【文藝街綺譚】 1.カジカ先生
あの人へ書いた折り鶴の手紙は、窓の外へ飛び出し何処かへ消えてしまった。赤い折り紙の、角を丁寧に合わせて折ったそれは、首を折ったその瞬間、ばさばさと大きな音を立てて手のひらから逃げ出した。
文藝街と呼ばれる、人口およそ十五万人ほどのその地において、静物という言葉は従来とは異なる意味を持っていた。この街で造られた無機物は、時折意思を持ち、生きているように動き出す。くるみ割り人形のように。
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あの人へ書いた折り鶴の手紙は、窓の外へ飛び出し、何処かへ消えてしまった。赤い折り紙の、角を丁寧に合わせて折ったそれは、首を折ったその瞬間に、ばさばさと大きな音を立てて手のひらから逃げ出した。
「あぁっ……」
うっかりしていた。転校してきたばかりの時に話には聞いていたし、ニュースやバラエティで見た事もある。ここ文藝街において、生き物の容を作る時にはよく注意しなければならない、と。クイズ番組では、仏像を作ることが条例違反になるとかならないとか、喋る骨格標本がいるとかいないとか、そういう問題があった気がする。折り鶴の首を折ってはいけないなんて、千羽鶴みたいだな。そんなことを思い出しながら、飛んで行った鶴がクラスメイトに見付からないよう祈った。
画竜点睛を欠く、とはよく言ったもので、文藝街で作られた人形や銅像、キーホルダーやら何やらには、瞳が必ずといっていいほど付いていない。もちろん瞳が元からない生き物もあるが、そういうものでも必ずどこかが未完成のまま終わっている。店先に並ぶぬいぐるみのうち、完成しているものは文藝街の外で作られ、搬入されたものだという。大きさがそれなりにある作品に至っては、役所に申請せずに作ったら逮捕される事すらあるらしい。
必ずしも出来上がったものが全て動き出すわけではないようだが、それこそ大仏のような巨大な物がもし動き出してしまったら、とんでもない事になるのは想像に難くない。特撮映画もびっくりの大災害が起こるのだろう。文藝街では、そういった、動き出してしまった物を『静物』と呼ぶらしい。紛らわしいので、書く時には基本的にはひらがなで、せいぶつ、と表記される。
飛んで行った鶴のように、動物の形をしたものは大抵が動物として過ごし、劣化して、死んでいくようだ。それに対し、ヒトの形をしている物、例えば人形やマネキン、お地蔵様なんかは、製作者がその気になれば、の話ではあるが、危険性がない限りは、人間に近しい権利が与えられるようだった。今は条例があるため、静物の人口は減り続けているらしいが、そうやって制限されるほんの数十年前までは、ヒト型の静物が造られるのは、まあまあよくある事だったという。
「上手く生きられる静物なんて限られているから、大抵は死んじゃうんだけどね」
副担任のカジカ先生が、授業中に言っていた言葉を思い出す。こつこつ、とのっぺらぼうの顔を叩きながら、それでもどこか寂しそうに見えたのは、先生も生きるのが下手くそだったから、かもしれない。
カジカ先生は僕が転校してまもなく、駅のホームで、僕の目の前で、ばらばらになった。職員室の机に遺書があった事から自殺と判断された。静物、特にヒト型は、生き物としての眠りだけではなく、無機物としての眠り、というものがある。その眠りから覚める意思が見られない静物は、死んだ、と見做すらしい。詳しいことは明かされてないけれど、どうやら人間で言うところの検死官みたいな人物がいて、死亡した事を証明するようだ。
僕はあの日、足元へ飛んできたカジカ先生のカケラを、こっそり持ち帰った。人間のようにブルーシートに覆われる事もなく、がらがら、淡々と処理されるカジカ先生の死体を見ながら、迷惑だよなあ、危ないなあ、とあちこちで囁かれる声を聞いていた。実際にそうなのだろう、と思う。ホウキで掃かれ、カジカ先生の死体のほとんどはゴミ袋か何かにまとめられたが、検死官たちが帰った後もホームにはいくつか破片が残っていた。案外いい加減なものだな、と思ったのを覚えている。
持ち帰ったカジカ先生の、木製の左耳には、先生という立場にあまりふさわしくない、大きなピアスがネジで留められていた。真っ赤な一粒の宝石が、白い肌に映えている。管理さえすれば腐りにくい、というのは静物のいいところかもしれない。カジカ先生の耳は、ほんのりと何かの木の匂いがする。やけに細かく作られた耳の凹凸をなぞりながら、僕は先生に囁いた。
「先生、僕、もっと先生とお話ししたかったな」
壊れる前の先生とは、ほとんど話した事がない。二、三回挨拶をして、それっきりだ。僕はその事を、これからもずっと後悔するだろう。残された木片が、ホームを歩く人々の靴に小石のようにころころと転がされ、段々と汚れて、線路側へ落ちていく姿が、カジカ先生が死ぬ間際に立てた小気味のいい音が、忘れられない。
赤い折り鶴は、二日後に庭に落ちていた。朝露に濡れて死んだらしい。へにょり、と動かなくなった紙に書かれた、カジカ先生への想いは、誰にも知られる事なくゴミ箱に押し込まれた。
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