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「オモシロ」という呪い

 自分のアイデンティティは何ぞやと考えた時、そのファクターとして「お笑い」「生き物」が組み込まれていると思うので、那須どうぶつ王国『スッキリ』の件はまあ思うところは色々ありますわ。

 報道、教養、クイズの番組なんかがバラエティ、お笑い化するようになって久しい。朝昼にやっているワイドショーの類いは中学で不登校キメ込んでいた時期に見ていた記憶があるが、その当時から既に低俗、猥雑なものと思うようになってそれ以降まともに見ていないのもある。
 わざわざリポーターをお笑い芸人、しかも体を張るタイプのオードリー春日を起用している時点で普通のアナウンサーやアイドルがやるようなほんわかしたリポートをやらないのはわかっている。そしてMCの加藤浩次もスタッフもそれを煽る。
「ピンマイク30万するから濡らすな」というお笑い的なくだりを言っても、フンボルトペンギンの一個体の値段はその倍以上はするだろうし、そうでなくても絶滅危惧種、そうでなくても命あるものなんだから比較にならない。しかも昨今鳥インフルエンザの流行で東武動物公園やアドベンチャーワールドで泣く泣く殺処分も行われてしまって、どこの動物園に行っても鳥類の展示を規制しているところがほとんどで、衛生面でかなりヒリついている。その辺の知識、認識があって余計に笑えない。

 同じくオードリー春日関連だが2016年2月24日の『ヒルナンデス』にてIKEAの椅子をぶっ壊したこと。ハプニング的な笑いとしては一時は面白いと思う。しかしそれを延々と擦って「#オードリー椅子破壊記念日」なんてハッシュタグ作って何年もほじくり返すほど面白いと思えない。壊す意図で粗末に扱ったら物が壊れるのは当たり前のことなのだから。
 お笑いをやる側だけでなく観る側のリテラシーも麻痺している部分がある。お笑い芸人だから型破りなことをやって当たり前と演者自身も製作者もそういうものを作ることを求められているし強いられていて自縄自縛になっている。

 あらゆるテレビ番組がお笑いの「オモシロ」をやろうとし過ぎていて、度々よくない方向に加熱、過熱化している気がする。
 今やワイドショーのMCや出演者の大半はお笑い芸人だ。『ラヴィット』なんか出演者への大喜利ボケに特化していて好評っぽいらしいが、正直食わず嫌いだ。プレゼントキーワードのハッシュタグも傍から見てボケることを強いられているとトレンドワードを見て思う。
 クイズ番組にしても教養番組にしても「オモシロ」を追求して間違った情報を伝えたり、知的好奇心よりも知識のマウントにより無知への見下しを感じてしまうような構成も散見する。静岡県民だけど『秘密のケンミンSHOW』で紹介されたみたいに駅ターミナルから離れた家康像前で待ち合わせも駄菓子屋でおでんとかき氷を一緒に食ったりもしたことない。ちょいちょい解説が間違っていると指摘があるし、ボーっと生きていたいから『チコちゃんに叱られる!』は観ない。『トリニクって何の肉!?』ってなんだったのか。

 高校、大学で深夜ラジオやコントにかぶれてお笑いをそれなりに考えるようになったので「本当に面白いこととはなんぞや?」と思うことが多々ある。

 最近でこそルッキズムとか言われるけど、そもそもなんでチビ、デブ、ハゲ、ブス、眼鏡、貧乳etc.のコンプレックスは面白いとイジリのネタにされるのか? 普通に話している最中に少しでも噛むと「今、噛んだ?w」とイジられて壮絶に馬鹿にされるのは面白いのか? 同性愛者やSMは笑いの対象にして脈絡や理由付けなくオカマキャラを演じたり、殴られて「気持ちいい」「ありがとうございます」とか返す連中は何が面白いのか理解した上でやっているのか? 考えれば考えるほどになんでそれが面白いのか、オモシロなのか理由がわからなくなる。細かく分析すれば優越とかズレとか理由があるんだけど、そこまで考える必要がないにせよ、多くの人は気にかけない。
 全部テレビの真似事で、ドリフや松本人志とかが最初に面白さを見出したことを思考停止で鵜呑みにしているだけ。皆、面白さの根源がわからないまま「オモシロ」をやろうとする。いつしかそんな強迫観念に囚われている。「オモシロ」という呪いだ。
 日常会話で話のオチやノリを求められる。今年も新入生・新入社員は歓迎会で一発屋芸人のコピーか何かをやらされるし、コンプラガン無視なら裸踊りとかもやらされるだろう。エイプリルフールになれば個人も企業も嘘と称してやる必要もないジョークや企画をなんかやらねばならない。Twitterではトレンドに対しての気の利いたツイートをしていいねやバズのために皆躍起になる。YouTuberやTikTokerは悪ノリが過激化して炎上が絶えない。
 結果、面白いことをやろうとして面白くない。オモシロ正しくない。

 芸人とか有名人のエピソードで「子供の頃、勉強もスポーツもできなかったけど、テレビの真似をしたり笑いを取ることで周りと友達になれたり人気者になれた」…的なことを聞く。それ自体は別にいい。でも裏を返せばそういった笑いを取ることは苦手を補填するくらいのものが求められることだし、ハードルが高い。でも勉強と違って学校や塾はそういうことを直接教えてくれない。なのにユーモアセンスや道化を演じることが今の世の中必要とされる。

 面白いことをやらなくていいし、面白くなくていいんだよと思う。皆が皆、面白いわけじゃないし、なんなら大体の人間は面白くなんかないんだから。

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