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幼馴染との最後の冒険

2018年10月下旬、私は実家のある神奈川県藤沢市から大阪府大阪市までシティサイクル、俗にいうママチャリで旅に出た。就職活動を終えた大学生最後の時期。その旅のパートナーは約7年半疎遠になっていた幼馴染であった。

話は大きく遡り2002年4月、小学校に入学したての私は幼稚園の頃の友人のいない新しいクラス、新しい環境に馴染めずにいた。幼い頃から人見知りで人付き合いの苦手だった私である、家と学校の往復を繰り返す単調な日々を過ごしていた。ところがその年の秋、化け物コンテンツの登場により私の味気ない小学生生活が一変する。それはゲームボーイアドバンスのゲームソフト「ポケットモンスター ルビー・サファイア(以降ルビサファと表記)」だ。

ゲームとは不思議なもので、今までは別々のグループに属していた決して仲のいいとは言えない少年少女を無差別に結びつける。特にこのルビサファは当時クラスの半数以上がのめり込んだ超人気ゲームで給食の時間も話題はポケモン一色。私も親の目を盗んではプレイし、放課後は友人の家や近所の公園でポケモンバトルとポケモン交換に勤しんだ。

そしてルビサファを通じて最も仲良くなったのがクラスメイトのAである。彼とは家も近く町内会が同じだったので平日も土日も実によく遊んだ。今でも彼の実家の電話番号を空で言えるほどだ。小学校3年以降は同じクラスになることはなかったがルビサファの熱が落ち着いても頻繁に遊んでいた。

その中でも私が特に好きだった遊びが「秘密基地づくり」。ルビサファのゲーム内でもダンジョンの好きな箇所に秘密基地を設置してカスタマイズできる機能があったのだがこれが少年心をくすぐった。それじゃあ実際に秘密基地をつくってみようじゃないかと近くの公園の中を手頃な木を探しては中に入ったりして楽しんだ。小学校高学年にもなると行動範囲も広がり、自転車であちこち行っては秘密基地の建設予定地を視察した。隣町の集合住宅の入口にある植込みは程よい広さがありトイレまで設置したがおそらく住民から苦情が来たのであろう、2週間ほどで中に持ち込んだスコップなどの工具は全て撤去されて立入禁止の札が立てられた。また、別の宅地用に開発予定の裏山は小学生にはかなり広大で、見つけて入植した時は随分と興奮してブランコをつくったりもしたのだが、こちらも近隣住民によって立退を余儀なくされた。

ともかくこれらの秘密基地づくりは小学生にとって「冒険」であり、それを共にしたAは私にとって幼馴染で親友とも呼べる存在だった。しかし、時は残酷なまでに過ぎてゆく。中学3年生の頃までは同じ学習塾に通っていたのでそれなりに顔を合わせていたのだが、部活動が違ったため友人のテリトリーは微妙にずれていた。さらに高校は別々だったので進学後は遊びどころか連絡を取り合うこともなくなっていった。

その後、一度だけ成人式で顔を合わせたがお互い別の友人といたこともあり挨拶すらしなかった。「これっきりもうAとは会うことはないのかな」そう思って少しだけ寂しく思ったが、とはいえ会うきっかけも口実も思いつかなかった。

中学卒業から7年半の時が流れた2018年。Aは大学受験で、私は就職活動でそれぞれ浪人したので我々は大学4年生になっていた。私は大学時代に別の友人とママチャリで名古屋を目指したことがあったのだが静岡県富士市までしか行けず。この年の7月にも1人で大阪を目指したのだがママチャリの後輪がパンクしてまたも断念していたので秋のリベンジを誓っていた。

8月になり就職活動を終えた私は特にやることもないので旅の資金を貯めるためひたすらアルバイトをしていた。家とアルバイト先の往復を繰り返す単調な日々を過ごしていた。深夜2時までの業務が終わってふとAのことが頭によぎった。「そういえばあいつも今年就活だったよな…無事に終わったかな」一度頭に浮ぶとなかなか消えない。結局深夜テンションで「えいや」とLINEを送ってみた。

向こうも突然私からの連絡に戸惑ったのだろう。『どうした急に』と返信があったので「長いこと会ってないから元気かなと思って」と返した。すると『今度〇〇たちと飲むからお前も来ないか?』と誘われた。そのメンバーはAをはじめ全員中学卒業以来ほとんど交流がなかったので不安な気持ちもあったが、せっかくなので参加することにした。

少し緊張して宴席に連なったが、酒の力を借りて大いに盛り上がった。昔と変わらない面々に嬉しい気持ちが溢れた。話の合間を縫ってAとは近況報告をした。私が大学時代はママチャリで旅をしていたと話すとAも『ママチャリで名古屋に行ったことがある』というではないか。進んできた道は違っても小学生時代に育んだ冒険心はお互い忘れていなかったことがなんだか誇らしかった。そこで私は秋に予定している藤沢から大阪までのママチャリ旅の計画を打ち明けると、彼はなんと乗ってきた。その場で急遽二人で旅に出ることが決まったのだ。

そして冒頭の場面に戻る。2018年の10月下旬のある日、夜10時にAが家の前にママチャリでやってきた。昔は当たり前だった光景だがこうも久しぶりだとなんだか新鮮に感じた。さっそくペダルを漕ぎ出す。小学生の頃の通学路を通り過ぎ、藤沢駅までの一本道を進む。中学時代、学習塾へ向かうために何度も通った道だ。

藤沢駅の先、辻堂駅北西にある東小和田交差点から国道1号線に入る。この旅は一部区間を除いて基本的には東海道53次に沿って国道1号線を進むことになる。

スタートして約4時間で箱根の麓に着いた。自転車で東海道を行く際、最大の難所と言っても過言ではないのが箱根である。藤沢市から小田原市までは平坦で走りやすい道を快走してきたが箱根の山はそうもいかない。本格的な山道に差し掛かりいよいよペダルを漕げなくなったので手で押して歩いた。「芦ノ湖まで13km」という案内標識を見つけた我々の絶望は想像に難くないだろう。国道なので一定間隔で灯りはあるがかなり暗い。道の両脇に生い茂る木々は真夜中の侵入者である我々をじっと監視するように厳かな気配を帯びている。眠い、寒い、しんどい、疲れた、お腹空いた、退屈。この時湧いたマイナスの感情は枚挙にいとまがない。

けれどこの退屈が我々にはプラスに作用した。何せ暇なので普通にママチャリを漕いでいるときには落ち着いてできない話をたくさんした。高校時代のこと。大学時代のこと。就職活動のこと。そして東の空がうっすらと明るくなり始めた頃にはしりとりをした。お題はポケモンの名前。ルビサファ世代の我々である、懐かしいポケモンの名前を言っては笑った。明け方の箱根の山の静寂で、二人はまるで少年のよう。

すっかり明るくなった朝9時頃、ついに箱根の峠を越えた。雲ひとつない快晴。眼下には綺麗なコバルトブルーの芦ノ湖と、その奥には立派な富士山。我々の長い旅路を応援してくれているかのような大層美しい景色であった。それを目に焼き付け静岡県三島市までの約15kmの下り坂を一気に駆け降りた。まさに「マッハ自転車飛ばして進もう」である。

こうして我々二人は6日間かけて神奈川県藤沢市から大阪府大阪市までの約500kmの道のりを大きな事故や怪我もなく完走した。帰宅後、久しぶりにAの実家に遊びに行き、幼い頃散々世話になったAの母親にも挨拶した。彼女は『変わらないわねぇ』と言って嬉しそうに我々二人をスマートフォンのカメラで撮影した。

この旅の目的地は表向きは大阪だったが、本質的には違うと思う。500kmの旅路の果てに我々の"変わらない友情"と出会った。いや、再会したと表現した方が適切かもしれない。昔確かに存在していたが消えかかっていた大切なものに旅を通じて再び出会った。そして、それは社会に出る前の私に大きな勇気をくれた。

この旅を終えてからしばらく経った2021年2月の今はAとの交流は相変わらずほとんどない。しかし、お互いが過去の人物になりつつあった以前と、揺るぎない友情を確かめ合った今とでは大きく違う。それもこの旅があったからこそだ。また何かをきっかけにAとはゆっくりと話す機会があると思う。けれども、それは大人としてだ。6日間のママチャリの旅は私とAの子供時代の終焉の印、幼馴染との「最後の冒険」だった。





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