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いいセラピストの要件

肩こりの話に伴いどうしても言いたいことがある。
どのセラピストの方に施術を受けても、皆さま大変すばらしい技術をお持ちでありがたい限りなのだけど、終わった後の満足度が大きく異なる。何が違うのかと思ったら、ただ一点の違いだった。

セラピストの方が雄弁かそうでないかである。

おしゃべりは楽しい。自分の体が万全な時に交わすおしゃべりはなおのこと楽しい。しかしマッサージに行くときは疲労困憊してもう矢も楯もたまらず店の戸を叩いているわけだから、そっとしておいてほしい。言葉少なにただただ優しく時に強く、いい塩梅でもみほぐしていただけたら助かる。
「今日はすっかり疲れていて」と伝えればいい話なのだけど、見知らぬ人の体験というのは聞けば聞いたで面白く、この機会を逃すのも惜しいと思ってしまう。それに相手も人間だから、こちらが冷たくあしらい相手の気分を害することで、施術を手抜きされたら二重に後悔するなと思う。同じ料金支払うなら、お互い楽しく施術を完遂できるのがいい、という単なる貧乏性である。だからつい全力で相槌を打ってしまうのだけど、そうしたら施術が終わり水の一杯でもいただいて店を出るころには「あれ?なんでお金払ったのにこんなにぐったりしてるんだ?」ということになる。

鮮烈な印象を残す2人のセラピストの方がいた。いずれも初めて来店した店でのことで、その後二度と赴くことはなかった。
お一人目は、施術開始早々「昨日新婚旅行から帰って来た」と口火を切ってから、いかに自分のハネムーンが素晴らしい体験だったか熱っぽく語られた方だった。最初こそご結婚おめでとうございます~と楽しく聞いていたのだが、淀みなく、止まらない。微に入り細に入りハネムーンの行程とその折々の心情を話し、会話に入れ込むあまり、私の肩をほぐす手が時折止まる。身長より少し高いくらいの壁で区切られているだけの店内だったから、その新婚セラピストの声は店内に響き渡った。聞いてほしいよね分かる。嬉しいよね分かる。幸せだよね分かる。しかしこの体験はお客に話すべきことなのだろうか。別に話す相手は私でなくても良かったんじゃなかろうか。ではなぜ私はこの話を聞いているのか…
虚無の目になったところで持ち時間が終了した。受付で相対し、まじまじと見た彼女の顔はふっくらつややか大変幸せそうで、幸せのおすそ分けをもらったと解してみたけれど、どう検分してみてもなんだか身体がぐったり重くなっているようだった。

お二人目はコロナ禍に赴いたサロンのオーナーセラピストだった。ハーブティやおしぼり、カウンセリングといった細やかな気配りが嬉しかったのだが、薄暗い施術室で半裸になりオイルマッサージを施してもらっている中で、話がコロナワクチンに及んだ途端きな臭くなってきた。
「お医者様の知り合いとか多いんですけどね、その誰もが『コロナワクチンは危険だ』って言っていますよ。だからもう私も怖くなって、打たないって決めているんです」
ほうほうそうですか、いろんなものの見方の人がいるものだ。そのお医者とやらはよくわからないが、この方自身は高校の生物の授業では免疫機構を履修しなかったのだろうか。
「だからお客様もね、打たない方がよろしいかと思いますよ」

どんな主義信条を持とうとその方の勝手だけど、自分の信条に基づく行動を他者に要求している時点で、この言葉は一線を越えていると感じた。生身の手で、人の体の柔らかい肉に直接触れておきながら、公衆衛生に明るくない感じも嫌だった。そこから心のシャッターがガーッと降り、それを知ってか知らずか、そのオーナーセラピストは2時間近く施術してくれたのに初回特典だから1万円でいいと言った。破格である。
「お体の具合からして次回は1か月後くらいにお越しいただくのがいいかと思いますが」という営業に、初回破格の後ろめたさもあったが、にこやか慇懃に固辞した。

では反対に心身共に安らぐセラピストはどういうものかというと、私としてはより寡黙な方であった方が助かる。聞くにしても
「お仕事はどういったことをされていますか」
という、デスクワークか立ち仕事かで施術のアプローチは違ってくるから、必要な情報を得るための問いや、
「今日は風が強いですね」「そうですね」
といったお天気の話くらいがいい。
人当たりの良さも必要かもしれないが、そんなものは二の次で、何より手技で魅せてほしい。揉みほぐされた部分が揉んだそばから血行が良くなって、左半身の施術が終わるころには左半身がポカポカ、だとか、全身の施術が終わって起き上がるとさっきまであったはずの頭痛が跡形もなく消え失せているとか。
(もちろん、最初は言葉少なでも、通っている内にお互いに言葉数が増えていき、最終的におしゃべりするために通うようになった鍼灸師の先生もいる。でもそれは先生の技術が素晴らしいからで、もし最初からバーッと話されていたら、通うに至らなかった)

先日出会ったセラピストの方はその点最高だった。言葉短い質問に二言三言返したら、「んふぅ」というため息とも笑い声とも返事ともつかないものを返されて終了。しかしこの淀みなくない感じに「あぁ、ようやく出会えた」と思った。施術は思った通り素晴らしく、小柄な体躯からは想像できないほどの指の力でグイグイ的確に押され、緩んで、ほどけてく。終わったころには全身ポカポカ暖かく、首の後ろから後頭部にかけて巣くっていたどんよりとした重みは跡形もなく消え失せていた。
それから3日間快適な時を過ごし、4~5日目にズコーンと頭痛が襲ってくるので、這う這うの体で駆け込むと「皆さん3日は快適に過ごされんですよ」とニヤリ。私の体を強く押すたびにセラピスト先生の腕や指がパキパキ鳴るので、線の細い先生の体が壊れてしまわないか心配になる。

だから今は可能な限り姿勢を良くして過ごしている。机に腕を乗せ体重をかけたり、頬杖、足くんだりすることは厳禁。ひどい「巻き肩」であることを指摘されたので、なるべく肩を開き、顎を引くことを意識する。座るときは骨盤を立てる(ソファーに座るときがなかなか難しい)。座るときは、膝より下がㇵの字にならないことに留意しながら膝を閉じる。

そういえば、同僚の配偶者が勤める会社に元タカラジェンヌの方がいらっしゃるそうだが、いつ何時も姿勢を崩さないらしい。パソコン作業をしていると、肩は丸まり顎は突き出す不格好な格好になりがちだが、その方は頭と背中と腰が一直線になっているので、社内を見渡してもその美しさは燦然と輝いているらしい。

姿勢を正しくすれば美しい。そして肩こりともおさらばできる。なんという一石二鳥。
「このセラピストの先生のご尽力に報いたい。私は姿勢をよくする。先生は私の体の調整する。この先生と二人三脚で肩こりを治す。それも年内に」今年も残すところ4か月にして、新しい目標ができた。
いいセラピストとは優れた施術で、体本来の状態に一時的にでも戻し、いかに普段の状態が「非常事態」であったかを患者に自覚させ、その生活習慣そのものを変容たらしめる存在なのかもしれない。




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