【創作】かわうそにまぶたをふさがれた

「宅次の父の葬式のときもそうだった。
　厚子は身長の喪服を着て、涙をこぼすというかたちではしゃいでいた。ほうっておくと、泣きながら、笑い出しそうな気がして、宅次は、
『おだつな』
とたしなめるところだった。
　おだつ、というのは、宅次の田舎の仙台あたりで使うことばで、調子づく、といった意味である。」
－－－向田邦子「かわうそ」『思い出トランプ』（新潮社、1983年）pp.17-18。

　いやねえ、私があの子と出会ったのは高校なんですよ。市で一番二番の高校に入学して、初めに出来たグループで何となく付き合っていたら50年ですよ。不思議なものですねえ。今は年に一度皆で集まれたらいい方で、いやそりゃあまあ皆それぞれ家庭がありますから。といっても”おばあちゃん”になった子もシングルになった子も様々ですけどね。

　当時からおとなしい子でしたよ。勉強も運動も一通りできて、特に出来ないことは無いけれど目立ったところもない感じ。童顔な子だったから男の子にはモテていたんじゃないですか。確か酒屋の息子と付き合ってたんじゃなかったかな。まあそれもちょっとの期間だけだったかな。自分のことを全然教えてくれないんですよ。聞かれないと口を開かないタイプだからね。自分のこともあまり話さないな。皆で集まった時も話を振られない限りは話に乗ってきてくれません。気を使わないことはないですけど、まあグループ全体でバランスは取れているんですかね。

　これも何か偶然なんでしょうかねえ、お互いおんなじ年に結婚したんですよ。相手の方には結婚式で一度、新居で一度会っただけですけど、いい人そうでした。おとなしくて優等生のあの子にぴったりのいい人、平均的よりちょっと稼いで来てくれそうで、いい父親になりそうな男の人でねえ。大抵の人にとっては申し分無い相手ですよ。おめでとう、なんて改まって伝えたら、あの子もこの時ばかりはうれしそうな誇らしいようなそんな顔をしていました。いいでしょう、なんて自慢するような素振りは、絶対に自分からは見せませんから。

　あの子の変化、いや変化といっても気づいているのは微々たるものでしょうですけど、そういうものを感じ始めたのはお互い子どもができて何年か経った頃でしたかね。そりゃあもちろん変化のタイミングなんて女なんですからいくつもあるわけですけど、子育ては特に大きなきっかけですよ。そりゃあそうですよ。自分の分身が出来て、その分身に自分の大半の時間をつぎ込むことになるわけですから。あの子はやっぱり真面目ですからね。昔から何でもこなしてきましたから、子育ても上手くやろうと頑張っていましたよ。ずいぶん悩んだ時期もあったみたいですけど、その時は二人で話したりね。そういう時はふたりで集まるんですよ。何だかんだお互いが親友というかね。

　ああ、変化の話ですよね。あの子、おとなしくて口数少ない子ですけど、学生時代は自発的なところもあったんですよ。卒業旅行は四大に通っている同士二人で行ったんですけど、誘ってくれたのはあの子からでしたし、ホテルやレストランを選んだりするのも進んでやってくれました。子どもができる前にも一度、二人で温泉に行きましたけど、言い出しっぺはあの子だったなあ。楽しいことはあの子から教えてもらったようなものですよ。時代柄ちょっと派手な遊びも二人でしたし、いいお取り寄せ情報なんかも教えてくれたりして。それがいつからかぱったり無くなりました。子育ての期間は長くて18年、とかだと思いますけど、それが落ち着いてしばらく経った今も、どこかに行こうとか何か食べようとかそういう話は一切登場しないです。多分強く誘ったらその気になってくれるのかもしれませんが、仕事を口実に断られてしまうので次第に誘うことも無くなりました。仕方ありませんね。

　あの子の楽しそうな声を聞けるタイミングが一つだけあるんです。何だと思います？災難があった時ですよ。地震、台風、火事、クーデター。詐欺、身内の不幸。なんでもいいですけど、自分や他人の日常がいっときおびやかされた際には決まって電話がかかってきます。自分では気づいていないんでしょうかね。ほとんどはしゃいでいますよ。本人には指摘できませんけど。でもね、やっぱり複雑ですよ。あの子には自分の上に起きた楽しみや嬉しさのために喜んで欲しい。自分や周りが設定した楽しみに向かって張り切って欲しい。それが一番健全じゃあないですか。

　かわうそっていますよね？かわうそは自分が捕らえた獲物をずらっと並べてざあっと眺める習性があるそうなんです。その様子を祭りに見立てて、「獺祭」って言葉ができたそうです。お祭りですよお祭り。昔の人は的確で悪趣味な名付けをするものですね。でも私ちょっと考えちゃうんです。その時かわうそはどんな顔をしているんでしょうか。楽しそうならいいですけど。大漁だね、なんて声を掛けたら、浮き立つはしゃぎ声で返事をするんでしょうか。ねえ。

（了）