見出し画像

私の記事が誰かのお役に立てます様に。。。

はじめまして。
今、この記事を見つけてくださった皆様、
私、筋腫ちゃんと申します。
出逢って頂き、有難う御座います。

「有難う御座います」
昔から私の大好きな言葉。
自分大切にする、や、風の時代、等の言葉
と同時に「感謝をすることで幸せになれる」
なんて事を良く耳にしますが、
そんな言葉等、全然流行っていなかった頃から
「有難い」ありがたい、て
難が有る、て書くの、て不思議やなあ、
難が有ることは、ありがたいのか。。。と。
でも、こんなに苦しい事(難)があっても、
感謝しないといけないのか。。。と
苦しんだ時もありましたが、
でも難があったお陰で、今は幸せを感じることができています。

さて、
私の名前が「筋腫ちゃん」と申しますのは、
お察しの通り、子宮筋腫があるからです。
それも多発でデカいのです。

15年前に、開腹手術で(腹腔鏡と言われ手術に挑みましたが)
目が覚めると開腹(勝手に)されてました。
なんだこれ…
どうしてくれるんや…

ドクターに何故開腹したのか確認すると、
腹腔鏡では取れなかったので開腹したと…
聞いてない。
説明したと言われるが、聞いてない…
今更、とやかく言っても開腹されてる…
仕方ない(T_T)
と泣く泣く論破もしなかった。

なんで?
それは私が【無知】だったから。
色々、無知だったから。
身体についてな~んにも知らんかったから。
医者から、
「腹腔鏡なので、これくらいの大きさなら簡単に短時間で手術終了します」
みたいな言葉を鵜呑みにして、
自身で何も調べず、手術を簡単に考えてたから。
仕方が無い…

挙げ句の果てに、
多発型たので3つほど小さな筋腫は残してます。
経過観察し、大きくならない様に努めてください。

は?
何で残すの?
開腹したのに?残すの?
意味がわからない。
でも、でもなんですけど、
【無知】な私は、何も言い返せない。
無知は損なんです、ほんと。

はい、でもね、過去を遡ると、
私は身体のことは本当に無知で、
(て医者じゃないからわからないのは当時は当たり前でした、言い訳?かもしれませんが)
大変な出来事が、その前にもあったのです。

私は2001年に娘を808gで、帝王切開で出産。
2001年てね、ネットはありましたが、
今の様に情報量も少なく(今の時代の人は幸せだ、ほんと)
医療のことなんてサッパリわからん!!て
時代でした。

で、結論なんですけど、
私、彼が転勤で新潟県にいたんですけど、
結婚してから、新潟で新婚生活を送り、
妊娠したのですが、
田舎の方に住んでいたため、近くにある
おじいちゃんドクターが開業している古い
〇〇医院みたいな婦人科しかなく、
そこで定期検診を受けて、8ヶ月くらいになったら、
実家(大阪なんですけど)に帰省して出産
する予定をしていました。
しかし!しかしですよ、
妊娠初期からつわりが酷く、またかなりの貧血でフラフラするし、
妊娠3ヶ月目から鉄剤を飲む羽目に…
毎日毎日調子が悪く、5ヶ月目を迎えた月に
切迫流産になりかけ、緊急入院。
で半月ほど入院し、退院するも、体調悪く。
6ヶ月目を迎えた時には、おしっこが出なくなり、
身体中が浮腫み出し、心臓の動きも乱れ始め…
こんな状態なので、幾度もそのおじいちゃん
先生の所に診察をしてもらいに行きました。

がしかし!!!!!!!!
今思い出しても腹立つ。ほんま腹立つ!

「〇〇さん、大阪に帰りたいからって甘えてばかりで、こんなに病院来て貰っても、
これ以上検査はできないよ、甘えるな!」
なんて言われたもんだから、
その後も体調悪くても我慢し続けたのですが、
その1週間後、自宅で意識が無くなり、
救急搬送で大きな病院へ運ばれ、
緊急オペで、808gの子供出産することになりました。
病院は主人に、
①こんな状態になるまで何故放っておいたのか?
②赤ちゃんは1000gも満たない小ささなので、障害が残る可能性が大いにある。
③奥さんの命の保証はない
と言われたそうです。
今考えると、まだまだ若い主人でした。
主人は当時26才だったので、怖かったと思います。
同時に妻も子供も失くすかもしれない恐怖は
計り知れないです。

それに産まれてきた子は808gです。
「超低体重児」と言うそうです。
そんな単語をこの時、始めて知りました。

次回へ続く。。。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?