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絵という趣味に一区切り

2024年も早くも8日目。なんてことのない何もない日曜日に、ある決心をした。

もう、絵描くのやめようか。

決めてからは早かった。といっても、板タブをしまったりpixivのアカウントを削除したりしたわけではない。ただ、心の中にあるやることの優先順位――その中で常に上位に位置していた”絵を描くこと”を、下の下まで押し下げただけだ。

それだけで、なんだか心が楽になった。重荷が下りた気さえした。

昔から絵を描くのが好きだった。教科書やノートに落書きをするのが好きな、どこにでもいるオタク予備軍だった。
大学生の時、友人から使い古しのペンタブを安く譲ってもらい(ワコムのBambooだったか)、パソコンで絵を描き始めた。デジタルで絵を描くのはとても難しく、そしてとてつもなく楽しかった。

数年後にはINTOUSを買い、2019年には大枚叩いてINTOUS PROに乗り換えた。ついにはiMac2019まで買った(表紙の絵を描いたのは2021年。これが一番の自信作です。つまりずっと3年前の自分すら越えられなかった)。

暇な時間はとにかく絵を描いた。音楽を聴きながら絵を描き、Youtubeを見ながら絵を描き、アニメを見ながら絵を描いた。ながらのお供には必ずペンを握っていた。いやむしろ、絵を描くために何某かの音を流していた。絵を描くのが好きなくせ、無音ではやる気が湧かなかった。

絵がバズったことはない。取り上げられたこともない。画像まとめサイトで無断転載されたこともない(されなくて良いんだけど)。注目とは常に無縁だったが、時々反応をもらえることはとても嬉しかった。

絵を描くこと自体が好きだ。だから数字なんか求めない。ただ描く。それでよかった。職人のように腕を磨き続ければ、その時は向こうから俺の絵を表に引っ張り上げるだろう。

そう思いながら描き続けた。仕事で嫌なことがあった日も、画面を凝視しながら無心で描けば心がリセットされるような気持ちになった。

毎日、何時間かは必ず描いた。休日はどこにも出かけず、始終椅子に座ってダラダラ描いた。
絵とは時間を食う。朝から一生懸命描いていたら一瞬の体感速度で夕方になっていたこともある。そりゃ、漫画家の人は徹夜で描くよなと納得させられた。

絵に費やし、時が過ぎていく。
それで良いんだと、自分の日常を疑わなかった。これは俺の大事な趣味だ。きんに君がジムに通うのと同じようなものだ。
何一つとして同じではないが、あの時はそう盲信していた。

歳をとり、友人が結婚したり子供が生まれたりした。皆、いつの間にかしっかり前に進んでいた。彼らの背中は目を細めても見えないところまで小さくなっていた。
AIイラストなんてのも出始めた。ものの数分で美麗なイラストが誰でも出力できる世の中になった。旧Twitterはその是非を巡って随分荒れた。

それでも絵を描いた。出会いのために外に出ることもせず、妙齢の男らしい趣味を探すこともせず、究極のインドアを貫いた。一週間の出費が0円で終わることも珍しくなかった。実家暮らしで仕事以外は家にこもって絵を描くだけの毎日だから、金を使うタイミングがなかった。

俺はこれでいいんだ。独身上等だ。絵を描いてりゃ幸せなんだから、むしろこれほどコスパのいいものはない。だからこれでいいんだ。AIとか関係ない。描くこと自体が楽しんだから。

本心でそう思っていた。ひょっとしたら、自分は自分の描く絵に洗脳されていたのかもしれない。少なくとも2022年までの自分は、ずっとそう考えていた。

その考えが、去年から少しずつ変わり始めた。
スタバやコメダではなく、個人でやってるカフェに行くことを覚えた。友人に誘われて出かけた、湖沿いのおしゃれな喫茶店がきっかけだった。
いわゆるカフェ巡りだ。元々コーヒーが好きなので、この趣味は見事にハマった。

外に出なければカフェを巡ることはできない。土曜は昼まで寝て、それから絵を描いていたが、頑張って朝に起き、コーヒーを飲みに出かけた。
ちなみに、おしゃれなカフェに男一人が入るのはどうにも敷居が高い。最初は情けなくも足が竦んだが、最近は殆ど何も思わなくなった。向こうからすれば多田野客だ。

外に出る分外見を気にするようになった。手始めに筋トレを始めた。主になかやまきんに君の自宅でできる筋トレ動画を流しながら、ヒーヒー言いながら汗を流した。運動のために、絵を描く時間をまた少し削った。

休日は料理をするようになった。某料理のお兄さんのレシピ動画が自分にはピンズドだった。料理をすれば喜ばれるし、酒も上手くなる。夜は作業を切り上げてメシを作ることにした。

去年の夏から英会話を始めた。今後の自分のためにと始めたが、コミュ障の自分にはかなり精神的な労力を使った。当然レッスン前の準備やそれ以外の時間も勉強に充てる必要が出てきた。

講師との話題作りのために停滞していた映画を見る時間をとったり、英語の本を読む時間も必然的に増えるようになった。
何より、ビデオ越しだろうが、ヘッタクソな英語だろうが、人と話すことの楽しさや喜びが、孤独なおじさんを拾い上げるには十分すぎた。

そうやって、今まで自分が絶対に持ってきた、絵を描く時間というものが、どんどん削れていった。
最初はそれでも描いていたが、時間をかけられないせいか今までにも増して微妙な絵ばかり量産してしまった。そんな自分にがっかりした。

25日から3日までの一週間、絵を描く時間が殆どなかった。仕事はもちろん、忘年会や英会話、家の用事や飲み過ぎなんかで、丸々一週間ペンを持てなかった。

1/4に申し訳程度に書いた書き初め。

少し前なら、一週間も何も書かないでいると、「描きたい!」という渇望感がどうしようもなかった。目が重くなるほど書かないと気が済まなかった。
なのに、勢いで龍の絵を描いた後、私はペンを放り投げた。
「満足した」
そう思ってしまった。もう一個途中まで自分の性癖を詰めた女の子の絵を描いたが、途中で投げた。絵を完成させることより、新年一発目のカフェ巡りと英語を優先させてしまったのだ。そして、そちらの方が楽しかった。

これから先、一切ペンを持たないわけというわけではない。筆を折るとかそんな大袈裟なもんでもない。気が向けば描くだろうし、十分なネタを思いつけば、久々にコミケにサークル参加しようとも画策しているところだ。
血道をあげていた唯一無二の生きがいが、単なる趣味の一つに収まった。それはきっと良いことだ。肩肘張らずに付き合っていこうと思っている。

ちなみにこうして延々と駄文を書き連ねるのもかなり時間を食うもんです。書く側にとっても読む側にとってもこれ以上の加筆は無益なので、今回はこの辺で。

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