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INFJが抱える透明な痛みについて


最近また「INFJ」をタイトルに入れた記事を増やしましたが、
私はINFJという言葉を使って一体何が表現したかったのだろう…
ということも考えていました。

そこでこの記事では、私が今までINFJという言葉を使って表現・共有したかったことの大きな一つとして、「INFJ(的な人)が抱える、形容し難い心の痛み」があるのかな、と思った話を書こうと思います。

(ここからは一個人の考えとして受け取っていただければ幸いです。)

そもそもの話ですが、INFJって、MBTI(公式)や16personalities(今流行していますよね)、16タイプ(本が色々出ているようです)に出てくる性格の一つですよね。
(元はどれも心理学者カール・グスタフ・ユングのタイプ論から派生したもののようです)
私はその分類分けや自己分析の理論について、一時期は詳しく調べていました。

けど、自分が本当にやりたいことの本質ってそこにはなかったな、と今になっては思います。
(記事を書くにあたって必要なことがあったり、面白いなと思って今も調べることはありますが)


以下の記事で「INFJというワードを、『通じる人だけに届けたい合言葉』のように使っていた」というようなことを書いたのですが、今も割とそんなニュアンスであることは変わりなくて。

通じる人だけに通じればいい、つまり、自分の形容し難い悩みや痛みにも近い感覚を、どうにか同じものを持つ誰かと共有して、「一人じゃない」ということを確認したかったんですよね。

そのために「INFJ」という言葉を利用させてもらっていた、ということかもしれません。

だから「INFJが辛いのみんなわかって!」「INFJに配慮して!」というメッセージを発信したかったわけでは決してなく。
(一時期、MBTIの理論により社会的にそういった配慮がなされるべき根拠が明確になってしまうのでは?という直観を得てしまい苦しかったのですが、ある程度知識を入れた今は少なくとも現時点でMBTIというものはそういうことを証明するものではない、ということもわかりました。)

ただ、私たちが繋がることである意味強くなり、そのこと自体がきっとこの世界を変える一つのきっかけになるのかな、というのはずっと思っていることです。
(これは「きっかけを作るぞ」という意思ではなく、あくまで「今したいことをしているうちにどうせそうなるんだろう」という直観的なものです。)


さて、ここからが本題なのですが(やっとかい)。

私がなぜ上記のようにそこまで「感じていることの共有」にこだわるかというと、
冒頭の通り、INFJの感じている悩みや痛みって、本当に形容し難いと思うからです。

INFJを色で例えるならば、透明だと私は感じています。
透明と言っても、そこにないわけではありません。
氷やガラスのように、触れば確かな存在感が感触として跳ね返ってきます。
でも、色は透明なんです。

ここに、INFJの感じる痛みの特有さがあると思っています。

先に言っておくと、「INFJだけが他のタイプには感じられない痛みや悩みがあってかわいそうだ」みたいなことを言いたいわけではありません。

私自身がINFJであるため、どうしても自分の感覚に焦点が当たった文章になることは、どうかお許しください。

では、INFJを色で例えると透明とは、どういうことか。

一つに、INFJの傾向として、
自分のことはあまりわからない反面、他人に尽くしすぎてしまう
という自己犠牲的側面が挙げられます。

INFJの方は、比較的”今ここ”に集中することが難しい性質があると思っています。
それは今、自分がどう感じているか?本能的には何がしたいのか?
ということを見えにくくさせる性質だと思います。

「いや、自分のやりたいことは明確だよ」と思う方もいるかもしれませんが、
その「やりたいこと」が最終的に行き着く先は「人のため、周りのため、社会のため、世界のため」、あるいはそれらの人たちに迷惑をかけないための自己統制的なものだったりしませんか?

本当に「自分の本能がやりたいこと」って、
あれが食べたいとか、この人と遊びたいけどあの人は呼びたくないとか、
これが欲しいとか、誰か肩揉んでよ〜とか、なーんにもしたくない!とか
もっと自分勝手なものだと思うのです。

そういうものに瞬間瞬間では気付きにくく、
その代わりに他者の「こうしたい」がなだれ込んで来やすい傾向があるのではないかと思います。

なぜなだれ込んでくるかというのは、INFJの外向的な敏感さにあると思います。

INFJは非言語的な情報を読み取ってその背景を想像し、未来あるべき姿を思い描くのが得意、というか、自然とそうしてしまうのではないかと思います。

人と接していると、相手の表情や言葉の間、身振りや抑揚などから、まだ言語化されていないその人の本心を感じ取ったり、
相手の話を聞きながら、話の内容そのものというよりは、得られた情報から本質的に相手がどこを目指し、何を求めているのか?という背景的なものを無意識に感じ取ってしまうと思います。
(その感じ取ったものが事実に当てはまるかどうかは、また別の話です。)

そのため、自分の本能的にしたいことがわからないまま、相手の「したいこと」がなだれ込んでいることにも気づかないまま、無意識のうちにその相手の「したいこと」に沿って自分の考えや行動が形成される、ということが起こりやすくなるのではないか、というのが私の考えです。

「他人に尽くしすぎてしまう」と言いましたが、これは「あの人のために、これをしてあげよう、あれを買ってあげよう」などといった誰もが目で確認できる行為のことを言っているのではなく、
誰かのために、もしくはある集団のために、自分の内側すら変容させ、さらには自分の外面まで「これができて私は幸せです/なんの問題もありません」と思っているかのように自然に見せることができてしまう、目に見えない行為のことです。
そのため、INFJがこのことで疲弊していても、あまり他者には気づかれないかもしれません。
それどころか、自分でも気づかない場合が多いのかもしれません。

このように、自分の考えや行動という実態は確かにありながら、自分自身の欲望はあまりない(あったとしても人に見せない。「見せないぞ」という意思があるのではなく、見せないことを潜在意識が選択している。)…というような姿は、まさに無色透明なガラスや氷のようなイメージがぴったりくるのではないかと思います。

これは必ずしも悪いことではなく、INFJの自然な思考の流れであり、INFJらしさにも繋がり得るというところが非常に難しいと思います。

現状私は、自分の性質が過剰なあまりに自分らしさから遠のいてしまっているな、と気がつけてはいるのですが、
そこから「ではどこまでが自然な自分なのか?」と詳細なラインを定めることが、とても難しいです。

そもそも、自分でも「痛み」として認識できるかと言われると、微妙です。
やりすぎてから、なんだかもやもやと苦しかったり、病気や怪我をしてしまい、その時に初めてそこに痛みのような何かがあると気づく感じがあります。

まるで掴みどころがない…やっぱり色で言うと、透明だな、と思います。


さて、INFJを透明だと言った2つ目の理由ですが、それは
抽象的(だけど本質的)なことで頭がいっぱいになりやすい
ところだと思います。

INFJの心理機能について調べたことがある方は知っていると思うのですが、
内向直観という心理機能が第一となっていることが、その要因となっていると考えています。
(知らない方はお手数ですが調べてみてください)

このことにより、通常は
具体→抽象
となったり
過去(原因)→未来(結果)
となるところを、
INFJの場合は抽象的なことから先に思い浮かんだり、未来に対する推測が先に頭の中に現れたりするので、
それを具体化して現実に落とし込んだり、推測の根拠を言語化することが必要なこの世界では、とてもエネルギーを消耗します。

抽象的なイメージが浮かんでいる時点で、既に頭を使いそれなりにエネルギーを消耗している(それをするのが自然とはいえ)とは思うのですが、
現実化、言語化しないと存在していることにはならないこの社会では、
その抽象的なイメージがどんなに素晴らしくとも、ないものと同じとも言われてしまいます。

特にINFJが直観で脳内に生む抽象的な事柄は、今抱えている目の前のことのみならず、「自分の人生」や「この社会全体」のような壮大な規模に対する推測も多く、しかもそこにはなぜか強力な確信が伴っていることも多いと思います。

しかし多くの場合「きちんと根拠を確かめ、具体化し、人に伝わる形へ落とし込まねば」と思うので、実現するまでの間、それなりに重みのある壮大な考えを長いこと自分の中にだけ抱え続ける必要があるか、
もしくは永遠と実現できないまま場合によっては自爆しそうになるまで自分の中に溜め込み続けることもあるのではないかと思います。

このように、「我思う、故に我在り」的な考えでいくと確かにそこに自分というものは存在しているにもかかわらず、
世の中的に見ると「存在しないも同じ」と思われてしまうということから、
まるで自分が無色透明な物体であるかのように感じてしまうことがあるように思います。


他にも、INFJが透明であると表現した理由として、
理想が高く、信念に忠実
という傾向も挙げられます。

自分のことがあまりわかっていない、と言いましたがそれはつまり自分のキャパシティがわからないということでもあると思います。

「理想が高い」というのは、「自分ならできる」と余裕な状態というよりは、
「こうあらねばならない」という信念を自分のキャパシティより優先してしまう状態だと思います。

そのため、達成できなかったときは多くの場合、他者や運のせいにしたりせず、自分を責めるのではないでしょうか?

周りから見たら「そんな無茶な」と思うかもしれませんが、当の本人は自分を労る間も無く本気で先を見据え、次の策を練っていたりします。

こういう、自分本体がどうこうということよりも理想や信念に突き動かされる性質も、透明っぽいなと思います。
自分を生きているというより、世界を生きているんですよね。


ここまで、INFJが色に例えると透明だという理由をお話ししてきました。

「透明」としたのは、INFJが抱える悩みや痛みについて、本人でも掴みどころがなかったり、認識されづらかったりして、もんわりと余計な辛さが加算されている、ということを表現したかったのかもしれません。

見えづらいものへ対処することはエネルギーを消耗しますし、自己の存在に対する否定感は無意識の恐怖にも繋がると思います。

では、そんな“透明な痛み”を抱えるINFJは、どうしたら生きやすくなるでしょう?

あくまで私の経験から来る考えですが、大まかな対処法としては、やはり自分が本能的に何をしたいのかということについて、意識的に目を向けることだと思います。

今眠いのであれば、寝てください。
トイレに行きたいのであれば、今すぐ行ってください。笑

したくないことに目を向けるのも大事です。

今日だけでなく、これから毎日毎日、それを続けるのです。

こちらは仕事を辞めたい人に向けて書いているマガジンの記事ですが、自分を知るための具体的な方法について書いているので、よかったら読んでみてください。

それから、抽象的なことばかり考えて頭がいっぱいになってしまうことに関しては、必ずしも「具体化しなきゃ」と慌てる必要はないと思います。

こちらはINFJ(提唱者)に対して「提唱だけしたっていいんじゃない?」という考え方を表してみた記事です。

あくまで、INFJ向けにそういう世界観を作ってみたよ、という話ではあるのですが、よかったら見てみてください。

あとは、自分の痛みを透明なままにせず、表現してみるのも効果的だと思います。

noteを書いてみるのもいいと思いますし、よかったらこの記事のコメントで、どんな痛みを感じているのか、どんな透明感を感じているのか、教えてください。

(カウンセリング的なことはできませんが、コメントは全て目を通しております!)

言葉にするだけでも、違ってくると思います。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました🕊



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追記

INFJ同士でこっそり話せる場を作りました。
まだ始まったばかりですが、ご参加お待ちしております🌱

詳しくは以下をご覧ください。



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