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空っぽな自分、満たされた自分

最近Twitterを始めた。

このnoteを始めるにしたがって、Twitterとの関連がとても便利だという話を聞いて、Twitterを始めてみたのだが、タイムラインの川を流れていく情報を見ているととても疲れる。

アカウントを作ってしばらく、投稿したnoteをTwitterにも投稿をしていたら、そのうちフォローをしてくれる人が現れた。

アカウント名やプロフィール欄には、「Twitterとnoteを利用して○○円稼ぎました!」「Twitterフォロワー数○○万人突破!」など輝かしい記録の数々が書かれている。

やはり、僕もいろんな人には見てほしいし、お金はもらえるものならもらいたい。興味があったのでフォローバックをした。

すると、タイムラインは、「自分のやりたいことを仕事にしよう!」「ほんとにそのままでいいの?会社、信用できる?」などなど今の自分を駆り立てる文言にあふれた。

駆り立てる、という言葉はちょっとずれてるかもしれない。

責め立てる、否定する、といった言葉が正しいのかもしれない。

その言葉を見ているうちに、noteを地道に続けていくことの意味や目標が見えなくなっていった。

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僕にとって、noteを書く、情報を発信することの意味や目標は、お金やフォローワー数、いいね数にあるんじゃない。自分の気持ちや考えを形にすることにあるし、その考えに共感して楽しんでもらえる人が、1人でもいてほしい。そういう想いでやっている。

やっぱり、これを大事にしているnoteだからこそ、僕は、気持ちよく気持ちを形にしていくことができるし、それは、noteを利用しているあなたにも共感してもらえると思う。

自分の中のそういう気持ちがなくなってきたとき、お金とか地位とか、権力とかに目がくらんでいるとき、なんだか自分が空っぽになったような気がしてくる。

自分が風船みたいになってぷかぷか浮かんでいるような。
自転車をこいでもこいでも空回りしちゃうみたいな。

だけど、自分が創作を楽しんでいたり、誰かに楽しんでもらいたいって思う時、僕は満たされている。

風船の中には、キャンディーとかチョコレートとかがいっぱい入って重たくなってる。
自転車がぐんぐん進んで、どこまでも進んでいけるような気がする。


それに、

僕は、創作を楽しんで、誰かに楽しんでもらいたいと思っている僕のほうが好き。

僕は、そういう僕を大事にしたい。

だから、そういう気持ちになれない場所はちょっと行かないでおく。


世の中には情報が溢れすぎている。

テレビや新聞、ネットを見れば、悲惨な事件や芸能人のスキャンダル、もちろん最新技術の開発だったり、人の役に立つような事業の紹介なんかもある。

そういった情報に触れれば、人はうれしい気持ちになることも、悲しい気持ちになることもある。何かに嫉妬することもあるし、何か発見がある。

しかし、そのあまりに膨大な情報量を前に混乱する。情報の洪水に溺れてしまう。自分がぷかぷか浮いて、どこに行くのか、どこを目指しているのかわからなくなる。

だからこそ、人は触れる情報には気を付けて、自分がいかに幸せに暮らしていけるかを考えたほうがいい。

自分の進むべき方向を自分で選択をして、小さく一歩ずつ歩んでいけば、必要な情報というのはおのずと手に入ってくる。

だから、そんなに焦って情報の川に飛び込むこともないんじゃないかな。


ところで、Twitterと言えば青い鳥だが、童話の『青い鳥』という作品があるらしい。

『青い鳥』(あおいとり、フランス語:L'Oiseau bleu)は、モーリス・メーテルリンク作の童話劇。1908年発表。5幕10場。作品の主題は「死と生命の意味」。
2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語。  (wikipediaより)

何か、ヒントになるかもしれない。

読んでみようと思う。



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