<Vol.41>人を育てる、ということ

「人を育てる」ということ。

これはとても難しい…です。

現在、僕自身も教育に関連した仕事をしていますが、やればやるほどにこの仕事の難しさに直面する機会が多くなりました。

迷い、悩み、葛藤の備忘録として、今思うことを書き並べておこうと思います。


<心の変化>

教育者、すなわち"先生"への憧れというのは、ずっと心の中にありました。

情熱をもって生徒と向き合い、その人にとっての最適解を見つけられる先生になりたい!

そういう思いがありました。

ただ教育の仕事は「報われること」と「裏切られること」を天秤にかけると、圧倒的に裏切られることのほうが多いのが現状です(長い目で見たら報われることも増えてくるのだと思うのですが)。

だから…段々と自分の心が疲れていく瞬間がわかります。

裏切られることが蓄積してくると、人はやがて自分の心を守るために「相手に対する”期待”」をしなくなる傾向があります。

期待も依存もしなければ、傷つくことがないからです。

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こんなことがありました。

大学3年生の時、母校の中学校へ教育実習に行きました。

担当してくれた先生は"佐々木先生"といって、体育の主任であり全校の生活指導も担っているベテラン先生でした。

初めてお会いしたときのやりとりが今でも頭に残っています。

僕)「教育をしていく上で、佐々木先生が大切にしていることってなんですか?」
佐々木先生)「そうだねぇ。。結局最後は他人の子供である、ということを忘れないことかな」

当時の僕には、、意味がわかりませんでした。

むしろ「なんて冷たいことを言う先生なんだ」と小さなショックを抱えたことを覚えています。

ただ、今になってみると言葉の真意が(ちょっと)わかります。

学校で生活指導をする、体育の授業をする、進路相談に乗る。

これらの仕事に責任を持って臨むことはもちろん大切ではありますが、結局最後の”人生”はその生徒のものであって先生のものではありません。

「おれがこいつの人生を変えてやる」

鼻息荒くそう乗り込んでいくのは、ある意味で教育者側のエゴであり、相手に対する過度な期待でもあります。

最初のうちはそれでも走れるかもしれませんが、長期的に走り続けることは難しくなります。

これは別に「冷たい」とか「しらける」というようなネガティブなことではなく、アドラー心理学でいうところの”課題の分離”、すなわち「割り切る」ということなのだろうと思っています。


<期待とは何か>

教育に携わる仕事をしている人は、みな同じような道を通るのでしょうか。

そう思えば、僕の教育者としてのステージは第2段階に入ったと言えるかもしれません。

相手への期待は、こちら側が勝手にやっていることです。

勝手に「こういう風に成長してくれたら嬉しいな」とか「成長してくれるだろう」という想定をしてしまい、そこから外れたときに「裏切られた」と感じてしまっている現状があります。

だから「期待」という感情は、教育者にとって不要なものなのかもしれません。

。。

…と理性で考えればそう思うのですが、一概に切り捨てられない自分もいます。

「何にも期待しない先生」というのは、果たして魅力的な存在なのだろうか?とも思います。

まだ僕にはよくわかりません。

ただ、だから人生は面白いんですね^^

答えが出るその日まで、僕はもう少し頑張っていこうと思います。

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