見出し画像

往復書簡|「これでいいのか?」改め「これでいいのだ!」

拝啓 すがこさま

いきなりですが
ごめんなさいっm(__)m

前回のすがこさんのお手紙から

ずいぶんご無沙汰しておりました。
でも、その申し開きの前に...


まずは、すがこさんの食レポについて。

正直「しいたけ狩り」「しいたけランド」を目にしても、1㎜もトキメかなかったけど、

肉厚のしいたけを炭で熱して、水分が出てきたら醤油をほんの少し垂らして食べる、この時の口内の歓びはまさに「祭り」!!アドレナリン大放出ですwww

で、一変!

脳内で、やぐらの上の三ちゃんが
「はぁ~ まつりだ~ まつりだ~ しいた~け~ ま~つ~りぃ~♪」を熱唱

BEER片手に食したい衝動に駆られちゃいましたよ。

さらに、「そうだ仙台へ行こう」の

たたみかけるような「うんまいもの報告」も、然り。

牛タン、ひょうたん揚げ、コロッケ、鳥かわ(4本!!)、鰺フライ…
くぅ~っ 切なさすら感じました。

でも、私もいつか「食い倒れ&飲んだくれぶらり旅」に行く時用に、
引き続き、食テロレポよろしくです。




さて、ここから本題。

今回のお返事が遅くなってしまった最大の理由、
それは、すがこさんからの問いかけ

「お涼さんがもっとも大事にしている価値観は、なんですか?」

に、超・超・超・手こずっていたからです。
というか、今書き出しながらもなお…


なにゆえ、そんなに苦戦していたか?

最初は、キレイに一言で表現できる言葉を探してました。

「私がもっとも大事にしている価値観、それは〇〇です( ー`дー´)キリッ」と、
プロフェッショナルのテーマ曲をバックに答えられるっくらいなヤツを... 


で、
「おもろいかどうか?」や
「そこに愛はあるんか?」が、浮かびはしたものの、

大切な大切な要素ではあるけど、

「もっとも大事にしているとは、まだ言えなかろう?」

と、思ったんです。


そうしていく中で、直面したのが

そもそも、これまでずっと私は
「大事にしている価値観」ではなく、
「大事にしなきゃいけない(と思っている)価値観」メインで
きてたんじゃね??

そして、
その価値観の転換を図ろうとして絶賛ジタバタ中だからこそ、
「もっとも大事にしている価値観」の答えに詰まっちゃうんだ...
でした。


そこでまずは
「大事にしなきゃいけない(と思っている)価値観」
を、おさらいしてみました。

このままの自分では通用しない、認めてもらえない、バチがあたる…

そんな後ろめたさを克服するために

私という存在意義を認めてほしい
自分が「自分より上」だと思う相手から
自分が評価して欲しいテーマで
自分が望む表現で高評価してほしい
その評価が◎だったら、
自分に◎ or その相手がイイひと
(但し、すぐに揮発しちゃう一過性)
そうじゃなかった(スルーや✖の)場合、
自分をダメと責める or 相手がヒドイと責める。
(こちらは何故かとびきり長持ち...)


もちろん「それって虚しすぎる。それだから生きづらさは増すんだ。」とは、痛感してきたからこそ

 ここでも「悲しみにフタをしない!」とか「アタリマエ撤廃!」とか宣言したり、マガジンでもあれこれ書いて、公民権運動を繰り広げてきました。


でも、
その私の気づきや決意表明を「認めてもらえてるかどうか」を、
まだものすごぉ~~~~~く気にしているし、

それが思ったようにもらえないことに狼狽えている自分に
さらに狼狽えるというドツボにハマっている自分もしんどくて…

と、ワケわからん状態に陥ってもいました。


そんな中、先日10/29「牡牛座月食満月」の日に、

私はこれまで自分を抑えつけてきたものを手放します。
そして、自分自身の感覚に聞いて、
選択を信じて、
その上で、あらゆるおかげさまに感謝しながら生きていきます。

という願いが、ポコンっと浮かんだんです。


ただまだ 「それを価値観ってなると、どう表現すればいい?」で、引っ掛かりはしてて…

 結局、そんなまとまらないままに、
「とにかく書いてみよう」と無題でこのお返事を書き始めたら

いま、降りて(!?)きました。

「バカボンのパパ」の「これでいいのだ」が。


 何でだろう?と、ググってみたら、名言が豊富でビックリ。

そして、中でも特に鷲掴みされたのが

わしの思うようにはならないのだ。
でも、わしは大丈夫なのだ!

わしはいつでもわしなので大丈夫なのだ!
あなたもあなたでそれでいいのだ!

~赤塚不二夫・天才バカボン~


 それと、
赤塚不二夫先生と、詩人の谷川俊太郎先生のコラボ作品

自分ト フタリッキリデ 暮ラスノダ

自分ノパンツハ 自分デ 洗ウノダ

自分ハ 自分ヲ尊敬シテイルカラ

ソレクライ ナンデモナイノダ

自分ガ ニコニコスレバ

自分モ嬉シクナッテ ニコニコスルノダ

自分ガ怒ルト 自分ハコワクナルノデ

スグニ 自分ト 仲直リスルノダ

自分ハ トッテモ 傷ツキヤスイカラ

自分ハ 自分ニ 優シクスルノダ

自分ノ言ウコトサエ キイテイレバ

自分ハ 自分ヲ 失ウコトハナイ

自分ハ 自分ガ好キデ好キデタマラナイ

自分ノタメナラ 生命モ惜シクナイ

ソレホド 自分ハスバラシイノダ

フタリッキリデ暮ラスノダ
 

~谷川俊太郎・エトセテラ リミックス~

この二つでした。


そして、 

これまで
「私はこれでいいのか?」を
他人に問い続けて生きてきたけれど、 

これからは
「私はこれでいいのだ」を
自分で感じ続けて生きていきたい 


そう思えたし、

きっと今までも本当は「これでいいのだ」を感じたかったがために、一生懸命「これでいいのか?」聞き続けてきちゃったんだ。

だから、「これまですらもいいのだ。」

とも思えたんです。


「西から昇った おひさまが東へ沈む」

「赤でスタート 黄でダッシュそれで事故なのだ」

「バカでなくても バカなのだそれが天才だ」 

「天才バカボン」作詞:東京ムービー企画部

主題歌のくだらなさ加減に脱帽www


人様に証明できる根拠なんぞなくっても、
支離滅裂でも、ハチャメチャでも、
過剰でも、ちっぽけでも、

「これでいいのだ」の中で生きていったら、どんな毎日だろう。


自分の中からこれまでの「アタリマエ」が減れば減るほど、
自然と「これでいいのだ」は湧いて出てくるはずだし、

きっと、自分にだけじゃなく、外側の人や出来事に対しても
「これでいいのだ」「それでいいのだ」と感じていけるんじゃないかな


わしの思うようにはならないのだ。
でも、わしは大丈夫なのだ!

わしはいつでもわしなので大丈夫なのだ!
あなたもあなたでそれでいいのだ!

~赤塚不二夫・天才バカボン~

こんな「ごきげんな世界」って、たまんなぃだろうなぁ。


もちろん、今こうして書いただけで
いきなりバカボンのパパ化するわけないとは分かっておりまする。

こうして書いた舌の根も乾かん内に、
慣れ親しんだ「これでいいのか?」で
一喜一憂しちゃう可能性大💦


でも、そんな自分にハッと気づいたら、

その時私は私に向かって
「これでいいのだ」って言ってみるところから
はじめてみようかなぁって思ってます。



あれ?これって果たして「価値観」って言えるのか?
という、ツッコミもあるかもですが、

自分の中ではすんっと収まったのでこれにて♪

次回、すがこさんの心に残るアニメや漫画について、よかったら聞かせてください。


お涼


 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?