見出し画像

子どもに心から感謝したこと

今日は、仕事の合間に子どもたちと近くの駐車場でボール遊びをしようと思いました。
(駅前の月極駐車場なので日曜日はほとんど車が停まっていません)

が。
いざ遊び始まると
娘の自己中発揮が始まって楽しく遊べません。

娘は泣いてゴリ押しして
思い通りにするという方法を使います。
(怒る人、論破する人、困ったときの対処法は人によりますね)

こうなったら最後、何を言っても
「わたし被害者モード」
に入ってしまうので感情の波が落ち着くのを待つのが定番でした。


いつもの光景と思っていたら…
駐車場の近くのお宅のおばちゃんが
「静かにしろ!!」


あっ、

「ごめんなさいね💦」

と、言って退散しました。
うるさいのに慣れすぎてご近所のことまで氣が回りませんでした。


帰りながら
そんな言い方しなくてもいいじゃん
なんで娘はルールを守って遊べないの?
だってしょうがないじゃん
たくさんの氣持ちがぐるぐるします。

帰ってからも娘の追随は終わりません。

ただでさえ頭の中は嵐なのに
耐えられない…

集合意識の秘儀「統合」だぁー

騒いだら迷惑なことなんて百も承知。
だけど言っても通じないし何やっても変わらない。
一番困ってるのはわたしなんだよ。
こんなに頑張ってるのに。
わかってほしい。悲しい。

わたしの心の中はこんな感じでした。
(これに良し悪しはないので、とりあえず吐き出します)

ゲロゲロ~ってして
初めて「頑張ってる=無理してる」ことに氣づきました。
無理してるから、わかってほしいと思ってしまう。

そうだよ、娘の自己主張が始まったときから
ずっと頑張ってきました。

話を聞いてみる
抱きしめてみる
叶えてあげる
怒る
諦める

「どうにかしようと」頑張ってきました。
ここで氣づくわけです。
他人のことは「どうにか」できないよね。

わたしからのコントロールを感じるから
娘はどんどん反発する。

◯「どうにかする」ことを手放す
◯娘のスピードで成長を見守れる

これが娘に対するわたしの在りたい姿。
だったら
そうしたら良い。
(迷惑はかけないように氣をつけないとね)


で、タイトルの感謝。

夫がわたしを見て娘に
「お母さんを困らせちゃダメだよ」
のようなことを言ってくれたんです。

でも。
言葉で言ってどうって話じゃないと思うんです。
心で感じるから行動が変わるんじゃないかな?と。

夫には援護射撃ありがとうと言いつつ
それ以上言わなくていいよ、ありがとうと伝えました。


ひとり暮らしだったら
夫がいなかったら
子どもたちがいなかったら
違った形で同じような問題が現れるのかもしれないけど
身内が関わった場合、こちらも自己中な考え方が出がちです。

他人だと氣を遣えるけど
身内だとひどいもんです笑

だから…
いてくれて、問題(?と思っていること)を起こしてくれて
ありがとうとすら思いました。


子どもという生き物は
無償で親に愛をくれて
嫌われるかもしれない形で親の思い込みを壊すきっかけをくれる。

なんてありがたいんだ。

「統合」を使うだけで
こんなにも瞬時に冷静になれるんです。

それが使えることも、ありがたいなぁ~と改めて思いました。

よろしければサポートお願いします。 いただいたサポートは自分を知るための勉強に使わせてもらいます✨