INFJの個人的徹底解説!2024年版 前編【INFJの心の中について】
16Personalities性格診断テスト…韓国アイドルから有名になったのをはじめとし、最近はかなり広まって来て、学校や会社など周りのコミュニティで話題にされているよ、という人も多いかも知れません。
質問(結構な量ある)に答えていくと自分が16タイプのうちのどの性格タイプがわかるという、無料ながらなかなかに濃厚な性格診断テストです。
中でもこの性格タイプのうちのINFJ(提唱者)が、noteで検索すると断トツでヒット数が多く、2024年1月時点で約7,000件もあります。(次いで多いのがINFPの約4,000件。)
「最もまれな性格タイプ」と言われているにもかかわらず、本当に多くのINFJの方々がここで心の内を明かしているのがわかります。
逆にそれぐらい、リアルでは自分のことを話す機会がないということなのかも知れません。
私のnoteでもINFJに関する記事がよく読まれているみたいで
過去の投稿でも未だに信じられないほどのスキ数とコメントの数々…
本当にたくさんの方に読んでいただけて、嬉しい限りです!!
ありがとうございます。
ですが上記の記事は2020年の物で、今にしてはちょっと古いんですよね。
3年以上が経った今、私自身に大きく変化があったことや、
2023年半ばに16personalitiesの設問や解説の文言が新しくなったと聞き、
実は先日、もう一度受けてみることにしました。
しかもINFJの秘密基地のzoom会で、みんなに画面を公開しながらリアルタイムでの診断。
「もしかしてINFJじゃなかったら…どうしよう(どうもしないが)笑」
という若干の不安を抱きつつ行った、ドキドキの結果は…
やっぱりINFJ(-T)でした。
自分がINFJであると知ってからこれだけ内面に変化のある数年を経たにも関わらず、診断結果が変わらない…というのは、面白いことだなと思います。
ということで今回は、INFJ自認歴4年(なんかそわそわする響きだけどまぁいっか…!)の私が、16personalitiesのINFJの解説を読んで共感したことや、考えたことを改めて共有したいと思います。
とっっっても長くなったので、前編と後編に分けてお送りします。
前編では主に「INFJの心の中でいったい何が起こっているのか?」について書いていこうと思います。
分けたのに、この前編でも読むのに10分くらいはかかると思います。
なんでいつもこんなに長くなるんだろうね…
※この記事はあくまで私の個人的な共感・思考を綴ったもので、INFJというものを定義づけたりするものではありません。「違う」と感じる場合もお互いの個性だと思っています。
※MBTI公式を知る方へ:私は公式セッションでもINFJという結果になっています。この記事ではそんな自分も思い起こしながらの内容となりますが、MBTIとは別物としてお読みいただけたら幸いです。
過剰評価な気もするけど…やっぱり「その通りです!」
前から思っていましたが、16personalitiesのINFJの解説ってなんだかヒーローみたいな感じがして、「私って本当にこれなの?」と結果を疑いたくなるような感じもあるんですよね。
…自分に自信がないとなおさらかもしれません。
「惰性で生きる人生には満足せず」…つまりは日々意識高く自分の生を全うしようとしているということでしょうか。
しかも、別にそれは人に褒められたいからとか、有利な立場になれるからとかじゃない。
人々が価値と捉えるものにそれほど関心がない。じゃあなんで懸命に自分を全うしようとするかって、そこに心から充足感を感じるからなんです。
「心から」というのがポイントで、これは人よりも一段と深いマイワールドがあるということにもなると思います。
例えば、解説中の「自身が立ち上がり、ものごとを改善したい」…考えてみれば、「改善したい」なんて自分の中に確固たる「善い」がなければ思うことは無いのではないでしょうか。
そしてその「善い」とは前述の通り、お金や地位など自分に関することではなく、「世の中」などといった広く抽象的な範囲に対するポジティブさのこと。
しかもそれを、自分の日々の行動や”夢”といったものなどで、ゆっくり、目に見えないながらも着実に実現しようとします。
こちらで説明されている通りですね。
ただ、文章が表しているのは調子が良い時のINFJの場合だとも言えると思います。
私の場合、いつでも調子がいいわけでは無いので、障害にぶつかったり自分自身に様々な制限をかけたりして結局思うようにいかないことが多いのも現実です。
しかし、かといってその実現を即座に諦めるということはなく、長い人生という視点で考えると「きっとそのうち実現するんだろうなあ」という人ごとのようでありながら自分の未来を大きく包み込むような直観が自分の中にはある気がします。
また、次の文章ですが、
これにもかなり共感するところがあり、なぜかと言うと、私は日記を書いていても、日々行なったことや自分が見たものの記録というよりは、「自分が気づいた大事なこと」の記録ばかりになっているからです。
…これらのいかにも何事にも一生懸命な善人で、常に物事の本質を元に行動しているかのような表現、なんだかまるで物語の主人公みたいで恐れ入っちゃいます。
ですが、書いてあることが嘘かといえばそんなことはないんですよね。
この文章で自分の全てが説明できているとは思わないけれど、間違っている箇所は特にない。
「その通りです。」としか言いようがない感じなんです…。
私たちはなぜ感情や考えを溜め込むのか
ちなみに「主人公」といえば、ENFJ(主人公)というのもありますがそちらにはこう書かれています。
私はENFJの文章にも結構共感できるのですが、「声高に主張」という部分はしっくり来ません。
INFJって多分、よほどのことがない限り(よほど環境や自身の精神状態が整っていない限り)、「声高に主張」することを自分に許すことがないのではないかと思います。
多くの場合、自分の中の深い深い世界で考え尽くして、それで時間が過ぎていく感じがあります。
そのため、自分の中に言いたいことを溜め込んでいく傾向にあり、時には「もう爆発しそう…!」というわけのわからない感情を抱くほど。
始めの方でnoteのINFJに関する記事の多さをお伝えしましたが、そうした感情の捌け口として、noteが有効に活用されているのかもしれませんね。
また、そんな風になるまで自分の中で考え込み、溜め込んでしまう要因として、以下の内容もあると思います。
ここからINFJの、何事も一旦自分の中に飲み込んで自分なりの答えを出すことに精を尽くす姿が読み取れるんじゃないかと思います。
思うにINFJさんって、しきたりやルールなんかをそのまま信じ込む人は少ないんじゃないでしょうか。
もちろん、怠惰さや身勝手さでルールを破ることは基本したくないし、人に迷惑をかけたり、周囲に下手な波風を立ててまで規則を壊したいとは思いません。
でも、規則やルールを前にした時、必ずと言って良いほど「どうしてそれができたのか?」という背景の方に目をやり、そこから読み取った本質の方を表面的なものよりも重視すると思います。
「なぜ?」の部分がわからないまま表面だけ真似たって意味がないと感じるからです。
ただしこれは、「そういう思考回路が元から備わっている」というだけのことで、実際にそういった性質が誰からみても明らかに表出されているかはまた別の話だと思います。
現実には表面的な儀礼も飲み込んで先へ先へと行動を移さなければならない場面も多く、言いようのないモヤモヤを抱えたままここまでなんとか生きてきた…という人は多いんじゃないでしょうか?
これらのことが、私たちが感情や考えを内側に溜め込む理由だと思います。
「INFJ」がこれまでの「なんかおかしい」を紐解くきっかけに
「言いようのないモヤモヤ」と言いましたが、そもそもそれを持っていることに気づくことさえ、過去の私には難しかったです。
それには以下の理由があると思います。
「自分は大抵の人とは違う」とありますが…ちょっとだけ弁明させてください。必ずしも自分を「他の人より優れている」と思っているわけではないんです。
むしろ、周囲の人が表面的な事柄に囚われているようで焦燥感を感じてしまう自分に対して「思い上がってるんじゃないか」「もっと人の意見を尊重しないとダメでしょ」とさらに自責し負荷をかけるINFJさんもいるのではないでしょうか。
さらに言うと私は「自分は大抵の人とは違う」という感覚すら埋没していたような気がします。
あったのはひたすら「なんかおかしい」「なんか生きづらい」という微妙な感覚のみ。だけどそれすらも否定するかのように、周囲に合わせられない自分に追い討ちをかけていました。
そのためか常に疲弊し、外見上はそう見えなくとも、精神的にはいつどうなってもおかしく無い感覚がありました。
(INFJの方全員がここまでの感じ方をしているわけでは無いと思います)
だからこのINFJという概念に行き当たった時、ものすごい衝撃を受けたんです。
「こんな性格があることが、許されるんだ!」って。
「『人に理解されない』『社会全般と相いれない』」そう感じているということがそのまま記述され、そこに「対処すべき」といったようなことは何も書かれていない。
ただそう感じていることを肯定されたようが気がして、救われたんです。
そして先述したような「言いようのないモヤモヤ」を言語化するきっかけになってくれたのが、このINFJという概念だったりしました。
おかげで自分が抱える痛みについて、ある程度人と共有できる表現にまで昇華できるようになったのは本当にありがたいことです。
以下はそれを表現してみた記事ですが、よかったらこちらもご覧いただけたら嬉しいです。
INFJの「影響力」とは
そうして言語化できるようになって改めて思うのが、この冒頭の記述に関することです。
「社会に大きく影響を与える人たち」
…ええっ、本当に?
もしかして自分以外のINFJの人はそうなのだろうか。
…ということはそうでない自分はダメINFJ…?
そんなことを考えたりするかも知れませんが、私は今はこの「社会に大きく影響を与える」とは必ずしも有名になったり、社会的な地位が高くなることを表さないと考えています。
以前こちらで書いたのですが、おそらくINFJが持っているのは「抽象的な存在感」。
記事内ではかなり詩的な表現をしている(それはそれとして楽しんでもらえたら)のですが、
つまりは私たちに強い存在感があるとしたら、それは目に見えるものたちとは一線を画した、人の心や深い思考に働きかけるものであり、
即効性のある薬というよりはじわじわと、でも確実に、体の根本から改善するように効いていく漢方薬のような役目を果たしているのかな…と考えています。
もちろん本人の技術力によっては目に見えて強い影響を与えることも可能だと思います。
ですが基本的には相手の根本的な部分に働きかけ、そもそも問題の発生しない状態を作ろうとするが故、自身には目を向けてもらう隙もなく大抵の事が過ぎ去っていくのではないかと思います。
INFJにとって「利他的であること」とは
INFJについて深く調べているといろいろなところでこの「利他」という言葉に遭遇すると思います。
ですが、この「利他」という言葉は、個人的にあまり軽率に捉えたくないところではあります。
私がイメージするに、INFJの「利他」性とは、例えば空腹な相手に自らの顔の一部を笑顔で渡すあの国民的キャラクターが持つ「利他」とはちょっと違う気がするのです。
あの「私はあなたを救っています」とあからさまな姿を示せる利他性というよりかは、
電車で杖をついている人を見かけたら黙って席を立って隣の車両に行く人のような、形のない利他性と言った方が近い気がします。
「ありがとう」も言わせない感じというか。
こちらの記事でも語っている通り、そうする理由は以下の通りなんじゃないかと思います。
そう教わったからではない。褒められるからでもない。ただ、その方が良い(=合理的)と芯から思っているんですよね。
「自身の持ち味を生かしながら他の人をサポートしたり、慈悲の心を広めたりするのが自分の役割だと感じる」と書いてあるように、注目を浴びるような派手なことはあまりせず、自分のできる限りを尽くそうとするのです。
「慈悲の心を広めたり」とありますが、「広める」ということは「間接的に行う」ということでもあります。全ての人を救えるわけではないことは当然自分でもわかっている。だから自らの姿勢を見せ続けることでその精神を伝搬させ、可能性を高めたい…「広める」にはそんなINFJの、まるで「祈り」のような願いが込められているのではないでしょうか。
もちろん時には直接的に「ありがとう」を言ってもらえる場面が自然と作られる場合もあります。
それに見返りを必ずしも求めないからと言って、自分がボロ雑巾のようになるまでこき使われるのは流石に嫌だという感情もちゃんと持っています。
でも、自分のその感情に気付くのはなぜかそういうひどい状況になってからという場合も多く、結果的に自己犠牲に至るケースが目立つというのもひとつの事実だと思います。
これはINFJにとって「自分らしさを守る」と「自分の健康を守る」のバランスをとるのがものすごく難しいことの原因になっていると思います。
[INFJとアダルトチルドレンについて]
また、こういったことに言及すると時々「INFJ=アダルトチルドレンなのではないか」という意見も見かけます。
アダルトチルドレンとは簡単にいうと幼少期の経験が現在の生きづらさの原因になっている人たちのことです。
このアダルトチルドレンの「他人軸で無理をする」傾向がINFJの自己犠牲に至りやすい性質と重なって見えるのかも知れません。
確かに似ているとは思うのですが、原因が違うと思います。
アダルトチルドレンは「過去と同じ傷を受けないために」、INFJは「その方が健全で合理的に感じるから(=心からそうしたいから)」そうなるのではないかと考えています。
ただしここで問題になるのが、INFJでかつアダルトチルドレンの人もいるでしょうし、
自分の中でそれが恐れからきているのか、それとも本当に合理的な判断から来ているのか見分けるのは、非常に難しい場合があるということです。
そもそも恐れであればそれを自身は「恐れ」とみなせず、論理など別のものに無意識に置き換えてしまうことも多いからです。
そのためある行動がアダルトチルドレン(=後天的なもの・本当は望まないもの)からくるものなのか、INFJ(=先天的なもの・心から望むもの)からくるものなのかを、本人の外側から判断するのは非常に難しい場合が多いと思います。
ただ基本的にINFJであれば、健康な時でも前述のように「自分らしさを守る」と「自分の健康を守る」のバランスをとる難しさを一度は感じたことがある人は多いのかもしれません。
何よりもまずは自分のために行動したほうがいい
この記述も大変主人公的で、「果たしてどうだろう…」と言いたくなりますが、自分が今やりたいと思っていることについてよくよく心の掘り下げを行うと、「他者のため(社会・世界のため)」という理由が異様な存在感を放っていることに気がつきます(100%ではないにしても)。
いかに自分が自分以外の人のことについて考えていたかがわかるんです。
ただしそんな自分の側面を認める一方、自分のことながら「なぜそんなに自分を顧みず、他者ばかり見るのか」と疑問に思いませんか?
これは今の所、INFJの「自分がわからない」という性質が関わっていると考えています。
人によっては「自分がわからない」には先述のようにアダルトチルドレンが関わっていることもありますが、それを剥ぎ取ったとしても「自分の内側に目を向ける苦手さ」というのをINFJは持っている気がします。
このことに気づいてから私は、「ものごとに介入して声を上げ」るようなことや「深刻な社会問題の解決をも目指」すことだけに熱中するのはあまりしなくなりました。
今まで「自分」の「じ」の字も無かったような私がここまで意識的になれたのは、以前のINFJの解説文にそれを後押しするような文章があったからです。
現在はこんなふうに書かれていますね。
「自身の性質により疲弊してしまうことがある」旨や「自分自身にも目を向けましょう」といったメッセージはINFJだけに書かれているわけではないのですが、ここまではっきりと「自分自身をケアして」と言われているのもなかなか珍しいと思います。
本当に、「ありがとう」と言いたくなります。
なぜこんなにもはっきりとした言葉で表現してくれているのか…それはINFJにとって「自分を労わる」という概念が初めはピンとこない物だからなのかも知れません。
以前の私の記事に書いたことを引用します。
これを読んで「あっ…」となったINFJさん、
すみません、断言しますがあなたは「自分を労わる」検定超初級者です。笑
どれだけ人に対して細やかな配慮ができていても、自分のためのこととなると途端に、面白いほどに大雑把になってしまう…
これはINFJあるあるかもしれません。
なのでぜひ今日からでも、自分のために自分のエネルギーと時間を使うことに意識的になってみて欲しいと思います。
以下のnoteもかなり読んでいただけているので、昔のですが掲載します。
まずは自分に目を向けることから、始めてみませんか。
さて、ここまでがINFJの個人的徹底解説の前編でした。
お読みいただき、ありがとうございました。
あくまで私が感じたことですが、共感したよ!ということがあったらぜひコメントいただけると嬉しいです。
また、「自分はここが違うと思ったよ」という意見も大歓迎です。
同じINFJの中でも色々な個性があると思うので、私もぜひ知りたいと思っています。
ちなみにINFJの秘密基地メンバーの皆さんは、こちらのリンクからzoom会の録画に飛ぶことができますのでよかったらご覧になってください。
「INFJの秘密基地」ってなんぞや…?と思った方は、ぜひこちらの記事も見てみてください。絶賛メンバー募集中でございます!
続きの後編は、こちらです。
後編では「INFJが周りと対人した時に何が起こるのか?」について見ていきます。こちらもよかったらぜひ。
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