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どうして泣きたくないのに、涙が出そうになるのか。

こんばんは。
今日もおつかれさまでした。

私は昔から泣き虫で、あの時あんなことで泣いたなーといくつかの場面を思い出すことがある。
今日は仕事でうまくできなかったことがあって、久しぶりに厄介に感じている体質?が出てしまったから。

それは、自分の行動が、周りに求められるものと異なっていたと感じた時に、涙が意図せず出てきてしまうということ。

自覚したのはおそらく社会人になってまもなくのころだったと思う。学生の時には感じなかった生きづらさを感じていた。今日もそうだけれど、優しい言い方をされて、怖いわけでもない、責められているわけではないときちんとわかっていても、目が潤んで顔が赤くなる。そうなると焦ってなおさら制御が効かなくなる。あっと思った時にはすでに頭の中のメーターは赤く高まり続けている。相手の言葉がうまく聞き取れなくて、涙がこぼれないよう必死に相手の言葉への肯定を繰り返す。

なんとかその場を終えても、メーターは中々下がらない。
きちんと注意してくれたのに目も合わせず終えた罪悪感。
涙に気づかれていないか、ウザがられていないか、嫌われたんじゃないかと焦る。
そしてどうすれば挽回できるのか、と必死に考える。

自覚してから約5年放っておいてしまったこの悩みを、最近カウセリングという形で先生に話した。
原因のようなものは導き出せたんだけれど、ブレるのでまた次回。
私が優先して考えたいのは対処の方だ。苦しい環境で泣き続けた前職を退職し、次の職場ではもっとうまく働くために必要なことだったから。

まずひとつ、周りに開示してしまうこと。
泣いている人を見たら、びっくりして戸惑ってしまう。自分が何かしたからか?というストレスが相手を襲う。得体の知れないものはたしかに怖いな、と。ならば伝えてしまおう、「私が泣いているのはあなたが原因ではないんです。わかっていても制御できないんです、すみません」
先生は、極論それで理解できた人とだけ付き合えば楽、とおっしゃった。もちろん理解を強要することはできないし、これを言えるシチュエーションも中々ないと思う。私はこれを実践できていない。

そして次に、インナーチャイルド療法というもの。
これは比較的今日意識できたものであった。少しニュアンスが違うかもしれないが、自分の中の泣きたがっているちっちゃいままの自分を、よしよししてあげようというもの。なんでここで泣くの!だめでしょう!相手が困るでしょう!と責めれば責めるほど、インナーチャイルドは怖くなって泣いてしまう。
だから、頑張ったね、と声をかけるのだ。私はお手洗いに行き、頑張ったね、泣くの我慢できてえらかったじゃん、と小さな自分を撫でるイメージを意識したところ、脳内メーターがすーっと下がっていくイメージができた。

ひとつめとふたつめの大きな違いが、自分と相手のものなのか、それとも自分の中で完結するものなのかということ。正直この差は大きいなと思っている。この厄介さも許してくれるパートナーができたら幸せだろうか。

明日の朝はきっといつもより憂鬱で、会社に行くことが怖く感じるだろう。あんなに泣きたかったのに、今は引っ込んでしまって、泣き溜めもできないのかと悲しくなる。

人はそんなに冷たくないよ、普段少しは頑張れている分ちゃんと優しくしてもらえるよ、と言い聞かせて寝よう。10年後にはもう少し楽に生きられていますように。

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