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自立へ向かう子供には、親の寂しさは埋められない。

こんばんは。
今日もおつかれさまでした。

自分自身の厄介に再度悩まされながら終えた先週。私の不安を察してか、元気に出勤すればそれでいいと言ってくれた上司、変わらず話しかけてくれて仕事の質問にも嫌な顔ひとつせず答えてくれた先輩には、感謝してもしきれない。

だからこそ嫌われたくない、だったり期待に応えたいだったり、すごく自意識過剰になってしまうんだけれども。「ここに居たくない」と思い続けた1年前の環境に対して「ここに居たい」と考えるようになった今の環境。潰れて、望まない自分になりきってしまう前に変えられたことを思い出せば、少しは先週の罪悪感も乗り越えられそう。

年上の女性が怖く、より一層機嫌を伺ってしまうのは、私と私の母との関係性が原因としてあるよう。感情が昂った時、そしてそれが決して一般的に泣く場面ではない時に泣いてしまう、それは私が幼少期に泣くことを制限されてきたからだという。

母は私たちきょうだいを、自分の子としてとても愛している。だからだろうか、自分と同じ感覚であってほしい、自分の味方であってほしいと強く思っていたように感じる。きっと母も、自分に自信がなくて、愛されることを求めていたんだろう。その役割を、自分が産んだ子供達に与えたんだろう。

結果私たちは、母の理想の子供たちでなければならなかったし、3人それぞれがそれに起因した悩みを抱えることとなった。

『私の泣くという行為』と、『母の機嫌』のふたつに点を置く。
私の泣くという行為の原因がどこにあるかで、母の機嫌は大きく違った。まず原因が家庭外にあること、この場合の母はどこまでいっても我が子の味方であり、寄り添ってくれた。問題は家庭内にあるときであった。

父や私たちきょうだいが、母の「こうしてほしい」に応えられなかった時、母はとても感情的になり、自己中心的だった。ひと通り文句を言った後、部屋に引きこもり、勝手にしなさいと遠ざけられた。子供の私にとって、母から拒否されることは恐怖だった。どうにかしなければと焦り、泣きながらごめんなさいと言えば、何に対して謝ってるの、泣かれるともっと腹が立つから泣かないで、泣くならどこかへ行きなさい、と責められた。結果、泣くことは悪であり、もっと状況を悪化させるものであるという感覚が身についたのだそうだ。

この話をした時に、カウンセラーの先生は少し驚かれていた。子供が泣いているなら、どうしたのと寄り添うものではないのか、と。そういうものなのか、家庭外が原因なら母もたしかにそうしていたな、と思った。子供の頃に泣くことを制限されず、親や周りに受け止められてきた人間は、ある程度感情の出力をコントロールできる大人になるらしい。好奇心でもなんでも、だめと言われたら余計にその感情は大きくなるでしょう、ということらしいけれど、そんなものなのか。

母が奮闘した理想の家族への道のりは、私にとって安心を感じる、安全が確保された場所ではなく、それ故に挑戦ができない環境だった。自分の身を守るために、母の機嫌を伺い、損ねるリスクのあるものは避けて、緊張感のつきまとう日常が、私のいまの苦しみになっている。

それに対しては本当に私にとっては過ぎ去ったことであり、結果である。それこそ母に対しての恨みなんでいうものも、正直一切感じない。子供の頃に聞いた母の子供の頃の話を思い出すと、母はきっと寂しさをずっと抱えてきたんだなと感じる。私と母がこうであるように、母と祖母もそうだった。

先生は、それは負のループであり、気づけたあなたは断ち切れると言ってくださった。もちろん親子関係の色々はこのケースだけではないし、気づけたからといって自分の子供を苦しめないよううまくできるとは限らない。それでも、自分も誰かの親として人生を過ごすという可能性があることがうれしかった。



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