見出し画像

アンサンブル・ノート③

○トゥッティ
テーブルの上には何曲も楽譜が置かれ、囲むように有朋、将生、航が座っている。
将生「それでは第1回制作会議を行います」
有朋「それを言うなら選曲ミーティング。とは言っても今回の編成の楽譜は一曲もないけどね。ほとんど弦カル用だから」
航は2人のやり取りをほほえましく思いながら楽譜を確認。
航「うん。このレパートリーなら僕がピアノでビオラとチェロをフォローすれば成り立つね。少し時間もらえれば何曲か選んで3人Verにアレンジした楽譜を作るよ」
尊敬の眼差しの将生と、申し訳なさそうな有朋。
航「そんな大げさな事じゃないよ。僕は将来オペラの仕事に携わりたいから、楽譜の読み書きを勉強してるんだ。声楽科の練習に参加する時もたまに書いてるしね」
オペラが目的と聞いて、驚く2人。
航「何で驚くの? 君たちだって音大を選んだって事は何かあるんだろ。僕はオペラの仕事に就く目的のために音大に来たんだ。それだけの事だよ」
すると将生も「俺たちも音楽の道に進みたいんだ」と話し出し、盛り上がる。有朋は将生を落ち着かせ、本題に戻そうとする。
マスターはそんな3人の姿を見て、開店前なら店を練習場所にと提案する。

数日後
○トゥッティ
有朋がバイト中の航から3人Verにアレンジした5曲の楽譜を受け取る。その時に月水金がバイトの日だと聞く。

○マンション
楽譜を持った有朋が将生の部屋に行き、2人は防音室で練習を始める。
楽譜に忠実な有朋とそうじゃない将生は、たまに微妙なズレが生じながらも練習を続ける。

2日後。
○トゥッティ
3名が集まり初練習。そこで追加で3曲の楽譜を受け取り、有朋と将生は驚嘆する。
航は有朋のバイオリンを聴いた事がなかったので、まずは2人の演奏を聴かせてもらう。
【曲:モーツァルト / アイネ・クライネ・ナハトムジーク 】
航は聴きながら、タイプが違う2人の合奏に自分がどう合わせたらしたら良くなるのかを考える。そしてもう一度同じ曲をリクエストすると、航も一緒に演奏する。航は右手と左手でそれぞれ2人のバイオリンを包み込むように演奏し、見事に一体感のある3人のアンサンブルにする。
有朋と将生は、航のピアノが入って別次元に完成度が上がったことに衝撃を受ける。航は「声楽科の練習に参加する時に歌手の良さを引き出す事をいつも考えながら演奏している。今回も同じで特別な事じゃない」と、サラッと話す。
この演奏を聴いたマスターは、3人のセッションに大きな可能性を感じる。
3人は練習を続ける。

別の日
○滝田音楽大学
練習室で有朋が誰も寝てはならぬを弾いていると、先生から「あなたのバイオリンはただ寝ちゃダメと言っているだけで、なぜ寝てはならないのかが伝わってこない」と言われてしまう。先生が去った後、有朋は楽譜に「なぜ寝てはならぬのか」と鉛筆で書き込み、グルグルと輪で囲む。

○マンション
夜の7時25分。有朋が防音室で誰も寝てはならずを練習をしているが、先生からの指摘を改善するにはどう演奏したらいいのか分からずにいる。そして航の「オペラの仕事に就くために勉強している」という言葉を思い出し、今日は木曜日でトゥッティの出勤日ではないので、迷いながらもスマホで「今何してますか?」とラインを送る。するとすぐに「声楽科の練習が終わって今から帰る所」と返信がある。

夜の8時。航が有朋の部屋にやってくる。
エプロン姿の有朋がLDKに案内し、麦茶を出す。航は「イメージ通り」と微笑みながら美味しそうに麦茶を飲んでいると、テーブルに「あり合わせで申し訳ないけど」と言いながらパスタとサラダが運ばれてくる。航は一口食べ、その美味しさに感心する。

パスタを食べ終えると、有朋は「片づけるまでの間良かったら」と防音室へ航を案内する。航はまさかグランドピアノがあるとは思わず驚くが、有朋はピアノ教師の母親から、ピアノもプロ並みに弾けるようにと練習用に持たされたと淡々と話す。すると航は、ショパンを弾き始める。
【曲:ショパン / 雨だれ 】
有朋はその演奏を壁にもたれて聴いていると、心がだんだんとしっとり落ち着いてくる。そして航は弾きながら話し始める。
航「ピアノが弾けて嬉しい事は、弾きたい曲が弾ける事。そしてピアノがあって幸せな事は、聴いて欲しい人に弾いてあげられる事」
航、有朋を見る。その美しい表情に有朋はドキっとする。
航「以上、ポエム付きピアノ天気予報でした」
ニコっとする航に有朋もつられ微笑むと、「贅沢な天気予報だね」と言って部屋を出て行く。

有朋がキッチンで食器を洗い終えると、扉が少し開いていた防音室から誰も寝てはならぬが聞こえてくる。
航が有朋のバイオリンの楽譜を見ながらピアノで演奏していた。
有朋はシンク前で目を閉じてその演奏を聴き入り、演奏が終るとエプロン姿のまま防音室へ入る。
航は「ほんと正反対のタイプで面白いね。将生なら飛んできてすぐセッションだよ」と微笑む。有朋は苦笑い。そしてもう一度誰も寝てはならぬを弾きながら、話し始める。
航「有朋は好きな人はいるの? あ、この好きはラブの方だから」
有朋「……いないかな。そういうの、何だか難しくて」
航「そう、……うん、そうかもね。僕も同感」
有朋「え? だって航はイケメンだし、ピアノ科は男子が少ないからモテモテでしょ」
航「僕は男女問わずだけど、気になる人を人間観察しちゃうクセがあるんだ。ちなみにウチの大学は感情豊かな子が多くて楽しいよ。声楽科の子なんて本能の赴くままだったりするし」
有朋は渚を想像し納得する。
航「だから僕は女性にあまり夢が無いというか、こじらせ男子かもね」
有朋、少し親近感が湧く。
航「で、そんな僕は今どんな気持ちなのかと言うと、トゥーランドット姫はこのアリアを聴いて、どんな気持ちだったのか知りたいなって事」
有朋「姫の気持ち? これは王子のアリアだよね」
航「そう、絶対落としたい女性に対して最後のチャンスで歌う、ある意味とっても怖いアリア。だけどさ、もし有朋がトゥーランドット姫なら、結婚したくないのにこの曲を贈られたら、どう心が動く? 拷問や自殺はこの曲の後の出来事だから、ひとまずそれは考えずにね」
有朋「……どう動く?……」
答えが出ない有朋。
航「楽譜には男側の記号はびっしり書いてあるけど、姫の気持ちは書いてないからね。そこは思うままに自由に想像すればいいんだ。それが君の誰も寝てはならぬになるんじゃないかな」
再び考え込む有朋に、航は「今夜は月が綺麗だね」と言い、もう1曲弾き始める。
【曲:ドビュッシー / 月の光】

シャワー上がりの有朋が寝室の窓を開けて夜空を見上げると、雲で空が覆われ月は見えない。有朋は思わず苦笑い。
将生「これが航の月の光? ひどいなぁ」
有朋は窓を開けたまま、ハミングで誰も寝てはならぬを歌う。夜風が寒く感じると窓を閉め、スマホのアラームを6時20分にセットしベッドに入る。そしてもし自分がトゥーランドット姫だったらと想像しながら眠りにつく。

○滝田音楽大学
実技の授業
有朋が練習室で誰も寝てはならぬを弾いている。まだ航が言っていた解釈に対して迷いがあり、楽譜に忠実ではあるがモヤモヤした気持ちで弾いている。すると先生から「迷いを感じるけど、どう演奏が変わっていくのか聴くのが楽しみになった。今までのあなたの演奏は完成形が読めたから」と言われ、何かをつかみかけた気がする。

パーティ本番。
○ホテル
黒のスーツ姿で決めた有朋、将生、有朋がパーティ会場に到着。
会場前ロビーにあるグランドピアノに航が座り、その横に有朋と将生がバイオリンを構えて立つ。その3人の姿は美しく、パーティ会場の女性スタッフたちがチラチラと見てしまう。航がラの鍵盤を叩き、有朋と将生が調弦。そして受付開始時間となり、3人は演奏を始める。すると客たちが周りに集まり出し人だかりが出来る。
会場前ロビーにはレコード会社勤務の仲川葉月が上司の大河内(35)を待っている。(葉月は将生のライブの時に、酔って「クラシックなんて無くても生きていける」と発言した女性)。葉月は待ちながらクラシックの生演奏を何気なく聴いていると、あるバイオリンソロ部分でハッとし、奏者の方へ行こうとする。そこにスタッフパスをぶら下げた大河内がやって来て葉月にもパスを渡すと、行列が出来ている受付業務を手伝うように指示を出す。
首からパスを掛けた葉月が受付にいるが、その場所から奏者たちは柱の陰となり、曲は聴こえるが姿は見えない。葉月は聴こえてくる音色から「もしかしたら、もしかしたら」と思いながら受付業務を続ける。そして開演間近になり来場者が落ち着くと、慌てて奏者の方へ行くが、そこはピアノと譜面台だけが残され、3人の姿は無かった。
残念そうに立っている葉月の元に、大河内が迎えに来る。すると葉月は「ずっと探していた人が居たかもしれないのに、大河内さんの意地悪!」と叫び、会場前ロビーから出て行く。

楽屋に戻った有朋、将生、航は、スーツから衣装に着替えている。
そして今日の演奏に手応えを感じた将生は、有朋と航に「3人でアンサンブルユニットを組んで活動しないか」と提案する。

ホテル1Fのエントラスでは、葉月がキョロキョロと辺りを見渡し、バイオリンを持った人がいないか、探している。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?