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九段理江「東京都同情塔」in ハコニト

恒例となりつつある芥川賞受賞作の読書会をハコニトで開催。

BARハコニト (amebaownd.com)


いつも人集めで苦労する。
今回は有難いことに前日までに九名の申込みがあった。
当日にキャンセルがでてしまったため、最終的な参加者は七名。

テーブルのお菓子を囲みながら簡単な自己紹介をした後、感想を一巡する。
感想はみなバラバラで、
「ギミックが多く読みごたえがある」といった肯定的な意見がある一方、
「独白が多くて読みづらい」
「作中の人物にまったく共感できない」といった否定的な意見もでる。
僕は一応主催という立場のため参加者の意見にコメントしつつ、各々の顔色を伺いながら進行役に徹する。
できているかは知らない。
というかフォローをいれるつもりが、僕自身が話し過ぎてしまい、その話過ぎな雰囲気を感じつつもどうしていいかわからないから、助けを乞うように他の常連さんに無理やり話題を振るなんてことはザラにあったので、進行役としては全然いけてない。
グダグダで申し訳ないと思う反面、常連さんの存在が有難い。

しかし脱線に脱線を重ねながら、感想を一巡するころには場が温まってきて、話題は作中の話にはおさまらず日常生活に飛火する。
例えば作中の登場人物マキナ・サラは外来語に日本語が侵食されるていることに不安や苛立ちを感じている。
そこから派生して、いつしか僕たちの職場で頻繁につかわれるようになった「エビデンス」「アジェンダ」といった謎のカタカナ語に対する違和感や、知らず知らずのうちに使っている便利な言葉について、あれこれ例をあげながらみんなでワイワイやる。
作品の話とは関係ないようで関係ある話がとても面白いし、個人的に日常の問題と地続きな作品であればあるほど、読書会は盛り上がると思う。

盛り上がってくると、誰かの発言に触発された別の誰かが話し出し、むかし理科の実験でやった鉄と硫黄の混合物に熱が伝わると自動的に発熱反応がすすむような感じで場が醸成されていく。
「どんなものを美しいと感じるか?」
「言語によって私たちが抑圧されるものってなんだろう?」
という哲学的な問いもでて、まんべんなく皆と対話できた良い会だった。
ご参加いただいた皆さん、ハコニトさん、楽しい時間をありがとうございました。


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