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優しい言葉だけ聞いたっていいんだからね


※この文章は、「必要があって厳しく指導しなければならない」立場にある方に向けて書いたものではありません。またタイトルに共感できない方は、読む必要はありません。


なぜだかわからないけれど、人に優しくて自己犠牲が癖になっている人ほど、そしてそういう性質で居続けて疲れ切っている時ほど、誰かが無責任に放った厳しい言葉を真に受けて、もっと苦しんでしまうみたいなサイクルがこの世界には存在します。

例えば、自分のやりたいことや好きがわからない、もしくは何となくあるけど言語化できない、というか人から何言われるか怖いから口では「わからない」と言うしかできない…。

わからないという状態は辛いですよね。モヤモヤして気持ち悪いです。いい大人がこういう状態でいちゃダメだ、みたいなことをなぜか思うんじゃないでしょうか。そして、どうにかしようと焦って自分の答えを他人に求める方向に動いてしまうことがあります。 

それで、待ち構えていたかのように厳しい言葉を言いたい人が登場します。「そんな夢を追う気ですか?人生甘く見過ぎですね。真面目に働きましょう。」みたいな。

もしこの言葉でスッキリ目の前が晴れるなら、それでいいと思います。でも自己犠牲が癖になっている人は余計自分を追い詰めてしまうケースも多いと思います。

建前上は「鋭いお答え、ありがとうございます」と言うしかなくても、後で一人になってからモヤモヤと考え、自分を責め出すんじゃないでしょうか。

まるでその一つしか人生の答えがないかのような断定や、人を強制的に従わせるような厳しい言葉には、語り手のエゴが含まれていることも多いと思います。

言う本人がその考えを自分の拠り所としているので、誰にも否定されたくないんですよね。否定されないために、自身より弱そうな(と勝手に解釈した)人に押し付け、それを唯一の正解としてしまうんだと思います。


でも、自分を責める材料になってしまっている時点で、その言葉は今の自分には必要ないのではないでしょうか。


「客観的な意見が欲しい」という考えは大切だと思います。でも自分と正反対の意見を聞いて余計悩んでしまう場合は、それが本当に心からの願いなのか?を確認した方がいいかもしれません。

「客観的な意見が欲しい」というよりは「客観的な意見を聞くべきだ」と思ってはいないでしょうか?

どうして「べきだ」と思うようになってしまったのでしょうか?

そもそも厳しい意見を、本当に「今」聞くべきでしょうか


厳しい言葉は、ある意味近道だと思います。厳しい言葉に従うということは、命令に従うこととも言えます。外的なものから自分を駆り立てているイメージです。行動が早い分メリットでもありますよね。命令になんの疑問も持たずに従って自分の状況を変えられたら、楽ですよね。そういうことができる場合もあります。

でも自分の思考に沿わない場合、自分の心は置いてけぼりになります。特に自己犠牲しがちな人は、強い主張や否定の言葉、嘲笑の一発で自分の中の何かが挫けてしまったりします。その音をよく聞けば、本心が傷つく音だとわかると思います。「わからない」でも、自分の本心は、そこにあるのです。

その自分の本心を、大切にしてみませんか。
「厳しい言葉」の話から逆に考えると、優しい言葉は、遠回りかもしれません。遠回りでも、じっくり熟成させて本質にたどり着くので、自分の中に深い納得感があります。そのため内的なエネルギーから自分を動かすことができます。外的な影響から行動するのとはまた違った結果になりそうですね。

また、時には優しい言葉の方が近道なこともあります。自分の中のとらわれごとを解し、自分では思いもよらなかったゴールに連れて行ってくれる場合です。思いもよらなくても、ゴールはゴールです。厳しい言葉を聞き続け、エネルギーを使いまくって元々設定していたゴールに辿り着く方法もありますが、優しい言葉はそもそもゴールを増やしてくれます。

こう考えると優しい言葉の方を聞いていく方がメリットがあるように感じます。厳しい言葉を頑張って聞いて早くゴールに辿り着く方法と、優しい言葉を安心して聞いてゆっくりゴールに辿り着くorラッキーならゴールを増やせて複数の選択肢の中からゴールを選べてそこに早く辿り着けるのなら、確率的に後者を選ぶ方が良くないですか?
というか、書いてて思ったんですが、もう厳しい言葉聞く必要一切なくないですか??


…え??

本当に優しい言葉だけを聞いていていいの?成長しなくなっちゃうんじゃない?偏った思考にならない?

そう思うかもしれませんが、安心してください。

偏った思考には、一旦なると思います。
でも成長しないは、違います。

そりゃ優しい言葉=自分の気に入る考えですから、同じような世界観を毎日浴びることになるでしょう。

でも特に自己犠牲しがちな人、自分の自己肯定感の低さを自覚している人は、必要なだけ、毎日毎日優しい言葉を浴びてください。

それで大丈夫なんです。


なぜかというと、人間には最強の機能「飽き」があるからです。

人間は、同じ世界観の中に居続けると、個人差はあれどいずれ飽きてきます。

「飽き」は「もう十分だ」ということを示してくれるからです。もう十分だ、ということは、もう満たされた、ということになります。
「飽き」というのは贅沢になってしまった印ではありません。全く傷つくことなく、無闇に駆り立てられることもなく自分を次のステージに連れて行ってくれる、素晴らしいサインなのです。

「飽き」を感じた時、今まで自分が心地よいと思っていた世界観の中で、もう満たされたと思って良いと思います。そして、そうなった時に初めて、自然とその世界観の外にある言葉を探しにいくことができます。心から欲しいと思って。

それは過去に避けた厳しい言葉なのかもしれませんし、もしかしたら今まで想像もしていなかった分野の情報を忙しく追い求めるのかもしれません(そうなったら以前まで「聞かなきゃかな」なんて考えていた厳しい言葉とはもういっそう無縁です)。


だから、飽きるまで(満たされるまで)、どうか優しい言葉だけをたくさん聞いてください。

飽きるまで(満たされるまで)、たくさん休んでください。

飽きるまで(満たされるまで)、たくさん甘えてください。

飽きるまで(満たされるまで)、自分の“好き”を追求してください。

飽きるまで(満たされるまで)、自分を褒めてあげてください。

誰にも邪魔できません。優しい言葉だけを選ぶ限りは。







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