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息抜きの難しさ


最近、大学の課題が忙しい。

実験レポートを進めながら、授業で出た課題をこなしていく。

課題もすぐにすんなり終わるものでもないから、それなりに覚悟を決めて、パソコンの前に座らなければならない。

時には、授業の板書を書き留めたノートを引っ張り出し、くしゃくしゃになったレジュメを広げながら、課題というジャングルを攻略していく。

学校の課題というのは、あまり面白いものでもない。

課題がたまってくれば、「こんなにもやることがあるのか・・。」と気が滅入ってしまう。

効率よく、計画的にこなしていける人にとっては課題というのは、そんなに大変なものではないと思うが、残念ながら僕は課題をひょうひょうとこなしていける程優秀でもない。

これを読んでいるあなたが、どちら側の人間かは分からないが、世の中にはそれほど優秀な人間というのは多くはないと思っている。

だから、今回の話はあなたにも共感してもらえる気がする。

計算資料

こころの引っかかり

課題や、やるべきことがたまってくると、心の中で「これをしていていいものか」という想いが募ってくる。

そういう気持ちがあると、だんだん物事を楽しむことができなくなってくる。

Youtubeを見るにせよ、読書をするにせよ、友人と遊びに行くにせよ、「今こんなことをしていていいのか、もっとやるべきことがあるだろ」という自分の心の声が聞こえてくる。

そういう気持ちがあるときには何を見ても何をしても心がおどらない。

単純に考えてみれば、課題や、やるべきことをこなしていくのが一番の近道である

だからって、僕も人間だからずっと課題や困難に立ち向かい続けられるわけでもない。

困難に立ち向かう、立ち向かっているときこそ、休息や息抜きが必要になのに。

つまらない少女

どうしたら・・・

その気持ちに対する僕なりの考えは、「その時間が課題に立ち向かうためのエネルギーを生み出すための時間であるのか、課題から目をそらすため、現実逃避のための時間になっているかを考える必要があるのでは」というものである。

子供のころは、僕はゲームが大好きだった。今もたま~にPCゲームをやったりするが、大学生になってからというものめっきりやらなくなってしまった。

きっと僕にとっては、ゲームというのは現実逃避のツールだったと思う。

現実を忘れて、自分のなりたい自分に簡単に近づける。

世界も救えるし、何回失敗したってリセットボタンを押せばいい。

でも、

だんだん現実に向かい合えるようになってくるにつれて、現実逃避をする必要がなくなってきたんじゃないかなと思う。(正直なところまだまだ、現実に向かい合えているかは怪しいけど)

僕の中では、ゲームは現実逃避。(ゲームの楽しさを知っているからこその意見です。ゲームをやることへの批判ではありません。小学生の頃はスマブラを毎日やりましたし、モンスターハンターもやりこみました。)

その反対に現実から離れたところで僕にエネルギーを与えてくれるものもある。

例えば、読書だったり、Noteを読むことだったり。この前に書いた散歩だったり。美術館でいい作品を見たり、名作映画を見たり。

僕にエネルギーを、勇気を、元気を与えてくれる。

なんでだろう

ゲームってなんだかあったかいと思う。さっきも書いたけど、友達との思い出も詰まっているし、親戚のおじさんとゲームで戦った思い出もある。

集まってゲーム

それに対して、読書とか美術館に行くことってなんだか少し冷たい

でも、その冷たさが僕にとっては少し心地良いのかもしれない。

読書

暑い日にさんざん走り回った後に、おばあちゃんちの畳の上に寝転がるときみたいな。(伝われ)

課題や困難に立ち向かっている人にとって一種クールダウンするための場所というか。

あったかい場所は心地が良い。だからこそ、そこから抜け出せなくなる。

冷たい場所は、ほてった体にはちょうどいい。そして、体が覚めたらまた次に進める。

この気温差が、休息を考えるために大切なことのような気がしてきた。(ひとり合点、申し訳ない。)

という事は・・・

ここで最初の問いに戻ってみる。

「課題や、やるべきことがたまっているときに、物事を楽しむことができない。」というものだった。

ここまでの考えをもとに出す僕の答えは少しずれている気もしてきたが、

「まずは課題に取り組んでみる。  疲れてきたら、少し冷たい息抜きをしてみる。
 きっと、それは課題に立ち向かうエネルギーを与えてくれると信じて。」

という感じか。

現実逃避でなく、エネルギーを求める息抜きなら積極的に肯定していこうという感じ。

やはり、前提としては課題をためないというのはあるのだけれども。

ところで、僕にとって、noteを書くというのも、少し冷たい息抜きに入るのだが、あなたにとってはどうなんだろう。

ぜひ、考えてみてほしい。



うまい棒代にさせていただきます。