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素敵なステーキ

 肉が食べたい。突然湧き上がった想いに突き動かされる形で、近所のファミレスに駆け込んだ。普段からそんな人間ばかりを受け入れている安いファミレスは、寝巻きにスリッパにヘアバンドの私を顔色ひとつ変えずに受け入れ、昨今珍しい喫煙席に案内した。席には長年タバコの火をその身に受け続けたであろう惨めな灰皿が二つ置かれている。

 メニューを広げ、ドリンクバーと山盛りカットステーキ、そしてライスを頼む。とにかく肉が食いたい。注文が終わって立ち去る店員の後ろについていく形でドリンクバーへ向かい、氷を入れずにオレンジジュースをグラスのフチギリギリまで注いだ。ストローとレモンポーションを手に座席に戻り、改めてメニューを見直すと、グランドメニューとは別のメニュー表に、何かのゲームとのコラボだろうか、猫だか犬だかの耳のついた少年が元気よくカットステーキを食べるイラストが添えてあった。うめぇー!と描き文字が書かれている。

 辺りを見回すとまばらに客がいるようで、そのうちの1組はおそらくそのコラボメニュー目当てだろう。運ばれてきた料理のそばに丸いぬいぐるみを置いて写真を撮っている。よきかな、と虚空に呟きながらそれを眺めていると、遠くから皿を持った店員がこちらに近付いてきた。何故か少し姿勢を正して店員を迎える。
「お待たせいたしました。カットステーキとライスです。こちらお皿お熱くなっているのでご注意ください」
鉄板の上にはごろごろと大きな肉が盛られている。肉の量、写真に偽りなし。ただしネギは干からびていた。

 一口目。脂身がたっぷりついた一切れを、まずは何もつけずに口に放り込む。シーズニングで味付けをされた肉は固いが臭みなく、脂身が味蕾に『ややおいしい』と語りかけてくる。牛の味である。もきもきとしばらく噛んでから飲み込む。もう少し噛むべきだったかもしれない。喉に引っかかりながら食道を落ちていく肉をしっかりと身体の奥へ運ぶためオレンジジュースをごくごくと飲んだ。

 二口目。鉄板の端に添えられたステーキソースをたっぷり付けて赤身を食べる。液体が絡んでいる分だけジューシーな肉が『おいしい』と今度は強気に語りかけてくる。すでに若干顎が疲れ始めているのは日頃の咀嚼回数の少なさ故だろうか。牛そのものの味というより、醤油の風味が優っている。和食より洋食派ではあるが、醤油は何よりも好きな調味料だ。乾いたネギが申し訳程度に風味付けして悪くない。

 三口目。脂身の付いた肉をネギと一緒にソースにくぐらせ、さらに米と頬張る。
「……うめぇー……」
味の福音。文句なしの満点である。肉の肉らしい肉味、ネギそして醤油。さらに米。口の中を蹂躙する旨味。天を仰ぎ見る。電球が切れかけている。見なかったことにして皿に向き直すその導線上に違和感を感じ、前を見た。動物耳の少年が座って肉を食べていた。
「うんめぇーな!」
「え?うめぇですね!」
思わず返事をしてしまうが近所に友人はいない。というより、動物耳の友人がいた事はない。店員を呼ぶか一瞬迷ったが、まあ肉を食べてからでもいいか、と思い直して箸、いやフォークを進めた。

 幻覚は消える事なく飯を食べている。蛮族のような格好ではあるが、こちらに危害を加える様子はない。食いっぷりは見てて気持ちよく、かつ、不快でない食べ方のため好感すら持てる。
「オレ、ハンバーグも気になるんだよなぁ。これ食べ終わったら頼んでいいか?」
当たり前のようにこちらに話しかけてくる少年に二つ返事でいいよと言いたかったところだが、一応財布の中を確認する。二人分払っても余裕があるのを確認して、いいよと答えると可愛らしい笑顔でやったぁーと喜んだ。
「オレ、肉好きでさぁ!前まではニンゲンとか食ってたんだけど、こっちのがうめぇよな!」
不穏なセリフが聞こえたような気がする。人間の肉を食べた事はないが、だな、と適当に相槌を打ってしまった。

 残るところあと二口。ライスがなくなり、シメの肉である。ステーキソースが心許ない。ほとんど脂身の肉を先に食べるべきか、赤みの大きな切れを食べるか迷っていると、先に食べ終わった少年がメニューを見ながら口を開いた。
「デザート頼んでいいか!?」
「ハンバーグは?」
「それも頼むけど」
残金に問題はない。いいよ、と答えると少年は耳をぴんと立て、ここで初めて気が付いたが、大きな尻尾をわさわさと左右に振って喜んだ。犬の耳だったか。店員を呼び、少年が指差すままにハンバーグと、チョコレートパフェ、そしてフレンチトーストを頼んだ。食べ終わった皿をさっと下げた店員は特に動揺する様子もない。私は大きな切れを口に入れた。
「奢るからジュース取ってきてよ」
残りのオレンジジュースをずずずと飲み干しグラスを渡した。わかった!と勢いよく立ち上がり、しかし走る事なくやや早足で少年はドリンクバーへ向かった。

 無事に最後の一口を終え、口の周りを拭いていると少年は妙な色のグラスを手に戻ってきた。
「オレ特製のエーテルファンタだぜ!」
「エーテル……何て?」
「おう!」
会話が成立していない。灰がかった青い液体に浮かぶ氷がかららんと音を立てる。コラボメニューだろうか。ファミレスの価格帯ならさほど警戒する必要もないだろうが、念のためメニュー表のカクテルやデザートの欄を確認する。それらしい表記はない。ドリンクバーにあったのだろうか。やや不安に思いながらも一口飲んだ。へろろん、という謎の音が鳴り、同時に徹夜明けで重いまぶたが突然軽やかに開いた。ああ回復アイテムか、と妙に納得した。リンゴとエナジードリンクを混ぜたような味でそれほど悪くない。少年と食事をしているうちに店内の客も一組、また一組と帰っていく。閑散とした店内にはコラボメニューの宣伝ラジオが流れていた。

「はー!食ったー!ごちそーさんっ!」
「ごちそうさまでした。満足した?」
「おうよぉ!あんがとな!おっさん!」
食後の一本を吸いながら少年を改めてよく見る。耳と尻尾と服装以外はそこら辺にいる中学生くらいの男の子である。まあ不思議体験としては悪くなかったかな、と思いながら灰を擦り落としていると、少年は暇なのか数杯目の何かを飲みながらため息をついた。
「どうしたの?」
「や、オレさぁ……初めてなんだ」
やましい事、だろうか。そのつもりは毛頭ないのだが、少し動揺する。
「冒険っての?縄張りから出た事、ねーんだよな」
意味深に捉えていいものなのか迷いつつ、やはり適当に聞き流すほかない。
「だからよ、おっさんがうめぇもん食わせてくれて、ちょっとほっとしてる。これからもよろしくな、おっさん。オレ、ガラムって言うんだ」
「後藤って呼んでくれよ、おっさんって歳じゃない。」
ごめんごめん、と笑う少年が眩しい。きっとこれから様々な冒険をするのだろう。意味深に捉えた事を反省しながら伝票を持って立ち上がった。

 会計を済ませ店を出る。そこにはレンガ造りの建物が並ぶ石畳の道が広がっていた。慌てて振り向くと、ファミレスのガラス戸だったはずの扉は木製に変わっていて、壁には『PUB』と書かれた看板が下がっていた。
「宿屋はあっちだろ?」
少年が手を引く。ジャージの袖は知らないうちに皮の鎧に変わっていた。
「明日んなったら王様んとこ行けるらしいからさ、がんばろーぜ!!」
肉を食べたかっただけなのに。私はそうぼやきながら宿屋へ連れられて行った。新しい冒険は明日始まる。

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