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大学で久々に顔を合わせた友人が、帰り道に妙なことを言い出した。
『俺さ、シモキタの駅で、見ちゃいけないもの見ちゃった気がするんだよね』
私は怯えを必死に隠しながら、「どうせ見間違いだろ? お前昔から変なこと言ってるから心配だよ」と言った。しかし友人は、食い気味に『お前は見てないからそんなことが言えんだ!』と叫んだ。
「いきなり大きな声出すなよ。そんで、何を見たんだ?」
私は一旦、彼を落ち着かせるために質問を投げかけた。
彼は鳥肌の立った両腕を擦りながら、声を落として喋り出した。

大学に行く道すがら、『快速急行』に乗ってしまった彼は、一度下北沢で降車した。各駅停車を待ちながら、ぼんやりと線路を眺めていた。すると突然、尋常じゃないスピードで、見覚えもなければ時刻表にすら載っていない電車が滑り込んで来た。黒塗りで光沢が全く無い車輌だったという。そしてそれは速度を緩めることなく、反対方向へと消えて行った。近くでは、全身黒ずくめの男がどこかに電話を掛けている。この一連の出来事を、彼は「見ちゃいけないものを見た」と悔やんでいるのだ。
どんだけウブなん?
この時はまだ、笑っていられた。

しかし私はその話を数日間忘れられなかった。
真夜中にインターネットで検索をかけ、様々な噂や都市伝説を読み漁った。けれど、その噂の真偽は、依然として不明なままだ。

数日後、給料が入った私は、掘り出し物を見つけに下北沢を訪れた。私が好きな古着屋は、『スティックアウト』や『フラミンゴ』である。特に後者は、店内がとても良い匂いなので、それ目当てに行っても良いくらい好きだ。まぁ、そんな話は置いといて。下北沢の探索に疲れた私は、クラクラする頭を撫でながら駅に入った。

給料日だからか駅構内は混雑していて、私は本当に倒れてしまいそうだった。戦利品をしっかり抱えて、マップアプリの情報通り、地下へ潜っていく。しかし、エスカレーターで『B3F』まで降りたところで、大きな違和感を覚えた——。
「……あれ、おかしいな」
私はこんなホームを知らない。
下北沢駅は、京王井の頭線と小田急電鉄が交差する駅になっており、京王井の頭線は高架駅、小田急電鉄は地下に駅がある。しかし、小田急電鉄のホームは『緩行線』と『急行線』でホームが分かれているとは言えど、地下は二階までしかない。つまり、『B3F』など存在するはずもないし、してはならないのだ。
だが、確かに私は『B3F』にいて、降りてきたはずのエスカレーターは消失していた。コンクリート打ちっ放しの歪な柱が、至る所にあるホーム。天井からは雨漏りがしていて、電気がチカチカと瞬きのように点滅した。
そして、耳障りな汽笛。獣の鳴き声のような地響き。
目の前に、電車が到着していた。
大きな怪物が口を開けているみたいだと思った。
私は抵抗する術もなく、気付けば吸い寄せられるように乗車していた……。

電車が発車して、ホームを離れる時に流れた車窓の景色に、黒装束の集団が見えた。彼らはカメラを構えていて、口元には黒いスカーフを巻いていた。
車輌は最深部へと、潜り込んでいく。
坑道のように、空気がひんやりしていた。私は塗りつぶしたように黒い車窓を眺めながら、ふと、こんな都市伝説を思い出した。

とある時期、小田急電鉄のとある区間で、買われた切符の枚数と、出口にある改札機の切符の枚数の帳尻が明らかに合わなくなる。そして、それと同じくらいの割合で『お忘れ物承り所』に急増するのが持ち主不明の一眼レフカメラである。一眼レフカメラを持っている人間ばかりが掻き集めるように消えてしまっているのだ。そして同時期、小田急電鉄の路線図や時刻表に乗っていない急行列車が通過していくのが、沿線のターミナル駅(代々木上原や下北沢)で多数発見されている。下北沢駅を通過する電車などというものは、ロマンスカーくらいであるため、これは妙な話だ。『牛満都蔭駅行き』と、その電車には書かれている。

列車の揺れが激しくなってきて、外から雷鳴が聞こえる。すぐ近くに落ちたのか、地面が唸り、線路が波打つ。雨が屋根を打つ音が強くなってきて、車窓を覆っていた黒い帳が溶かされた。
窓を覆っていたのは、黒い蜥蜴だった。黒い蜥蜴が土砂降りに洗い流され、視界は開けた。しかし、気味の悪さが自分の中で大きく膨れ上がった。
この電車は、牛満都蔭駅へと向かっているのかもしれない。暗くてあまりよく見えなかった乗客の顔を、先頭車両から順々に確認していく。やっぱりそうだ。

どことなく居心地の悪さを感じていた私は、その正体に気付いた。乗客はその大半が、一般的に『撮り鉄』などと呼称される鉄道オタクだった。一眼レフばかりが『忘れ物承り所』に届いたのは、『撮り鉄』ばかりが現世から消失してしまい、この車輌にワープしてしまったからだ。しかし、どうして。依然として理由は分からない。だから、不気味さが持続している。

乗客たちをよく観察すると、それらは残像であるかのように、実体を持っていなかった。
——彼らは、一体何なのだろう。
ゾンビのように白濁した目が、こちらを睨んでいるのが分かる。私は元いた車輌へ、足早に戻る。

その途中、電車の中央あたりの車輌に、見覚えのある顔を視界の隅に捉えた。
「あ、こいつあれやん」
私はつい、口に出してしまう。遮断機が降りている踏切で写真撮影をしたりして、駅員などから再三にわたって注意を受けたにも関わらず聞き入れようとせず、挙句の果てには開き直り、傲慢な態度をとったことで炎上し、メディアでも数日取り上げられた男だ。
こんなところで有名人(社会のゴミ)に会えるとは思ってもみなかった。
憔悴しきった顔を見て、私は笑いを堪えきれない。

電車はもうそろそろ終点の牛満都蔭駅に到着しようとしていた。
雷雨は一層強さを増し、さっきいなくなったはずの黒蜥蜴がドアの隙間から車内に流れ込んでくる。駅に近づくと、空の色が真っ赤になった。そして、何だか様子がおかしい。駅のホームが見えるのに、電車は一向に減速しない。この世のものとは思えない乗務員の声が、車内全体に漏れ聞こえる。
『ヤバい! ブレーキが!』そして、悲鳴。
『止まらない! ちょっと待て、目の前に人�鐔э秀鐔�終……!
大きな衝突、そして車内は真っ暗になる。
乗客が恐怖に啜り泣く声や、押し殺すような悲鳴が聞こえる。
ズザザッ………
車輌前方から、足を引き摺って歩いているような、床の擦れる音が。
徐々にこちらに近づいてくる。

涙声の中に、とめどない怒りのようなものが時々混じり、なまはげのような喋り方で、ヤツは着実にこちらへ向かってくる。懐中電灯の朧気な灯りが点滅しながら、隣の車輛まで迫ってきていた。私は早くなる心臓の鼓動が漏れ聞こえてしまわぬよう、口元を抑えた。

灯りを目で追っていたら、後ろから肩を叩かれた。何もないはずの壁から、手がにょっと出てきて、私の肩を叩いている。声が掠れて悲鳴の一つも出ない。後ろを向いたら、ところどころにケロイドの痕がある痛々しい子供の顔が、私を睨んでいた。
『お前がとったのか?』
後ろからの声に、私は全身を強張らせながら、「いいえ」と答える。すると、『そうか。なら誰がとったんだ?』と問われ、何も思いつかない私は「分かりません」と答えた。
あ゙あ゙?
さっきまで幼かった声が怒号に変わり、地響きが車輌を震わせる。ズドーン! と音がして咄嗟に目を瞑った。再び目蓋を開いたら、車輌中央に雷が落ちていた。ところどころ座席が燃えていて、終いには焦げ臭い匂いが周囲に漂い始めた。

また、視界が赤くなった。私は焦り始める。
咄嗟に思考を巡らせた。
今私はどうすればいい、考えろ。考えるんだ。
恐らくは、私が「知らない」の一点張りで逃れようとしたあの瞬間の数分前に戻ったのだろう。
プレイバックしたように、『ヤバい! ブレーキが!』
そして、悲鳴。鈍い衝突音。
私は全てを知っている。覚えている。
暗転の直前、私は隣の席に座っている奴の顔を知っていることに気が付いた。さっきまでの自分だったら、絶対に気づけなかった。
隣に座っていたのは、かつての恋敵だった。
同じ女性に恋をして、彼が敗れた。
『可愛い私が、てめぇみたいなキモい鉄オタと付き合うわけねぇだろ』
振られるだけならまだ良かったのかもしれない。
しかし彼は、こんな言葉を投げつけられ、嘲笑されながら振られたのだ。彼はあの女性を、そして、その彼氏になったことのある私を憎んでいても何らおかしくはなかった。
「……ん?」
私はこの瞬間、この悪夢から逃げ出す方法を見つけた。閃きの電球が、私の足元を照らした。
しかし、私はそれを実行した後の未来を考え、少し躊躇ってしまう。

懐中電灯が、また私のことを探している。
ただし、私の中から既に怯えは無くなっていた。
俺がこの、残酷な運命を変えてみせる——。
そう、心の中で誓ったのだ。

『お前が盗ったのか?』
問い掛ける声に、私は答える。
「え、何のことですか?」
ケロイド白濁目玉の歪な少年は、一瞬訝しむような顔を見せる。
『……知らないなら、いい。お前、僕の縺�$�撰シ、一眼レフ、盗った犯人を知っているか?』
やっぱり。ここで私は確信する。
この車輌に乗っているのは全員、彼から疑いをかけられた人間たちだ。そして大抵の人間は、この問い掛けに対し、嫌いな知り合いの名前を挙げる。
そうすれば、自分は目の前の悪夢から逃れられるからだ。しかしそれは裏を返せば、永遠に誰かが悪夢に巻き込まれ続けることを意味する。私がここで嫌いな奴の名前を挙げれば私は救われるが、犠牲を増やすことにもなる。そんな事態は避けたい。私はまた考える。

「知らない。でも、俺は犯人を暴く術を知ってる」
単なる思いつきでそんな言葉を口にしたら、少年は食い気味で聞いてきた。
『それはどんな方法だ!? 教えてくれ、成年!』
私は勝利の笑みを浮かべながら、触れられない幽霊の肩に手を置く仕草をする。
「それを実行するにはね、一旦俺を日常に戻してほしいんだよ。口にはできないくらい、アブノーマルな方法なんだ」
少年は『ダメだ!』と叫び出す。ここまで想定通り。
「じゃあ、俺と引き換えに俺に罪を擦り付けた**をここに召喚すればいい。あいつは俺のこと嫌いだけど、俺はあいつのこと別に嫌いじゃないんだ。だから、三日間猶予をくれ。三日後の24:00までに俺が犯人を見つけられなかったら、あいつを殺していい」
そう俺が言うと、少年の顔は消えてしまい、眩い光に全身が包まれた。

無機質な部屋の中に、私は一人立っていた。
メロスみたいな交渉をした直後に目が覚めた。
四方が真っ白な壁に囲まれた横幅が長い部屋。
プロジェクターが目の前の壁面に、赤く染まった線路の画像を映し出している。
ゴツッ 、 ゴツッ  、  ゴツゴツゴツ……
後ろから歩いてきたのは、ベルベットのドレスを着た貴婦人風の女性。サングラスをかけ、大きなマスクをしている。
『お楽しみいただけましたか?』
彼女の問い掛けに、咄嗟に反応できなかった。
私は「え?」と聞き返してしまう。
『だから、』
全くもう、とでも言いそうな調子で、貴婦人がマスクを外す。私は露わになった口元を見た瞬間、凍りついてしまう。
『お楽しみいただけましt——
私は彼女の口が言葉を紡ぎ終える前に、走って逃げ出していた。非常灯の下を駆け足で通り抜け、階段を転がり落ちるように降りる。階段の裏には献花台があり、枯れたり腐ったりした花束が置かれていた。私はそれを横目に見ながら、裏口らしきドアを開けた。
見慣れた住宅街の景色の中に溶け込んでいたその建物の入り口には、『冥土画廊』と書かれた看板が掲げられていた。私はもう振り返ることもせず、いつもの帰り道を息が切れるまで駆けた。

その後、どのようにして自分が家まで帰ったのか分からない。二日酔いのような鈍い頭痛がして、思わず顔をしかめた。
——お楽しみいただけましたか……?
昨日掛けられた不気味な言葉が、何度も脳内でリピート再生されていた。そしてその女性(冥土画廊の主?)の顔には、あの少年と同じケロイドの痕が確かにあった。私は「もしや」と思い、顔を触った。これがB級ホラー映画の世界線だったら、例えば初めてアップになった私の顔にもケロイドの痕があって、突如私が理解のできない言葉をぶつぶつ呟いた後に画面に勢いよく襲いかかって終わりでもいい。観客は、「なんだ、主人公ですらそっち側になってる退廃世界の話か」とか言って笑うだろう。しかし、現実そうはならない。顔には何も無かったが、まさかこれだけで終わることはないだろうと、漠然とした不安を感じていた。

翌朝、私は『冥土画廊』での恐怖体験が実は何か重要なメッセージを隠していたのではないかと考え、自分なりに〝あの少年〟の惨い死に際を想像した。

恐らく、少年は電車に轢かれて絶命したのだ。
『お前が盗ったのか?』という少年の言葉から、少年は自分よりも歳上の人間に大事な何かを盗まれたことが想像できる。それが、『一眼レフ、盗った犯人』から一眼レフカメラであることが分かる。彼は、大事な一眼レフカメラをどうやら盗まれてしまったようだ。
私はこんな物語を想像した。
彼は母親を喪っていて、その形見が一眼レフカメラだった。画廊で声を掛けてきた女性の顔には、痛々しい傷があった。彼女から逃げようとした時、実は肩をぶつけたのだが、痛みは全く無かった。
彼女は、恐らく少年の母親だったのだ。
少年は、電車の中あるいは駅のホームにあるベンチか何かで居眠りをしていて、その間に一眼レフを盗られたと思われる。母親の形見である一眼レフが無くなってしまい、少年は大層焦ったことだろう。そして、そこにいた撮り鉄の数人に片っ端から話を聞いた。その中の一人が、少年の持っていたカメラと全くの同機種を所持しており、少年は疑念を向けた。
『それは僕のだろう? 人のものを盗るのは最低最悪の人間がすることだ』とでも言って。そして、少年と冤罪をかけられた男は口論になる。少年は意地でもカメラを取り返したくて、ホームの柵によじ登った。
「返せ! 絶対にそれは僕のだ!」
『嫌だね。馬鹿な真似すんな、クソガキ』
しかし少年は、一眼レフの本体に繋がったストラップを引っ張る。首を締め付けられ危険を感じ、理性を失った男は、少年の手からストラップを引き剥がそうとする。そこからは、あっという間だった。
少年がバランスを崩し、柵から線路内へ真っ逆さまに落下する。後頭部を強打した少年は、意識を失って動かなくなる。そして撮り鉄の男は、数秒間呆然とした後、自分がしでかしてしまった事の重大さに気付いたのかハッとして、急に走り出す。通行人に腕を掴まれ、訝しむような目を向けられると、男は言った。
『係員を呼んでくるんだよ! このままだと危ないことぐらいお前にも分かるよな!?』
鬼のような形相で手を振り払い、男は階段を降り、改札口へと向かっていった。男はその後、二度と戻ってくることはなかった。ただ、少年の死に様は母親を模倣したように似通っていた——。

自分が思ったよりも考察は切ない結末になって、私は暫し言葉を失った。母親が先に亡くなっているという推理に根拠は無い。というか、全てが妄想の域を出ない。
私は日曜日の空気を吸いながら、珈琲を淹れようとしている。湯を沸かし、洗濯物を干そうと考える。洗濯機の蓋を開けたら、〝あの少年〟がそこにいた。
「うわあああ!」
私は当然驚いて、絵に書いたように腰を抜かした。
私は目を擦ってから、もう一度洗濯機を覗き込む。
ヤツは、変わらずそこにいた。
「やっぱり幽霊って水のあるとこが好きなんだな」
私が怯えを落ち着かせるように冗談を言うと、
『どうせ開けると思ったから、ここに潜んだんだよ』と少年は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「何の用だ」
私が問い掛けると、少年はふざけた顔を引っ込めて、急に真面目な顔になった。そして言う。
『僕が死んだのはね、事故じゃないんだよ』

ここからは、少年によって語られた話。
少年が死んだのは、母親が入信していたカルト教団による指示だったらしい。世田谷区の某所に、教団の施設はあり、そこに親子共々身を寄せていた。その教団からは〝人間は神の血を注がれた者だけが完成品であり、それ以外は不良品かつ醜悪な汚物であるため、神に選ばれなかった人間は死を以てしか完成されない〟と教えられ、それぞれが『現役寿命』と書かれた消費期限のラベルのようなものを貼られていた。『現役寿命』が近付いてくると、理想の死に方を半ば強制され、ぴったりの期限で言われた通りの死に方ができなかった者には、厳罰が与えられたそうだ。部屋が同じだった者も、連帯責任で痛い目に遭う。ちなみに母親は、期限を守って自殺したという。そして少年は、母親が残した遺書の中に、妙な言葉を見つける。
『駅で一眼レフカメラを構えてる人達がいたら、なるだけ逃げて、距離を取りなさい』
少年は違和感を覚えながらも、母親の言いつけを守ろうと決めた。それから数日して、少年は駅で一眼レフカメラを構える集団を確かに目にした。彼らから距離をとるように、柱に隠れてそっと様子を窺う。カメラが向けられた先には、知っている人がいた。同じ教団施設で生活を共にしている、少年の片想い相手だった。彼は「可愛いなぁ」と心の中で呟きながら、食い入るように様子を見つめた。すると、ここで事態が急変する。
彼女は肩を震わせながら、柵に登り始めたのだ。そして、それからは一瞬だった。線路に飛び込み、真横から来た電車に、彼女は撥ねられた。そして、その瞬間を一眼レフカメラの集団は写真に収めていた。彼らは写真の映りを確認し合い、一番鮮明に撮れた〝死〟を選出した後、どこかへと電話をかけていた。少年はそこまでは見ていたものの、記憶はそこで途切れていて、次に目を覚ましたのは線路の中だったという。
『僕はね、知ってはいけないものを知ってしまったんだよ。だからね、消されたんだ。あの撮り鉄らしき集団は、〝電車〟なんかじゃなくて〝人が死ぬ瞬間〟を撮ってたんだよ』
ここで私は、「ああ」と溜め息を漏らす。
私はずっと、勘違いをしていたのだ。

悪夢で見た少年の質問は、『お前が盗ったのか?』ではなく『お前が撮ったのか?』だ。どうして私は勘違いをしたのだろう。きっと、かつての恋敵が現れたことで、脳内が混乱したのだ。『お前、僕の縺�$�撰シ、一眼レフ、盗った犯人を知っているか?』は、『お前、僕の母さんの自殺を、一眼レフで撮った犯人を知っているか?』だったそうだ。絶妙に噛み合っていなかった会話が、ここにきてやっと腑に落ちた。そして私は、最後にいくつか質問をした。

「ねぇ、どうして君は私に〝お前が撮ったのか?〟って聞いたわけ?」
『君の友人が電車に乗っていただろう? 彼はね、よく君の話をしてたんだよ。「ヤツは絶対有名な小説家になるよ」なんて言ってたんだ』
私は相槌を打って、話の続きを促している。
『でもね、ある時君がクラスの女子に告白をすると言い出して、彼は焦ったんだよ。「ヤバい、あいつがあいつに取られる」ってね』
「うん、だから同じ女子に恋をして、彼が敗れたってだけのことでしょ?」
『違うんだよ。君はそこでも勘違いをしていたんだな。彼が好きだったのは、君だったんだよ。君が陰では「性格が悪い」「悪女」などと揶揄されていた女子に取られることを危惧して、それをどうにか防ごうとしたんだよ』
その言葉を聞いた俺は、目を丸くしてしまう。
でも、目を瞑ってその頃に記憶を遡らせると、なんだか彼の好意に私は気付いていたような気もする。
私はただ、男同士の恋愛がどんなものか想像できなくて、彼の好意を拒絶してしまっていた。春の日のような眼差しに、目を合わせないようにしていた。彼のことを私は相当に傷つけたような気がする。心が傷んだ。
『だけど、彼は君が悪女に奪われるのを防げなかった。絶望の淵にいるような暗い顔をするようになった。それから、教団の幹部に立候補して、彼は採用されたんだ』
私は驚きの連続で、言葉も出ない。
『でも僕はね、彼がかつて好きになった君のことを見てみたいと思った。そして、あわよくば利用したいと思った。作家を志してる君なら、きっとあの日の悪夢を既に書き起こしているんだろう?』
私は頷いた。
『それで良いんだ。そのままこの世の恐ろしいことを、君の文章力で世間に知らしめてくれ』
私は情けない顔で、「うん……」とだけ言った。
更に、少年に質問を重ねる。
「じゃあさ、君のお母さんがやってた画廊は一体誰のもので、どういう場所だったの?」
少年は、感心したように笑う。
『あれもね、教団が所有してる施設なんだよ。僕のお母さんはね、画家ではないけど絵を描くのが趣味で、それなりに上手でもあったから、広報部の芸術部門担当になったんだよ』
「そっか。君のお母さんは、どんな人だった?」
少年は一拍考える素振りを見せた後、
『良くも悪くも、素直で純粋な人だったよ。だから騙されちゃったとも思うんだけどね』
彼は悲しい笑顔を浮かべた。心がギュッと締め付けられる。私が何かを言おうとして、でも何も言えないままでいたら、『ごめん、もう行かなくちゃ』と少年は言った。

数秒後に、少年は消えてしまった。
沸かしたお湯は冷めていて、朝のワイドショーでは『【特集】若者の自殺問題』というものがやっていた。何も知らないコメンテーターが、さも分かったような口振りで日本の教育制度などを指摘し始めた。こいつは毎週同じことを言ってる。司会者が「はいはい、そうですよね」と流しながら、話題が移っていく。
どうせ何も知らないのだから、何も言わないでほしい。
無責任な言葉が誰かを苦しませていることを自覚してほしい。そう思っても、彼らは自分が気持ちよければなんだって言う。そして、誰かがまた死を選ぶ。
現実は、幽霊より恐ろしいものばかりだ。

身支度を整え、『冥土画廊』に私は向かった。
けれども、見慣れた景色の中にあったそのギャラリーは、「閉鎖」されていた。一階のショーウィンドウは物々しくブルーシートで隠されていて、入口には規制線が張られている。二階を見上げたら、わずかに開いていたカーテンが目にも止まらぬ早さで閉ざされた。
『冥土画廊』の看板は剥がされていて、「長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。また何処かでお逢いしましょう」とだけ書かれたポスターが貼られている。真実はこうして、闇に葬り去られるのだなと思った。私はしょぼくれながら、元来た道を引き返す。線になったかと思った謎が、またバラバラになった。

家に帰り、『冥土画廊』をネットで検索すると、クチコミが出てきた。評価は2.5。
〝オーナーがひたすらに不気味〟
〝一階に献花台がある。悪趣味すぎて、鳥肌がなかなか引いてくれませんでした〟
〝何を伝えたいのか、意図する所が全く分からず、ただ悪夢のような体験をさせられる〟
〝ここっていつ行っても私一人しか鑑賞者がいないんだよね、なんか気味悪い〟
〝ここ行った数日後に四十度の熱出て、一週間くらい死にそうでした〟
「ああ、分かるわ……」
大半がこんな風なレビューで埋め尽くされていて、まぁどのみち閉鎖に追い込まれることは間違いなかったんだろうなと思った。しかしその中に、気になる記述を発見した。
〝経営母体は、かの有名なカルト教団・臨死之民。絶対に近づかない方がいいよ!〟
『臨死之民』というのが、恐らくは少年の言っていた教団なのだ。そのワードで検索をかけたら、教団の施設は主に世田谷区近郊に根を張っていることが分かった。
「だから何だよ」
思わず独り言を呟いた。
こんなことを知ったって、何も変えられやしない。
奪われた生命を取り返すことなんて、とてもできない。
〝死人に口なし〟とはよく言ったものだと思った。
夜が訪れ、やがて明ける。
朝になったら馬鹿みたいに、何もかも忘れる。
少年の幽霊は、私の元に二度と現れなかった。

少年との数日間を既に忘れ始めていた頃、街中で蜥蜴を見るようになった。蜥蜴はよく、通学路で目にした。気が遠くなるほどゆっくりと、大学の方向へ向かっているのだ。何日かけて、この蜥蜴は大学に辿り着くだろうか。私はそれを横目に、オープンしたばかりのスタバで買った抹茶フラペチーノを飲みながら大学へ向かう。
後ろから声がした。
『どうして無視して通り過ぎて行くんだよ〜』
私は驚いて、後ろを振り返る。
四限から授業の私は、平日の昼下がりで人気のない世田谷の通りを歩いている。当然、後ろに人通りはない。
「誰だ」
『俺だよ。忘れたのか? ウシミツトカゲ』
その言葉を聞いて、一気に記憶が蘇った。
乾いていた心に潤いが戻るような、そんな声だった。
「少年? どこにいる」
『ここだよ。気付いたら蜥蜴になってたんだ』
私はさっきの地点まで戻り、その蜥蜴を見つめる。
「もう未練は無いの? 人生短かっただろう」
『そうだね。殺されたあの日、僕はオープンキャンパスに行った帰りだったんだ。君が通ってる大学だよ』
「マジで!?」
私は驚いて、大きな声を出してしまう。
そしてまた、悲しみに襲われる。
『大学に通ってみたかった。普通の生活や、普通の恋愛や青春を味わってみたかった。でも、そんなものはもう全て諦めたんだ。あの日に置いてきたんだよ』
私は堪えきれなくなって涙を零す。
冷たっ、と少年は言った。それから、『僕の分まで君が生きてくれれば、それで十分だよ』と控えめに笑った。
私は「お母さんは?」と問う。
『いるよ、ほら再会したんだ』
少年の後ろに、もう一匹蜥蜴がいた。
ご無沙汰してます、とその蜥蜴は言った。
そこから少し蜥蜴親子の話を聞いて、授業の時間が近づいてきた。私は「お先に失礼します」とお辞儀した。

これが初夏の幻想だったなら、それはそれでいい。
真実がどうであれ私は、無念にも命を落としてしまった人の分、精一杯行きたいと思った。『ウシミツトカゲ』を並び替えたら、『ウツシミトカゲ=現身蜥蜴』になることにも気がついたが、多分それは偶然だろう。
「彼らが、幸せになりますように」
心からの祈りを小さく呟くと、背後から大きな影が迫ってきていた。

【完】

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