見出し画像

胸を切った彼女なら、ペニスを切り落とした僕を愛せるはずだった 第14話

【女・共犯】

 女は鏡を避け、前髪で顔を隠すようになった。目元は無事だったが、むしろそこだけが滑らかな肌色を呈しているせいで、まるで逆パンダだと女は思った。目元以外は赤黒く変色して、ずる剥けになった皮膚。痛くて痛くて堪らない。医者から痛みは徐々に治まるだろうが、痕は残ると再三言われた。痕だけでなく、突っ張る感じも。もう元には戻らない。生涯この顔と上手に付き合っていかなければならない。ただ落ち着いたら、専門的な皮膚科や形成外科で相談するのも選択肢だと担当医は親身になって話した。
 けれど、女にそんな気は更々無かった。痛みは辛かったが、そもそも見た目に関して、そこまで気にしていなかった。
「大丈夫? よく頑張ったね」
 彼がどういう意図でそう言っているのかは分からない。痛みに堪えてよく頑張った、辛い治療をよく頑張った……あるいは、よく頑張って顔の形を変えた、なのか。
 油に顔を突っ込んだ日、彼はすぐに来てくれた。そして優しくなった。目付きが変わった。この上なく大事なものに、愛しいものに触れる手付きで女の顔に触れた。仕事が無い時、彼は頻繁に彼女の元を訪れた。休みであれば、付きっきりで傍に居る日もあった。
 女は幸せだった。

「君に聞いて欲しい事がある」
 やがて退院して女が自宅に帰ると、付き添っていた彼が切り出した。
「え……なに?」
 唇が突っ張って、少し話しにくく感じる。そのせいで以前より多少ゆっくりと話すようになっていた。だが今、ゆっくり話すのはそれが原因ではない。相手に胸の高鳴りを悟られないためだった。
 ようやく私は、彼の理想になれたのだから。
「君にしか頼めないんだ」
 だけど相手の表情を見て、女は違和感を覚えた。告白とは違う。甘い空気ではなく、妙な緊張感を醸し出していた。
「……助けて欲しい」
「助けるって……」
「付き纏われて、困っているんだ」
 女は目を見開いた。目だけは以前のように比較的スムーズに動かせた。だが突っ張る感じはある。顔の筋肉は繋がっているのだと、こうなってから初めて実感した。
「付き纏われるって……誰に?」
「それは……相手は分かっているけれど……」
 改めて彼の顔をまじまじと見つめる。綺麗で整った顔。鼻筋が通って、キリリとした眉に切れ長の目。唇は厚過ぎず薄過ぎずのほど良いバランス。その唇は動くだけでセクシーだった。こんな素敵な人が自分に付き添ってくれていたなんて今でも夢のようだったし、同時にストーカー被害に遭っていると聞かされても納得してしまった。
「警察には相談したの?」
「いや、そんな事は出来ない」
「どうして」
 相手の男性は困惑したように目を伏せていたが、やがて顔を上げ、女の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「……俺も彼に恨みがあるんだ。詳しい事は話せないけれど……警察を巻き込む訳にはいかない」
「え? ちょ、ちょっと待って……彼って、相手は男の人……? しかも恨みって……」
「向こうは多分、昔の女絡みを根に持っているんだと思う。それで嫌がらせのために付き纏ってくるんだろうけれど……俺もアイツに探りを入れたい。でも俺じゃ駄目なんだ。だから君が近付いて欲しい」
「私が?」
「僕と共犯になって欲しい」
 共犯。なんて甘い響きだろう。二人で秘密を共有するなんて、これまでとは明らかに違う。ただの友人とは一線を越えた関係。
 でも、思っていたものとは少し違う。
「……貴方の力になりたいし、話してくれたのも凄く嬉しい。けれど、私にそんな事……」
「ありがとう。今の君はこんなにも素敵なんだから、必ずハニートラップは成功するよ」
「え……ハニートラップ? そ、そんなの余計に無理よ。だって私、顔が……普通の人なら、きっと……」
「絶対に大丈夫。彼は俺と同じ医者だから、傷なんかで人を判断しない」



次→:胸を切った彼女なら、ペニスを切り落とした僕を愛せるはずだった 第15話|アサキ (note.com)

←前:胸を切った彼女なら、ペニスを切り落とした僕を愛せるはずだった 第13話|アサキ (note.com)

一覧(第1話):胸を切った彼女なら、ペニスを切り落とした僕を愛せるはずだった 第1話|アサキ (note.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?