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痔除伝 最終章 conclusion

退院後に困ったのは、ガーゼの確保だった。

退院時、アヌスを拭く用と、浸出液を受け止める用のガーゼをもらったが、合計10枚程度。節約したとしても1、2日分である。普通に使えばすぐなくなってしまう様な量だ。

しかし、私にはある秘策があった。退院時の生活について、看護師さんからレクチャーを受けた時のことである。

しばらくはウォシュレット+ガーゼで対応する様に言われたのだが、赤ちゃん用のウェットタイプのお尻拭きで代用しても良いか聞いたところ、看護師さんは、ハッとする表情を浮かべ、

「……うん、良い。外出時にも持ち運べるし、すごく良いと思います!」

と、太鼓判を押してくれた。多分、あの看護師は私のIQが5000くらいあると思った事だろう。もしかしたら、名のある大学の教授と思われたかもしれない。

これで、お尻拭きガーゼ問題は一旦先送りできた。汚れが酷い時だけ浸出液用のガーゼを替えれば、しばらく時間が稼げるだろう。

退院の手続きと支払いを済ませた後、1週間ぶりのシャバの空気を満喫しながら自宅に戻る。狭い我が家が、死ぬほど落ち着く。

荷物を置いてそのまま近所の薬局に向かう。赤ちゃん用のお尻拭き(低刺激タイプ)を手に取り、続いてガーゼを探す。探す。……探す。無い。

ガーゼがあったであろうスペースに、何も陳列されていない。仕方なく別の薬局に行くも、同様である。

そういえば、入院前に病院で使う医療用の滅菌ガーゼが足りなくなっているとニュースで見た覚えがある。しかし、それも数ヶ月前のこと。それに、医療用が確保できないからと言って、市販のものまで無くなるだろうか。

一縷の望みをかけて、近所にある薬局のラスト1店舗に行くと、辛うじて1パックの滅菌ガーゼを見つけた。

しかし、まさかのSSサイズ。こんなものでは、アヌスの傷跡は覆えない。焼け石に水。新型コロナにイソジンである。

なぜ、ガーゼが売り切れるのだろうか。入院中はあまりニュースを見ていなかったため断定はできないが、この時期、まだ滅菌ガーゼの買い占めや転売が流行っていたのかもしれない。もしくは、手作りマスクなどで使う人が多かったのだろうか。私は、ひどく落胆した。

どうしよう。ガーゼがなくては、下着やズボン、マットレスなども浸出液で汚してしまう。事実、入院時も、退院してからも、浸出液で布団のシーツを汚してしまうことが何度かあった。

私は、悩んだ。実は、ガーゼがないと分かった時点で、すでに代替案を思い付いてはいたのだが、それはあくまで最終手段。出来れば手を出したく無い。貰ったガーゼがなくなるまで、未だ少し時間がある。

しかし、いつまで経ってもガーゼが買えず、いよいよお尻に挟む布がない。私は意を決して薬局に向かった。そして、最終兵器を手に取り、レジに向かった。そう、生理用ナプキンである。


かつて共闘したライバルと再びタッグを組む様な、胸熱の展開。私にとってのナプキンとは、まるでナメック星編のピッコロさんの様である。お前の実力が確かであることは、もう知っている。まさか、また共に戦う日が来ようとはな!そんな気持ちが胸を覆う。

早速自宅に帰り、下着にセット!相変わらずCanCamがゴワゴワするぜ!!そんな違和感すらもなんだか懐かしい。

流石に傷跡に直接当てられるガーゼよりも防御力は劣るが、トイレの度にチェックすると、かなり浸出液を吸収してくれているのがわかる。しかし、寝ている時などは浸出液が体を伝って、ナプキンをはみ出し、下着の外にこぼれたりすることもあった。

ナプキンの脇に、体にフィットする柔らかい壁の様なものがあれば良いんだけどなぁと思い、ハッとした。

「そうか……サイドギャザーってそのためのものなのか!!」

私は、横漏れの苦悩とサイドギャザーの価値を理解した数少ない男性のひとりになった。


後日、母親に連絡し、実家の方には薬局に十分なガーゼが用意されていることを知り、送ってもらうことになった。そう考えると、民間薬局のガーゼの不足は局地的なものであり、やはり一部の人間が買い占めていたのかもしれない。

コロナ禍の初期にはトイレットペーパーやマスクの買い占め問題などもあった。不安になって確保したくなる気持ちはわからなくもない。

しかし、各個人が情報を精査して、冷静さを保つ必要はある。また、利益を得るために需要のあるものを確保する行動が必ずしも悪であるとは言わないが、緊急時に需要と供給のバランスを狂わせてまで利益の確保に走るのは、周囲にとって甚だ迷惑であり、醜悪であると感じた。あえて言葉を選ばずに言えば、

「ガーゼがなくて、こちとらケツから汁を垂れ流してんだよコノヤロー!医療関係の商品を転売目的で必要以上に買い占めてんじゃねー!てめーの一張羅にケツ汁擦り付けんぞ!バカ!へそ噛んで死ね!」

という気持ちである。


退院後の生活でしばらく気を付けるようにと言われたのは、飲酒や刺激物を避けること、激しい運動や力仕事を避けること、長時間の座位を避けること、清潔にすること。そして、なるべく便秘や下痢をしないように心がけるようにする、ということだった。

言われなくても、辛いものなんて怖くて食べられない。力仕事はしないからいいとして、筋トレもしない。意識したのは、水分や食物繊維を適宜とること。

とはいえ、中々一人暮らしの食卓で食物繊維を一定量取るのは難しい。めんどくさいので、粉末タイプの食物繊維を買い、水分に溶かして飲むようにしたのだが、これがやたらと具合がいい。

これまで長年下痢や便秘に悩まされていたのだが、溶かして飲む食物繊維を取り始めてから便のトラブルはほぼなくなった。しかも、どうやらダイエットにも効果的らしい。


夏場だったが、清潔にするため、毎日1、2回浴槽に浸かる。退院から1週間後、アヌスはどうなっているのか、勇気を出し、触って確かめてみることにした。

浴槽内で、恐る恐るアヌスに触れる。痛みはないものの、なんだか様子がおかしい。驚くことにアヌスそのものがざっくりと裂けており、深い亀裂が入っている。まさにシリアナ海溝!

てっきり、傷口は縫い付けられていて、野球ボールの縫い目の様になっているものだと思っていた。しかも、触っても痛くないということは、裂け目にうっすらと皮膚が貼り、このままシリアナ海溝が塞がることはないのかもしれない。

私は、これから先「恐怖!尻裂け男」として生きていくことを覚悟した。尻裂け男は口裂け女と違い、ポマードと3回唱えられても怯まないが、

「毛髪の減少!今後の金銭的不安!確定している孤独死!」

と唱えると、怯んでその隙に逃げられるようになるので、遭遇した時は試して欲しい。


もうひとつ、不安な要素があった。浸出液の量、色、匂いが退院直後から全く変わっていないのである。ガーゼやナプキンはトイレに流せないため、トイレに袋を置いてまとめておき、燃えるゴミの日に出すのだが、げんなりするほど生臭い。トイレの中でマグロが二、三尾ほど死んでる様な生臭さ。トイレに行くたびにため息が出る。

抗生物質は、処方された分を飲み切ってしばらく経つ。恐らく、傷口に細菌が感染してアヌスが腐っているのだと思った。ゾンビ・アヌス、である。

退院後、初めての診察で浸出液のこと、シリアナ海溝のことを相談する。しかし、全く心配いらない、むしろ順調に回復しているとのことだった。シリアナ海溝も、徐々に切った後の肉が盛り上がり、自然な形に戻るという。

いやいや、そんなこと信じられるわけがない。トカゲの尻尾じゃあるまいし、指だって切り落とせば戻らない。いつまで経っても完全に治らない傷跡だって、体には沢山ある。私は、今後一生アヌスを隠して生きていかねばならないのだ。こんな大きく醜い傷跡なんて、人に見せられない。


医者の言うことを疑い続けて数ヶ月。今となっては完全にシリアナ海溝がふさがり、ほぼ元通りのきれいなアヌスに復活した。人体とは不思議なものである。

浸出液も徐々に出なくなり、2か月後にはガーゼが不要になった。色々気にならない人であれば、もっと早くガーゼをしなくなる人もいると思う。

生活も、手術から1か月後には運動が解禁され、アルコールも飲むようになった。便に関しては、基本的には痛みもなく、快便だけれど、若干締まりの悪さを感じることがある。

もちろん便が漏れるほどの事はないが、腸内の水分が隙間から滲み出るようなことが稀にあった。ムズムズとした違和感を感じて、トイレットペーパーで拭いてみると、便のような色の液体がついてる、といった感じである。

最近は全くないので、一時的なものだったのだろう。術後の通院も、1ヶ月に1回、計3回で終わり、完治と判断された。


ついでに、お金の話を少し紹介したい。

入院、手術にかかった費用は、事前の限度額適用認定証のお陰でかなり安く済んだ。限度額適応の負担額は各々の収入にもよって変動するが、入院保険と、手術給付金だけでも少々の焼け太りが発生した。取得した有給、傷病手当金を考えると、ちょっとした臨時収入と言っていいほどの額になった。

これが、事前に限度額適用認定証の入手ができないような場合だと、申請後に還付はされるものの一時的な自己負担額が増えてしまう。

また、月を跨いでの入院になったりすると、限度額認定の自己負担額は月額換算になるため、負担額が増えてしまう。

手術の予定があり、ある程度入院日を決めることができる場合は、事前に限度額適用認定の準備をし、出来るだけ月を跨がないタイミングで退院できるように調整する事をお勧めしたい。

退院後、食物繊維などを積極的に取り、テレワーク環境でストレスを感じることも少ない状況のためすこぶる快腸だが、それでもお腹を下してしまった時は、ゾッとする。ただ、幸い痔瘻再発の兆候は無く、安心して過ごしている。

その一方、話のネタやこの痔除伝の連載に際し、再発してくれればオチがついて面白かったのにな、と言う気持ちも何度か覚えたものである。

残念なことに、治ったこと、終わって日常に戻ったということほど、オチの付け難いものは無いからである。


今ではすっかりアヌスに関する不安はなくなり、快適な日々を過ごしている。こんなに長期間アヌスについて悩まない日々を送っているのは、本当に久しぶりだ。

アヌスに異常があると、友人と酒を飲んで笑っていても、

(でも、俺のアヌスからは今も膿が出ているんだよな……)

と、暗い気持ちになったり、ちょっと気になる女性が出来ても、

(アヌスから膿が出てるようなヤロウが、一丁前に恋心なんて抱くべきではないな……)

と、卑屈になってしまう。

空の色は濁り、すれ違う人間全てが敵に見える。心の余裕もなくなり、ちょっとしたことでイライラしてしまったり、フワちゃんに嫌悪感を抱く様になる。

しかし、アヌスが健康!ただそれだけで、世界はこんなにも輝いている。

空の透明度は増し、様々なものの輪郭がはっきりと見える。外を歩けば子供の笑い声が響き渡り、頬を撫でる風の僅かな変化で季節の変わり目にも気付く。

おまけに目が二重になって、鼻も高くなったり、動物と会話ができるようになった。今、これを書きながらバスタブに札束を敷き詰め、両脇に美女を抱き抱えている。アヌスは第二の脳、すべての健康はアヌスの正常化からとは、よく言ったものである。しかし、不思議と未だにフワちゃんには嫌悪感がある。


晴れやかな曇りない心となった私は、改めて今回の件で色々配慮をしてくれた同僚や上司、進んでナプキンを購入してくれたもえさん、ママを始め医療従事者の皆様に心から感謝を捧げたいと感じた。

他人とは敵ではなく、愛すべき隣人なのである。同時に、痔だなんだとバカにして来た奴らは、全員派手な痔瘻になって、アヌスから血膿を垂れ流し、地獄の苦しみを味わったまま死ねばいいと心から思うばかりだ。

長きに渡ったこの痔除伝も、これにて完結となる。あまりの長文とくだらなさに、果たして全部読んでくださったかたが居るのかどうかも分からないが、少しでも参考になった、励まされた、面白かったと思ったかたがいたのであれば、私の苦難にもお釣りが来るというもの。

長文の連載で、文字数もかなりのものになった。少しづつ修正し、作り上げた大作。時間をかけて取り組んだため、そこそこの達成感がある。しかし、改めて読み返してみると、その実態はただのケツの穴のビョーキの話。

「私は果てしなく無駄なことに時間を費やしていたのでは……?」

という後悔も、あったり、なかったり。

かつて、漫画家のうすた京介先生が、名作『セクシーコマンドー外伝 すごいよマサルさん』を書き上げた際、自らの作品を「精一杯出したうんこ」と評したことを思い出した。

マサルさんほどの名作とは比べ物にもならないが、なんだかその気持ちの一端を理解できた気がする。

願わくば、今後これが多くの人の目に留まり、話題を呼んで小畑健先生作画で漫画化、もしくは佐藤健などのイケメン俳優主演で映画化、さらにはUfotable制作でアニメ化にでもなってくれれば、私の労力も無駄にならず、さらにお釣りで家が建つ。

そんな餅を絵に書きながら、その紙でケツを拭いて過ごす毎日である。

おしまい




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