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したくないことを避けることが、自己肯定感への一歩かもしれない。

こんばんは。 今日もおつかれさまでした。 以前気持ちが沈んでいた時に、友人が教えてくれたこと。 「これからしたいこと」を書き出すのといっしょに、「これはしたくない」も書き出してみると整理できるよ。 たしかにーと思って。日々の居心地の良さを作るためには、「得る」だけでなく「避ける」ことも必要なのだ。我慢するという行いは、本当にストレスが貯まるらしい。 いままではキャリアやお金を得ることに執着して、そのための多少の我慢は絶対に必要だと考えていた。たしかにまったく必要ないとは

    • 自立へ向かう子供には、親の寂しさは埋められない。

      こんばんは。 今日もおつかれさまでした。 自分自身の厄介に再度悩まされながら終えた先週。私の不安を察してか、元気に出勤すればそれでいいと言ってくれた上司、変わらず話しかけてくれて仕事の質問にも嫌な顔ひとつせず答えてくれた先輩には、感謝してもしきれない。 だからこそ嫌われたくない、だったり期待に応えたいだったり、すごく自意識過剰になってしまうんだけれども。「ここに居たくない」と思い続けた1年前の環境に対して「ここに居たい」と考えるようになった今の環境。潰れて、望まない自分に

      • どうして泣きたくないのに、涙が出そうになるのか。

        こんばんは。 今日もおつかれさまでした。 私は昔から泣き虫で、あの時あんなことで泣いたなーといくつかの場面を思い出すことがある。 今日は仕事でうまくできなかったことがあって、久しぶりに厄介に感じている体質?が出てしまったから。 それは、自分の行動が、周りに求められるものと異なっていたと感じた時に、涙が意図せず出てきてしまうということ。 自覚したのはおそらく社会人になってまもなくのころだったと思う。学生の時には感じなかった生きづらさを感じていた。今日もそうだけれど、優しい

        • 見送ることには慣れない。

          こんばんは。 1週間おつかれさまでした。とはいえ、みなさんにとっての1週間の区切りってどこなんでしょう。 最近職場での退職者が続いてしまっている。その中のひとりに私を採用してくれ、入社後も困ったことがあればなんでも言ってね、と度々お声をかけてくださった方がいらっしゃる。 私と先輩がパソコンに向かって制作をしていた時にいらっしゃって、「疲れちゃって」と告げられた。私がショックでなんと言葉をかけていいのかわからなくなっている中、先輩は「そうなんですね、次はどうされるんですか?

        したくないことを避けることが、自己肯定感への一歩かもしれない。

          結婚は幸せが約束されるものではない。

          こんばんは。 今日もおつかれさまでした。 度々友達とは恋愛哲学みたいな話をする。 この間友達が話していてへーと思ったのが、 「私は結婚とか別にいいかなって思ってるけど、友達には結婚して幸せになって欲しい」って。 結婚=幸せ っていう決めつけではなくて、あくまで現在の社会において結婚という出来事はひとつの幸せの形であると思う、という認識での話。私の親も離婚していて、その前後はとても苦しかったようだけれど、少なくとも結婚した時は、お互いが一緒にいることに居心地の良さを感じて、

          結婚は幸せが約束されるものではない。

          居心地の良い方を選ぶのは当たり前。

          こんばんは。今日もおつかれさまでした。 自分の価値をどこに感じるか、って自己肯定感やら自尊心やらの話になるのかな。 最近見かけたこの関係の話で印象的だったのは、「そこにいればいいんじゃない」という言葉。 周りの人より目立つ何かをしないといけないのか。 そのために無理をして、体力や精神を削り続けないければならないのか。 上記を実現しようとするのは、とても危険だと思っている。なぜならその「無理をする」自分に価値があると錯覚してしまうから。 私の友達にもすごくストイックな子

          居心地の良い方を選ぶのは当たり前。

          嫌われる勇気って必要か。

          こんばんは。今日もおつかれさまでした。 日が変わって月曜日、ということで改めて自分が金曜日に抱えていた不安を思い出す。 土日にひっぱり続けなかったということには、自分自身のどちらかというといい方向への変化を感じるところ。 金曜日はなんだかいつにも増して自意識過剰だった。自分の行動が人に与える影響、というものに意識の大部分を持っていかれていたから。 「上司が呼び出されたのは、何か私が迷惑になることをしたからではないか」 「私がした発言が意図しない形で、数メートル先にいる誰

          嫌われる勇気って必要か。

          話す機会を失っていく。

          こんばんは。今日もおつかれさまでした。 最近ふと割とはっきり絶望を感じることがある。 このさみしさとずっと付き合って生きていかないといけないということ。 この社会で生きていくためには、どうしたって人と関わっていく必要がある。それ自体に不満はない。私は人が好きだし。 例えば職場が変わるとか、結婚するとか、引っ越すとか、そういう環境の変化は、人同士の距離感を大きく変えるひとつの大きな要因だと思っている。維持していた距離感が動いて、ひとつの結果として話す機会が失われる。 それ

          話す機会を失っていく。

          さみしくても大丈夫。

          こんばんは。今日もおつかれさまでした。 今日もいつも通りさみしさを抱えていたはずなんだけど、夜になってそれが胸のつかえとして出てきてしまった日。 仲のいいきょうだいや友達もいるし、それなりに労働者として社会に所属している中で抱えるこのさみしさの正体について考えた。 ひとつ目、いつか失うことへの恐怖。 これまでを振り返ると、毎日休み時間におしゃべりしてた同級生や、ふざけ合ったバイト先の仲間も、環境が変わって今はどうしているのかわからない人ばかり。その当時は本当に大事に大事に

          さみしくても大丈夫。