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さみしくても大丈夫。

こんばんは。今日もおつかれさまでした。

今日もいつも通りさみしさを抱えていたはずなんだけど、夜になってそれが胸のつかえとして出てきてしまった日。
仲のいいきょうだいや友達もいるし、それなりに労働者として社会に所属している中で抱えるこのさみしさの正体について考えた。

ひとつ目、いつか失うことへの恐怖。
これまでを振り返ると、毎日休み時間におしゃべりしてた同級生や、ふざけ合ったバイト先の仲間も、環境が変わって今はどうしているのかわからない人ばかり。その当時は本当に大事に大事に、ずっと話していける未来を想像していた。けれどそうはなれなくて、もう話す機会も失って、悲しいけれど一生関わることはないだろう。

ふたつ目、ひとつ目を書いているうちに忘れてしまった。なんだっけ。なんて言いたかったんだっけ。

こうしてすぐ忘れるから、自分のこともすぐ忘れてしまうから、せめてひとの言ってくれたことは覚えていたい。過去に言っていたことと、その時言ったことが違くたっていい。考えはいくらでも変わるものだし、とてもすてきなことだと思う。
私にとって重要なのは、私に伝えてくれたということ。なんでもいいよ、私に共有してくれることに価値を感じる。だからお願いだから、それをやめないでよ、さみしいから。

いくらでも受け止めるのにな。
求められなきゃ応えられない。

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