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微睡

ずっと世界があることが不思議だった。 世界があって、自分という存在がいまここに在ることも。 自分の人生、熟睡と微睡しかないような気がする。 ふつうに生きている日々が微睡、夜の眠りが熟睡。 微睡んでいる。ずっと、薄目で世界を見て、ぼんやりとした音に包まれて、時折棘のような言葉で起こされて、恐ろしいものに出会った、痛い痛いと傷つく。 でもそれさえも夢の中の痛みのようで、痛い、怖い、辛い、死んでしまいたい、そうは思うもののその実どこか上の空で。他人事感があって。 ほんとう

    • 医療の手を借りなくては生き延びることのできなかった生命は、本来生まれてきてはいけなかったのではないでしょうか。 自然淘汰されるべきだったのではないでしょうか。 未完成のまま生まれ、未完成のまま生きる。 早くあるべきところに戻りたい

      • ゆめぐらいしか縋るものがないのに、夢すら見せてくれない 眠ってる間ずっと暗黒 こわいよ 死ぬってこういうことなの

        • 自ら命を絶ったひとのブログを読んでいる なんだか日付が進むにつれて私が買い求めた本の題名が出てきていて、後を追っているようでふと怖くなった

        • 自ら命を絶ったひとのブログを読んでいる なんだか日付が進むにつれて私が買い求めた本の題名が出てきていて、後を追っているようでふと怖くなった

          また朝に追いつかれる

          また朝に追いつかれる

          あいも変わらず人権がなくTwitterをみることもこわいです

          あいも変わらず人権がなくTwitterをみることもこわいです

          繰り返す

          私はもうずっと、覚えてもいない頃から医者になりたかったんです。 誰かのために生きることができる医者が、医療従事者が、ずっと憧れだった。 だから、子供の戯言と言われようが軽くあしらわれようが自分の力が足りなかろうがずっとずっと夢を変えずに今まで15年以上も追っかけてきた。 その道中で、18歳の秋、私はその先に進めないことを悟った。悟って泣いた。泣いて泣いて全てを否定してそしてまた受け入れた。 医師になれなくても医療従事者にはなれるじゃないかって。 そうして別の道を進んだ果ての4

          繰り返す

          勝手な思い込みかもしれんけど、ノーラン監督と伊藤計劃は映像と文学の違いはあれど物語の終わり方といい、人の精神や情の揺れを描く部分で似ているなと感じる。後ノーラン監督の作品は言葉、文字で描写されてもしっくり来そう

          勝手な思い込みかもしれんけど、ノーラン監督と伊藤計劃は映像と文学の違いはあれど物語の終わり方といい、人の精神や情の揺れを描く部分で似ているなと感じる。後ノーラン監督の作品は言葉、文字で描写されてもしっくり来そう

          誰もみてないだろうからここで吐き出してしまうけど。 というか私と関わりのある人に、自分の声帯を震わせてこれを伝える勇気がない。 4年前「みんな志を持って毎日勉強に励んでいて偉いな望んでここにきたのに、私は間違って入ってきてしまった人間のように居心地が悪い」と思っていた。 4年経った今、その勘は間違いではなかったと言い切っていい、と思ってしまえるところまで来ている。 何をしても、何をみても、望んでいた未来に近づけば近づくほどその違和感は大きくなって、私をその場に留まらせるには

          🧸

          半年ほど途中まで書いて放置しているもの 自戒も込めて載せます今年は完成させる (途中話がつながってませんが繋げる予定です) くまとおんなのこのはなし 午前中の作業を終えて、庭で一休みしようと扉を開けると、そこに小さな白い物体が転がっていた。 トレイに載せていたティーカップと、昨日摘んでおいた野苺が儚い音を立てて一瞬だけ宙に浮いた。 もぞもぞ、もぞもぞ、と蠢き続けるそれをどうしたものかと思案しながら私はガーデンチェアに腰掛けて、蠢くそれを視界に入れつつ茶を嗜んだ。 それ、

          膝を抱えて自らの臍を凝視しているうちに、地球というおもちゃの中で上下も左右もなく転がされついに停止したその土地で何にも煩わされずに朽ちていきたい

          膝を抱えて自らの臍を凝視しているうちに、地球というおもちゃの中で上下も左右もなく転がされついに停止したその土地で何にも煩わされずに朽ちていきたい

          (1)

          死ぬまでずっとこの精神状態が続くのしんどすぎる。 死にたいと生きたいの狭間で一生ずっとグレーゾーンで、真人間にも狂人にもなれないただの弱い人間と言う立場のまま最悪の烙印を押され続け、他人に「介入せざるを得ない」と言わせるまでのボロ切れにもなれず一生、ずっと、このまま。わかる? 最近ひしひしと感じているのだが、なぜ自分の身体の自由を社会から監視され続けなければならないんだろう…やっぱり社会の構成員たる人材だから? 死にたいと呟けば都のホットラインが表示され、死にたいと検索窓に

          その否定

          私の中の反出生は、自分が直接「お前なんか産まなきゃよかった」旨の言葉を投げつけられたからと言う理由ではなく現在声高に叫ばれている「子供を育てるにはお金が必要」「じゃあ産むな」と言う世間の応酬が原因だと気づいた。 名前も姿もわからない声を、自分の両親の意見にまで引き上げて、そう思い込んだのかもしれない。 でも、それなら尚更、世界から拒否されていると言う実感は両親から与えられた否定よりも悪どいのではないか。 世界から拒否されている自分という存在を、全面的に肯定することは難しい

          その否定

          私ではないあなたへ

          あなたへ あなた。 今この文章を目で追っているあなたに伝えなければいけないことがあります。 あなたがこれから落ちる世界は、残念ながらとても怖いところです。 人が泣き、叫び、殺し合い、血を流し、死んでいく場所です。 命が消えます。 命が生まれます。 その繰り返しです。 あなたの落ちる世界に天使はいません。 神もいません。救いも信仰もありません。 それらは全て息絶えました。 穢れ、汚辱に満ち、悪意が蔓延した世界で純潔な魂たちは生き存えることができずみずからその生を閉じました。

          私ではないあなたへ

          コープス・ブライド

          お風呂場で水を含んだスポンジがべしゃ、と音を立てて落ちた。 私の脳はそれを水気の多い臓物が落ちたのだと全くの正気状態で考えた。 脳か、腸か、そのほかの何かが落ちたのだと。 そして驚きもなくああ、スポンジがおちたなと訂正が入る。 なぜ私はそう思ったのか。その落ちた臓物は私の中の別の私、誰かのために生きたいと思っていた私の、最後の灯だったのではないだろうか。 最後の望みで、希望だったそれが音を立てて無様にも潰れたのだ。 醜く、惨めなそれ。 腐乱して、見るに堪えないそれ。 私は今

          コープス・ブライド

          きみになりたい

          ミァハ、マーニー、槙島。 私の憧れの存在は一貫して孤高で得体の知れない雰囲気をまとっている。 彼らになりたいと願ったその時点でその願いが叶わないのが約束されている。 その時点で"彼ら"を希求したトァン、杏奈、咬噛、つまり"彼らになれなかった彼ら"でしかないから。 でも1人だけ等身大の「なりたい」がある。 ジョン・ワトソン、君だ。 私は、ワトソン、君に初めて出会った時から君になりたくて仕方がなかった。愛する友を取り戻すために全てを捧げる君に。 私にも、生き返らせて言葉の先を聞き

          きみになりたい