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【#わたしと探求】 「『きちんと』を手放したい」。元教員の模索

2022年、教育と探求社にやってきた深町奈緒子。15年間の公立小学校の教員としての経験を生かし、探究学習に取り組む学校を支援しています。教育と探求社に入って半年後に開かれた先生との交流会で、「どこまで自分に『きちんと』を求めるか」と綴っていました。教員時代、生徒に恥じない「きちんと」を自ら課してきた深町が、そのあり方を問い始めました。その 葛藤とチャレンジを語ります。

2022年8月、中部エリアの導入校の先生が参加した「探究交流会」のテーマは「振り返る・自分を発見する・次へ繫げる」。深町奈緒子がシェアした気づきは、「どこまで自分にきちんとを求めるか」

「きちんとした人間」に憧れて

小さいころから、夢は学校の先生だった深町にとって、先生とは「きちんとした人間」でした。

深町:小学生のころから正義に憧れ、きちんとした人間になりたいという意思がはっきりとあった子どもでした。誰かを助けたり、指導したりする職業につけば、おのずと「きちんとした人間」になれると信じていたので、それなら学校の先生になろうと夢見ていました。

ある時、クラスの友だちに「奈緒子ちゃんは教えるのが上手だね」と言われたことが決め手となったことも、よく覚えています。「わかったわかった!」と喜ぶクラスメイトをみて、わたしには教える才能がある!と(笑)

実際に先生になって、学校で子どもたちと過ごす時間は本当に楽しくて、可愛いくて、日々変わっていく姿を見られる喜びが一番のモチベーションでした。

しかし教員になった初年度、教えるだけが先生の仕事ではなかった教育現場に、深町は愕然としたと言います。

深町:先生の仕事は、驚くほど膨大でした。そこには児童理解だったり、行事などを円滑に進める能力だったり、もちろん教材についても深い理解が必要で、もう自分の無力さをまざまざと感じたんです。私が描いてきた「きちんとした人間」に到達したくて、当時は研究もするし明日の授業のシミュレーションにも手を抜かずと、深夜までやっていました。

まずするべきは、自分の軸を作るよりも、先生としての「こうあるべき」を確立し、学校という世界に適応したかったのだと思います。

寄り添うほど減る「わたしの時間」

理想の「きちんとした先生」を目指してがむしゃらに経験を積みながらも、深町の中に疑問が生まれ始めます。

深町:各家庭の価値観の違いや、学校への要望に対応するため、追われることが続きました。私も同じ子を持つ親として理解に努め、何より子どもたちのために丁寧に対応しましたが、保護者に寄り添うほど、わたしの時間がどんどん減っていきました。自分も3人の子どもを育てていますが、そちらに目を向ける時間も心の余裕もなくなっていきました。

もう、どこまでやっても、1人で頑張っても問題は解決しない。最終的にはシステムの問題だと気がつき始めたのが数年前です。

学校に持ち込まれる問題は、児童福祉関係、子どもの家庭のこと、地域で起きたトラブルへの対処、裁判官の役目もすれば中学受験もあり、ゲームやSNSの使い方まで…いったい小学校教員というのはどこまでやるべきなんだろうと。

後ろめたさを振り切り新しい世界へ飛びだす

3人の子を育てながら教員を続けてきた深町は2021年、教員を辞めました。両親の病気が相次いだのを機に、一度学校から離れて、外から教育を俯瞰してみたいと、民間への転職を決断します。

深町:2021年に、子育て面で大きなサポートをしてくれていた私の両親が相次いで病気を患い、自分の働き方を大きく見直さなければいけなくなりました。仕事と家庭の両立に、さらに追われる自分の姿が想像できました。

指導力向上や教材研究などの、子どもたちの成長のための仕事は苦ではありませんでした。しかし、各家庭の価値観の違いや、地域や社会の学校への過度な期待、さらにいえば文科省が現場を見ずにどんどん下ろしてくる荷物に追われることは、納得し難いものでした。

私はこの苦労をやり切ったとしても、心から良かったと思えるだろうか? 家族との時間を減らしても本当にやりたいことだろうか? 悩んだ末、教師を辞めようと決意しました。

教員仲間が現場で踏ん張り、頑張っている中、自分だけ出ていくことに後ろめたさがあったのも事実です。

それでも最後に決心できたのは、教育と探求社に出会えたからだと思います。この会社の作りたい世界や、生徒たちに届けたい学びに心底共感できたからです。そのためだったら、わたしは苦労できるだろう、そう思えたことが、一番かもしれません。


社内の自己紹介ボードの深町奈緒子。これから探求していきたいことは、真の意味で「生きるチカラ」を育む授業づくりのサポートと、自分が没頭できる趣味探しと記した。

「きちんとさ」が、自分を苦しめていた

教育と探求社に転職した深町が、真っ先に衝撃を受けたのは、「失敗しながらでもいい、まずはやりたいようにやってみる」という職場の雰囲気でした。

深町:入社して間もないわたしは失敗を避けるべく、何から何まで上司に確認していましたが、「あなたが何をしたいのか、が大事。まずはやりたいようにやってみましょう!」と励まされるのです。わたしの強みや良さを信じてもらえていることが嬉しくて、エラー&ラーンでよいのだと、ものすごく衝撃を受けました。

あなたがそこにいるだけで素晴らしいという、安心できる職場の雰囲気のなかで、深町はこれまで、子どもを信じ切れていなかったのではという苦しさを吐露します。

深町:先生だったわたしは、無意識のうちに、子どもたちにも「きちんとさ」を求めていました。

目に見えて結果が欲しいという自分のエゴだったり、子どもの学びを保証しているんだという傲慢さですよね。結局、彼らが、これから変化して切り開いていくであろう未来を信じられなかった、そこに繋がるのかな。

でも今わたしは、好きなようにやってみることを、心地よく楽しめている。だからこそ「きちんとを手放したい」と、もがいている自分がいるのだと思います。

「大丈夫だよ、失敗してもいいんだよ」という安心があれば、自分自身を信じられるし、相手のことも信じられる。結果が悪かったとしても決して無意味ではないと、いまは思えます。

学校でお菓子、職員室でワイン
オーストラリアで見た、しあわせの価値観

人生の「きちんと」を追求してきた深町の中には、もうひとつの価値観がありました。大学の教育学部を卒業後、オーストラリアの公立小で教師アシスタントをしていた時の学校の風景です。

深町:小学生のころからひたすら夢を叶えるために生きてきて、教師になるための大学を選び、のちに夫となる彼も教員です。教員になる前に視野を広げなくてはまずいと思い立ち、卒業後の9ヶ月間をオーストラリアのアデレードという都市の公立小学校で日本語教師のアシスタントをしました。

そこで見たのは、衝撃の光景でした。整列も体育座りもなし(きちんとしてない!)、土足なのに教室の床にあぐらで座り混み(きたない!)、小学校なのに売店があり、休み時間に子どもたちがお菓子を買って食べている(ありえない!)。

授業の途中で、「誰々さん、ギターの時間だから行ってらっしゃい」と呼ばれた子がギター教室に行ったり、「誰々さん、歯医者の時間ですよ」と校内にある歯医者に出かけて行く。個人のアクティビティが自由にあることに驚きました。

極め付けは職員室に酒瓶があり、勤務後に先生方が飲みながら歓談している(笑)!

「みんなきちんと、みんな同じに」という日本的な学校概念が、ガラガラと音を立てて崩れ去ります。

深町:この国の人たちはとても幸せに暮らしていて、子どもたちも「人間として」成長していくのだということを、まざまざと見せられました。ホームステイで感じたことも同じく、みんな家庭のことを大事にして、自分たちで生活を楽しんでいました。小学校のあり方以上に、人の生き方を見せられ、自分の人生や価値観に大きく影響する、貴重な経験だったと今になって気が付きます。

だから今、人生にチャレンジできているのかもしれません。

「きちんと」を手放せましたか?

転職半年後の先生方との交流会で、深町は「きちんとを手放したい」という自分の思いを発見します。「きちんとしたい」と「きちんとさを手放したい」。2つの気持ちの狭間で揺れる深町のいま現在を聞きました。

深町:できれば子どもたちに失敗させたくない先生でした。何かを起こす前には熟慮して、十分な計画を立てるべきという価値観から、まだ抜け出せていませんね。

でも、教育と探求社のコーディネーターは、生徒がだらーっとしていても平気です。責めません。生徒が話を聞いてないように見えても、別のことをやっていても、じゃあ学んでいないかというと、そうではない。その子たちだってきっとどこかで心が動いているから、その可能性を信じるのが、探求社のスタンス。

わたしはこれまで教壇から、失敗してもいいんだよと口では言ってきたけれど、心の底では「あるべきゴール」を無自覚に設定していました。小学生はとくに、まずは型にはめる必要も感じていました。悪気のない善意からですが、枠からはみ出てしまうことをよしとせず、「よい人格」を育てようと苦しんでいたのです。

でも今は、ただただ純粋に挑戦することが素晴らしくて、結果はあとからついてくると心から思えます。染み込んだものを手放すことは大変です。でも、「きちんとさを手放す」ことがわたしの探求であり、チャレンジなのです。

「ママ、楽しそうだね!」

教育と探求社に転職して8ヶ月、新しい世界に身を置き、毎日が楽しいといいます。

深町:わたしは今、やりたいことをやれている! そんな自覚がありますし、毎日達成感を感じています。生徒たちに届けている学びは、コロナを経て新しい時代に必ずや必要な学びであることは、理屈ではなく実感しています。

時間的にも、気持ちにも余裕ができて、家族にも優しくなれるんです。娘に「ママ、楽しそうだね!」と言われてハッとしました。

なんだか偉そうに聞こえるかもしれませんが、「気を抜く」「余白を作る」ことは悪いことではなく、大事なことだと感じています。教員のときは余裕がないのに、大人の見本としてしっかりしたところを見せなくちゃと気負っていました。ところが、そうではなかった。いまは迷ったり、失敗してるところを見せられるようになり、自分が変わっていることを面白がっています。

いま手放そうとしている「きちんとさ」を、別の言葉で表すとしたら? 深町の口から、自分の価値観の変化を表す言葉が並びました。

深町:そうですね、着実、確実、正確さ、高い有効性、合理性、とか手放したいです。逆に大事にしたいものは、余裕や、余白とか、気楽さも大事です。あと無駄もすごく大事だなと。無駄が実は無駄じゃないんだよなんていうことは回り回ってわかってきました。

「怠ける」とか、「楽をする」も!(笑) 人生無駄なことはないと、いろんなとこで思うようになりました。

もっと、いろんな形で学校現場の役に立ちたい気持ちがあります。楽しく働く大人の姿を生徒たちにも我が子にも見せることが、目下のわたしの使命です。

【参考】
「働くこと」の意味に向き合う。探求型職場体験サポートブック「ジョブトライアル」
自ら課題を発見し、その解決を探究する「ソーシャルチェンジ」
探究学習はじめの一歩!【実例】探究学習のテーマ16種
「探究学習」の最先端 教育と探求社の総合パンフレット
教員向けイベント情報

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