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2022/12/06 BGM: Silent Poets "Talk Is Toy" (Inter-Planetary Travel Mix)

今日は休みだった。朝、イオンに行きそこでとあるサーバで行われている今年のアドベントカレンダーの企画のためのエッセイのアイデアをあれこれ考える(イオンまで行ったのは、何となくそこでならいいアイデアが出そうだったからです)。その後グループホームに戻りそのエッセイを完成させる。今から10年前、私が自分の人生においてどん底にいた時のことを振り返り、そこから10年でどんな変化があったかを書くものになった。ああ、何とも味わい深い10年だったと思う。よくもまあ生き延びて、ここまでやってきたものだ。

10年後どころか、1年後だっていつも自分がどうなっているか見当もつかない人生を歩んできた。いや振り返ってみれば20年以上も同じ仕事をしていて、同じ趣味(読書や音楽鑑賞、映画鑑賞)に勤しんできたことになるわけだが、例えば今こうして日記を書いている自分のことを5年前は想像できなかった。5年後、そこから振り返って私は「今」こうして日記を書いている自分を想像できるだろうか。そう考えていくと、自分という存在は目まぐるしく変化する世界の中で成長していく存在なのだなと思われてくる。ああ、来年はどんな人生を歩むのだろう。

午後、図書館に行き本を借りる。ジョン・アーヴィングの本を何冊か。今年はアーヴィングを読んで年末年始を過ごすことになりそうだ。それで『未亡人の一年』を読み始めたのだけれど、相変わらずアーヴィングの世界はエッチで、そして抜群の安定感を保っていると思う。アーヴィングはこうした物語に潜む「普通の生活」の力を信じているのかなと思った。物語、と書くと起承転結のはっきりした、もっとメリハリがある話を連想させるかもしれないけれどアーヴィングはそうした血湧き肉躍る話とはまた違った、旨味のある物語を書く作家だ。これ以上は読み進めてから書きたい。

夜、そのアーヴィングを一旦脇に置いておいてフェルナンド・ペソア『不安の書』の残りを読む。ペソアは倦怠感を隠さず、自分の思念で世界を塗り替える。倦怠感を書くことの根本に据えた作家、疲れ果てたところから書き始めた書き手というとロラン・バルトが思い浮かぶ。バルトを読み返すのもいいかもしれない。いや、バルトを理解できたと思ったことはまったくないしこれからも(フランス語を学び直さない限り)ないだろう。だけどバルトを読むのは気持ちいい。わからないけれど面白い……こんな態度は褒められたものではないかなとも思うのだけれど。

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