち上げて情報発信したり、選手をコーチングしたり、啓蒙したり、その一方で仕事もバリバリやってます。

私は競歩を始めた高校2年の夏から大学3年の春くらいまで、いかにして勝てるようになるかだけを考えて競技生活を送っていました。そもそも競歩を始めた理由自体が、それまで専門種目にしていた800mよりもインターハイを目指すのに現実的だったからです。結局県で5番留まりでしたが。あの時はとにかく、周りに勝つための何かを手に入れたかった。

スポーツ推薦を受けられるレベルではなかったので、一般受験で法政大学に入学し、長距離ブロックの門を叩きました。高校3年間を普通の公立高校で過ごしたので、全国大会レベルで戦ってきた選手がゴロゴロ居て、非常に刺激的な毎日でした。私自身も早く勝てるようになりたくて、とにかく昨日より今日、今日より明日は速く, 長く歩けるように追い込み続けました。その甲斐もあり、大学2年の冬には20kmのレースで、初めて出た20kmのレースより10分もタイムを縮めることができ、まだまだいけそうだと思いました。

しかし大学3年になってすぐ、故障と貧血の連発でまともに歩けなくなりました。特にハムストリングスの肉離れのせいか、膝が綺麗に伸びなくなりました。失格も嵩み、どんどん自分本来のフォームから離れていきます。

その結果、2017年の4~7月に出た4レースのうち、ゴールしたのは1つのみでした。しかも自己ワースト3に入る遅いタイムで。

競技を続けるべきか非常に悩みました。両親から, 部から, 友人から支援してもらってるのに、ゴールすることすら儘ならない。学生時代の3ヶ月は、高校時代無名だった選手がトップに下剋上するためには決して無駄にできない、大切な期間です。進歩はおろか練習をすればするほど歩けなくなっていく。3ヶ月間を無駄にした私は、もう頂点に追い付けないと、諦めました。

けどそのときたまたま会った後輩からハッとすることを言われました。「私は勝ったきむさんを見たことないけど、勝てないきむさんは十分に楽しそうだけどね。」と。

集団でレースを進めているとき、自己ベストを更新したとき、練習してるとき、チームメンバーと練習後の食事をしてるとき、遠征でたまに会う日本中の友人たちと話すとき、競歩の技術について試行錯誤するとき。私は確かに競歩を楽しいと感じていました。

また、競歩は私にとってメディアとも言えます。これまで競歩をやっていたからこそ自分に興味を持ってくれる人が沢山いました。大学の教授や研究室のメンバー, 法政大学陸上競技部に在籍していた日本トップレベルの選手達。競歩を始めなければ決して知り合うこともなかったような尊敬できる人々と話すことの楽しさをそのときの私は享受していました。

その瞬間から私は勝つことに楽しさを求めることを辞めました。スポーツの本質的な楽しさに着目し、より自分を高めてくれる競歩という種目を、勝つことだけでなく様々な方面から楽しみ尽くしてやろうと、そう決意しました。その後50km競歩に取り組んだりクラブチームを立ち上げたり、競歩を媒体にして多くのことに挑戦しています。

私は普段、不動産仲介の営業マンとして社会に出ています。毎日刺激的で、人として学ぶことばかり。所謂バリキャリでいながらアスリートとも携わりたいという、欲張りな生活をしています。

けれど私みたいな、競歩を趣味にしているような大人が増えないと競歩に未来は無いとすら思っています。日本の競歩界は世界的に超ハイレベルです。それなのに現状の認知度, 盛り上がりというのは正直東京オリンピック前ということを加味するとマズイです。2020以降の競歩は本当に一スポーツとして成り立っていくでしょうか?

競歩を盛り上げるためにはある程度お金を持っていて、経験もあり、社会的な繋がりを多く持ってる社会人競歩選手一人一人が立ち上がる必要があります。そのためにも社会人で競歩を続ける選手が増えなければいけません。"勝つため"以外の理由で競技に取り組む選手を増やす必要があるのです。仕事を他に持っていてもそれに活かせて、その仕事が更に競歩を楽しむための武器になったら、人生愉しくないですか?

勝つことを求める"Serious Athlete"は重要です。現に日本のトップレベルの選手達は想像を絶する厳しさで競技に取り組んでいる。その一方で、"Simply Naturally Enjoying Athletes "も同じように必要だと考えています。何と無くそう感じてるだけですが。

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