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居心地の良い方を選ぶのは当たり前。

こんばんは。今日もおつかれさまでした。

自分の価値をどこに感じるか、って自己肯定感やら自尊心やらの話になるのかな。
最近見かけたこの関係の話で印象的だったのは、「そこにいればいいんじゃない」という言葉。

周りの人より目立つ何かをしないといけないのか。
そのために無理をして、体力や精神を削り続けないければならないのか。

上記を実現しようとするのは、とても危険だと思っている。なぜならその「無理をする」自分に価値があると錯覚してしまうから。

私の友達にもすごくストイックな子がいて、幸い冷静さも持っているから、ボーダーを超えることはそうそうないと思ってはいる。が、頼むから上記のようにはならないでくれよ、とは思う。

私はその子がいたい場所で、したいことをしていてくれればいいなと。それは目立つことでなくていいし、その子にとって心地よければいい。

居心地のよくない状態を維持すること自体には、決して価値はない。居心地のよい方を選ぶのは当たり前で、それを重ねていった先、またはその過程で、少しでも前向きな出来事があればいい。

だから、目立たなくていいから、少しでも居心地のいい方を迷いながらでも選んで、それが意図しない結果になっていたとしても、自分の価値が下がることはない。だってそこにいてくれること自体が価値だから。

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