🧸

半年ほど途中まで書いて放置しているもの
自戒も込めて載せます今年は完成させる

(途中話がつながってませんが繋げる予定です)

くまとおんなのこのはなし

午前中の作業を終えて、庭で一休みしようと扉を開けると、そこに小さな白い物体が転がっていた。
トレイに載せていたティーカップと、昨日摘んでおいた野苺が儚い音を立てて一瞬だけ宙に浮いた。
もぞもぞ、もぞもぞ、と蠢き続けるそれをどうしたものかと思案しながら私はガーデンチェアに腰掛けて、蠢くそれを視界に入れつつ茶を嗜んだ。
それ、は動きを止めたかと思うと勢いよく縦に伸びた。
というより、立ち上がったのだ。白く蠢くそれは小さな少女だった。薔薇のような頬が陽光に照らされて微かに黄金色に染まった。
なにか見つけたのだろうか、嬉しそうにそこらを跳ね回っている。
かと思うと立ち止まって、指の中にあるものを一心に見つめた。指の先で何度も確かめるようにして触れ、鼻に近づけて匂いを嗅いでいる。
自らに言い聞かせるように大きく頷くと、足の向きを変えてこちらに向かってくる。口角を上げまいとしているようだが無駄なようだ。溢れんばかりの喜色がその端に滲み出でしまっていた。なるべく音を立てないように、ゆっくりとした動作で歩いて来る少女の目は閉じられていた。一歩一歩近づいてくるに連れその顔を詳細に眺めることができた。例えば顔を上下に分割したとして、その上部分が火傷跡のように引き攣れていた。きっとその目が開けられることはもうないのだろう。
私のいるバルコニー。庭から部屋に通ずる階段部分。彼女はそこまでくると、目一杯体を伸ばして自分の体の倍もあろうかという階段の頂上部分に小さな草花を置いた。
そのあと、スカートのポケットに手を突っ込んで、小さな袋を取り出した。それを草花に重しをするように置いたかと思うと、今までの努力はなんだったのか抜き足差し足は何処へやら一目散にかけていってしまった。
次の日も、その次の日も、少女は懲りずに私の足元に草花を置いては帰っていった。草花は置かれた順に茶色に枯れていった。
草花が相当な数積まれた頃、私は少女に向かって話しかけてみたくなった。そのちいさな体で、なにを思って花を摘むのか。
「また来たのかい」
陶磁器の色をした、小さな手が私の足元に伸びてきたのを見計らって声をかけた。
その手は摘んだ花を積むことなくその場で停止した。きっとここに誰かがいるなんて、想像したことがなかったのだろう。ましてや、話しかけてくるなど。
「……そこに誰かいるの……」
少女のふわふわと柔らかそうな金糸が陽に照らされて煌めいている。顔は見えない。
「ここは私の家だから」
表情はわからないが、少女はひどく驚いたようで小さな手が引っ込められた。
「ごめんなさい、勝手に入って」
「気にしてないさ、庭と言ったって私が勝手に『庭』と呼んでいるだけで、ここは森だからね。だれのものでもない。…意地悪をしてすまなかったよ」

「なんでこんなふうに育ったのよ！あなたはやっぱり私の子じゃないんだわ。だって私には見えないもの、そんな人」
幼心に、やってしまった、と思った。
母との最後の糸が切れてしまった音が頭の中で反響する。
その目。その、この世の全ての侮蔑を集めたような目。畏怖を練り込んだ拒絶。
「とうさまは、もう死んだのよ」
そんなはずはなかった。
だってそこにいるんだ、なんで見えないの……！
どれほど、こう言いたかっただろう。けれど、母は恐怖心から私にそれ以上の発言を許さなかった。
「お願いだから、もうこれ以上私を困らせないで。ロージャ……」
母が弱々しく私を抱きしめる。その抱擁が愛情からくるものではないことはわかり切っていた。触れた母の肩から伝わってくるの温度、それが酷く温かみに欠けていたから。
私にはむかしから、見えないはずのものが見え、わかるはずのないものがわかった。
母を困らせ、泣かせてしまう私の特技などさっさと捨ててしまいたかった。
母の頭を自らの胸に抱えるようにする。
「はい、母さま」
決して自らの腕に力は込めなかった。少しでも力を加えればたちまちぱりぱりと割れて元に戻らないような気がしたから。
私たち母子は互いの裡に存在する拒絶を悟られないように偽りの抱擁を交わしたのだ。

それから、母が亡くなるまで私たちは偽りの言葉で、偽りの心で互いに接した。
骨になった母を見て、あのとき力の限り抱きしめなくてよかった、と回顧した。こんなにからからなものを抱きしめたならどうなったかわからない。
あなたは私の子じゃない、私にそういったことを晩年の母は全く覚えていなかった。



それからひと月、彼女は姿を表さなくなった。
やはり声をかけるべきじゃなかった、とバルコニーから見える庭を眺めながら思う。

私はいつもそうだった。
人も、言葉も、全てが遅きに失していた。
母も父も、幼かったわたしの小さな手ではその命をつなぎとめることは叶わなかった。


────────────────────