#227 人材育成が上手なマネージャーは「経験不足」で思考を止めない 24/8/9
みなさん、こんにちは。
今日は、人材育成を考えます。
(実例を基に編集しています)
以前人事制度チューニングを考えていた際、ミドルマネージメント層の人材育成を制度や仕組みにどのようにアップデートを行なうか、考えていました。その中で人材育成に課題をわたしなりに整理しました。
先日タレントマネージメントの会議で、ある事業部門の課長職レイヤーの人材レビューや次のポストや機会をどう考えるなど育成に関する議論をしていました。そのときに、わたしが上記で考えていた課題と共通的がガチっとはまったと感じました。
例えば、3割~4割程度の課長職に共通していた点が「経験不足」です。そのため、経験を積んでいくこと、それを部長がフォローすること、とレビューをしていました。
確かに、経験を恒常的に積み重ねていくことはそうですし、経験から学ぶ、と言われるように「経験」がキーになることは間違いありません。しかし、「経験」は「情報」と同じです。仮にビジネスで必要な「経験」が物理的・論理的に網羅できると定義したとします。それをポイントラリーのように、全部を埋めることができたとして、果たして課長職として完全体になるかといえば、「いいえ」とわたしは答えます。
すべての経験が、完全な情報が、もたらされることはないと前提において、不確実な中で、どのように判断し、決定し、行動するか、が現実です。
ではなぜ、「経験不足」で思考が停止してしまうのか、考えてみます。
1つは、その相手の人材(課長)のありたい状態を、本人とも合意していない、上長が示していないから、と考えます。
ありたい課長像、なってほしい課長の姿がなければ、現状とのギャップをイメージすることはできません。イメージできないことはマネージできません。
ですから、現状からスキル習得のように、現状を基点に積み上げることで何となく習熟していくことが成長支援・人材育成だ、と底の浅いところで捉えてしまい、解像度の粗い「経験不足」に着地してしまうのだと考えます。これが根本的な原因です。
次に2つ目、1つの経験から、学びを抽象化し、構造化することがないからです。いわゆる経験学習サイクルが回っていない、と考えます。
網羅的な経験はできませんから、大小問わず1つの成功体験や失敗経験をどう捉えるか、振り返りの自己内省、どんな意味があったか、他者のフィードバックからもう一段の内省と意味づけ、汎用化を行なう。そして次にどう生かすか、です。この経験学習サイクルが、上長によってもたらされていないことです。
人の成長は、身体的「体験」の機会と、それを上長などの「人」を通じてもたらされるフィードバックによって成立する、と考えます。
ですから、いくら「経験」があっても、それを1つの具体的な経験でしかとらえていないと、大学の単位取得のように、現実には論理的に完全なる経験の修了がないわけですから、1は1でしかないことになります。ですから、1の身体的体験を一般化し、汎用的に活用できる学習にする必要があります。そのことに思考が至っていないこと、これが2つ目の原因と考えます。
3つ目には、問題解決スキルと問題解決すること、そしてリーダーシップを発揮すること、これらの違いを区分していないことと考えます。
まず問題解決スキルは、フレームワークや分析手法の方法論を用いて、現状の分析や問題解決の方向性を設計するスキルです。これがあくまでも分析と設計のスキルであり、これがあるからといって直ちに問題解決がされるわけではありません。
問題解決する実行自体は、上記の分析から得られた設計に基づき、主にチームメンバーが実行者・実行部隊となって、解決策や改善策を実装します。組織のリーダーたる課長が実行するのではありません。実行フェーズにおいては、課長は活動を管理して問題解決を図ります。
そして、この「問題解決」、あえてプロジェクトと呼びます、の全体をリードし導いていく、その先頭に立ってチームメンバーを鼓舞すること、これを発揮するのが、リーダーシップを発揮することです。
抽象化したこの3つの位相のことを区分して認識できていないため、そのどこに、その課長の発達課題があるのか、具体化に至らないのだと考えます。
第一の分岐でいえば、マネージメントとリーダーシップの領域のどこなのか。なお、これも単純化するために二分法的に扱っていますが、本質的には二項対立の区分ではないと考えています。話を戻して、よりリーダーシップの視座に行くのが望ましいですが、それはその課長のステータスによります。
このことが、制度や仕組みで人材育成を考えていたときと、タレントマネージメント会議の中で出た話と、ガチっと結びついた感覚でした。
さて、みなさんは、自分の考えている点と点が線で結ばれるような機会は、どれくらいありますか。
それでは、また。