すずめの戸締まりを観て思い出したあれこれ

映画「すずめの戸締まり」を観て

※大いにネタバレを含みます。




新海誠の最新作、すずめの戸締まり。
前作、前々作がミリオンヒットということで、そんなに混まない地元の映画館でも混雑が予想された(のと、単に都合がつかなかった)ため、3週目にようやく鑑賞。
年間30本ほど映画館で映画を観る私は、気になる作品は前情報をほとんど入れずにふらっと観に行くことが多い。
観るのは洋画とアニメが半々くらいで、実写の邦画は年に3本くらいしか観ない。
marvelなどのシリーズものは敷居が高くて観ていないが、それ以外の話題作は面白そうなら一通り観ている。

新海誠との出会いは実は映画ではなく、とある美少女ゲームである。詳しくは割愛する。
初めて観た映画の作品は秒速5センチメートル。何も感じなかった。
次に大学の講義でほしのこえを観た。エモかった。
星を追う子どもは友人に観なくてもいいと言われたので観ていない。
言の葉の庭は大好きだ。でもどちらかと言うと同時上映だったショートムービーで既に号泣していた。
君の名は。は話題になるより先に観た。ハッピーエンドなことにびっくりしたのと、トンデモ設定だなぁ、と思っていたら、いつの間にか社会現象になっていた。
天気の子はとりあえず惰性で観た。君の名は。よりは好き。何より音楽がいい。「大丈夫」はしんどい時期の心の支えになった。

元来アニメ好きだった(今は過去形)私は細田守と新海誠とディズニー作品は新作が公開されたらとりあえず見ている。
ルーティンみたいなもので、その行動に深い意味はなくて、毎回観ているからファンというわけではなく、当たることもあれば外れることもある。
すずめの戸締まりはどうしても情報をシャットアウトすることができなくて、震災描写が結構キツめであるということはなんとなく知っていた。
結論から言うと、その震災描写が私の中の何かを揺さぶった。ストーリーに泣いているのか、震災描写に泣いているのかわからなかった。

物語の流れとしては、主人公が旅の途中で出会う善い人たちに助けられながら目的を達成するというシンプルなものである。
フィクションの中にしか存在しない善人が、しんどい現実と対比されて救いになっている気さえした。
ストーリーの考察は各所で既に行われていると思うのでここでは特に語る必要もないだろうと思う。
ここから先は、私と東日本大震災という出来事、その先にあった人生に少し触れながら回顧していこうと思う。

東日本大震災が起きたとき、私は高校生で友人数人とカラオケボックスにいた。
目眩のような横揺れを地震と認識するのには少し時間を要した。
当時はまだガラケーが主流だったが、オタクの中では既にコミュニケーションツールとして広く流通していたTwitterで情報を得た。
なんだかとんでもないことが東の方であったらしい。
震源が東北。東北なのにここが揺れた。
その日から日本列島は異様な空気に支配されていった。ニュースとACのCMしか流れないテレビを見続けて、増え続ける死亡者の数を現実のこととは到底受け入れることはできなかった。
暗闇の中で火の海になっていた気仙沼(常世の火の海はこれがモチーフなのだろう)と、翌日に見た壊滅した女川の映像は、この世のものとは思えなかった。
その後もさまざまなことが起こったが、私の中ではこの二つが今でも強く脳裏に焼き付いている。

それから月日は流れ、私は地元を離れて県外の大学に通った。
専門性の高い大学だったので、半数が地方からの下宿生であった。
そこで出会った友人Aは宮城県出身だった。海側ではなく山側に住んでいたから津波の被害には遭わなかったものの、家は半壊だったそうだ。
一緒に街に買い物に行ったとき、Aとそんな話になった。
彼女は震災の前に心を病んで不登校になっていたらしい。それが震災で有耶無耶になって、なんだかんだ進級をして今に至ると話していた。
彼女は「震災の経験で得たこともあった」とそんなようなことを言っていた。
友人Aとは四年間のうちに仲良くなったり仲違いをしたり、結局あまり親しい仲ではない状態でお別れをしたと思う。

そんな友人Aと卒業後に連絡を取るきっかけとなった大きな出来事があった。個人の特定の恐れがあるので、その事件の名前は伏せたいと思う。
ただ、あの日職場で母から「◯◯が大変なことになってる。誰か働いてたよね?」のLINEを受け取った私は居ても立っても居られなくて、彼女にLINEをした。無事らしいという情報は手に入れていたものの、とにかく心配だった。
数日後返信があった。当時の状況や容態を細かく書いてくれていた。恐らく私以外の何人もの友人に同じようにして送っていたのだろうと思う。迷惑だっただろうか。
しばらくして、退院の報告までしてくれた。

友人Aとはそれから連絡を取っていない。会いたいと思うけれど、最後そんなに親しくなかった私と会って嬉しいのだろうか?という気持ちも無きにしも非ず。
たった一人の共通の友人Bとはお互いに交流があるため、友人Aの近況は断片的に聞いている。
高校時代に不登校だった彼女は、震災、それから人生を揺るがす大きな事件に巻き込まれたにも関わらず、復職をして今もかつての職場で働いているらしい。
神様はとんでもなく不公平で、試練を与えられる人は平等ではない。
震災の話題を目にする度、私は友人Aのことが頭を過ぎるようになった。
きっとあの事件がなければ忘れていただろうけれど。
すずめの戸締まりを観て、生々しい震災の描写に無意識に友人Aの姿を重ねてしまった。
きっと彼女はそんなことを望んではいないだろうけど。

2011年3月11日に被災した多くの人たちにはそれぞれの人生がある。
すずめはあの映画の中で主人公になったけれども、主人公ではないすずめのような人々が数え切れないくらいいるのだろう。
あの映画の中で描かれた被災地の街の風景を芹澤は「綺麗」と形容した。しかし、当事者であるすずめにはそれが理解ができなかった。
私はあのシーンがこの映画のハイライトの一つだったと思っている。
被災当時4歳で記憶もあやふやなのすずめの目には、一体どんな風景が見えていたのだろうか。

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