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あたりまえの毎日は、あたりまえじゃない。

「100日後に死ぬワニ」は、今のこの状況に突き刺さる内容だった。


Twitterで流れてきたのを見たことがあるけど、奇抜なタイトルに対してゆるかわなキャラクターだな、ぐらいに思っていた。

ネットニュースを通して「避けられない運命、なにげない日常」を描いているものと知って、まとめサイトで一読。

捉え方がは様々だと思うけど、当たり前だと思っていることがある日突然当たり前じゃなくなる、というメッセージを感じた。

爆発的な人気の理由には諸説あるようだけど、コロナウイルスで世界がこんな状況になっている今だからこそ、人の心を掴んだのではないか、とも推測できる。

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100日前は、12月11日。

私が日本を飛び立ったのが12月7日だから、たぶんその頃はオーストラリアのケアンズあたりに居たと思う。

これから始まる海外生活にワクワクし、オーストラリアの森林火災もどこか遠くの国のニュースのように思っていた。

毎日が新しい連続で、青い海と豊かな自然に触れあえるオーストラリアを、文字通り”満喫”していた。


しかし、ケアンズあたりの湿地帯を抜けてシドニーに向けて南下するにつれて、乾燥していることもあり、森林火災の被害を目の当たりにするようになった。

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シドニーからほど近い場所でも、海と山に囲まれた地域が火の海に巻き込まれて、船で脱出するニュースを見て心が痛んだ。

森林火災がひどい地域を運転していた時も、煙で前が見えなくなる事態にも巻き込まれて、ニュースで見ていた事態がすぐそこまで迫ってきていることを感じた。

幸い、森林火災に巻き込まれることなく、42日間のロードトリップを終えることができた。

同じオーストラリア大陸のどこかでは生活が脅かされている人もいるという現実を、心のどこかでは信じられていなかった。
森林火災の影響で旅程を変更せざるを得ないこともあったけど、火災に巻き込まれることなく旅を続けられるありがたさを実感した。

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フィリピンに到着して少しして、中国発のヤバい新型ウイルスが大流行しているらしい、ということを知った。

私たちの留学先は、首都であり空港のあるマニラから6時間も北上しないといけない地域だったので人の出入りも少なく、危機感は無かった。

けれど次第に中国での感染者や死者が増えていき、日本でも流行し始めたというニュースを見て、事態の深刻さに気付き始めた。


そして、フィリピン政府は中国との航路を断ち、中国人の入国も禁止された。


語学学校には中国人が7割以上だったし、クラスメイトも武漢の隣の省から来ている子だったから、自分ごとのように感じるようになっていた。

出国1週間前に差し掛かったころ、フィリピンと台湾の便も停止するというニュースが入ってきた。

クラスメイトの台湾の子は「日本のほうが感染者が多いのになんで台湾が制限されるの!」と憤っていたし、泣き出してしまうほど動揺している子もいた。

フィリピン留学に来ている子たちは20歳前後の子が多かったから、異国の地で1人で留学しているだけでも心細いのに、輪をかけてコロナ騒動が起こってしまい、気の毒で仕方なかった。


そんな感じで、常にコロナを気にしながらのフィリピン留学となった。


ちなみに、留学期間を2ヶ月から1ヶ月に変更したのは、授業内容や生活環境を含めて「早めにカナダに行った方が自分たちの為になりそう」と判断してのことだった。

しかしその後フィリピン国内では感染者が急増して、語学学校からの外出は一切禁止になったり、3月15日からマニラが封鎖されることも発表された。

もし予定通り2ヶ月間留学をしていたら、3月14日の出国だったからなんとかなったとは思うけど、1ヶ月で切り上げておいてよかったと思う。

情報をすぐに入手して、すぐに動ける判断力と行動力が大切であることを実感した。
留学期間を短縮したおかげでパニックを逃れられたのは結果論だけど、その時の自分の意志を大切に行動して良かったと思った。

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カナダに入国した2月15日時点では感染者は少なかったし、中国便も制限していたから、カナダに来てコロナの脅威から逃れられたと思っていた。

格安航空券を探せば台湾や韓国乗り継ぎの便もあったけど、心配性の私はバンクーバー直行便を購入してカナダへ入国した。

Uberのドライバーや、エアビーのホストと話しても、「アジアでコロナは大変なことになってるねー」くらいのテンションだった。

部屋も決まり、4月からの仕事もゲットできてこれから始まるカナダライフがすごく楽しみだった。

仕事が始まるまでの3月中はインプットの期間にしよう!と、図書館に行ったり、カルガリーの街を探索したり、なんてことない日常を送っていた。


しかし、徐々に増えてきたカナダでの感染者数。


いつの間にか、感染者が1,000人を超えてしまった。(3月21日現在)

コメント 2020-03-22 063901

3月12日に首相夫人が感染してからわずか1週間で、入国制限、飲食店などの各種施設を営業停止、アメリカとの国境を封鎖、とカナダ国内の環境はガラリと変わった。

最後にカルガリーの街を散策したのは3月14日。この時は飲食店も営業していて、コロナの脅威はあるものの、変わりない日常を過ごしていた。

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今は不要不急の外出を禁じられているので、ほとんど家の中で生活している。

カナダの冬は寒いので、カナダ人にとっては家での過ごし方は心得ているようで、学校が休校になったホームステイ先の子供たちも毎日元気に過ごしている。


私たちも、こんなことになるとは知らずに購入したドリップコーヒーセットを使ってコーヒーを淹れる練習をしたり、料理をつくったり、ブログを書いたりしている。

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幸いなことに、すぐに貯金が底を尽きるわけではないので焦りは少ない。


けど、1年間という限られたワーホリビザが、コロナのせいで食いつぶされてしまっていることは悲しい。


自宅待機でできることを楽しもうとは思っていても、あれやっておけばよかった、あそこ行きたかった、と思うことがたくさんある。


つい先週から始まった図書館での無料ESLレッスンや、ミートアップも全部なくなってしまった。

カナダで人気のアイスホッケーの試合も見る予定だったし、恐竜博物館にも行くつもりだったのに。


こんな状況になるなんて、1ヶ月前にはみじんも想像してなかった。


「今度行こう」「今度やろう」と思っていたことが、全てできなくなってしまった。


当たり前に明日や来週、翌月を迎えられると思っていたけど、確実なことなんて無いということを、身をもって実感している。

やりたいと思ったらその時にやるべき。
家の中でも楽しめる方法を知っておくと良い。

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日本を出てから、ハプニングの連続だ。


ワーホリに行かずに、会社も辞めずに、今も働き続けてたらこんなハプニングを経験することも貯金を切り崩して生活こともなかったと思う。

傍から見たら「ワーホリに行ったおかげで大変なことに巻き込まれちゃってるね…」と思われるかもしれないけど、今のところは後悔してない。


カナダで当たり前が当たり前じゃなくなる経験をしたからこそ、思い立ったら即行動することの大切さを実感している。

ワーホリに行くことを決めたのは去年の2月で入籍直後だったけど、もしあと1年貯金してから行こうなんて思ってたら、きっとカナダに来れていなかったと思う。


この3ヶ月間で身をもって感じていること。

全てはタイミング。
思い立ったら行動することが大事。直感に従って生きてみてもいい。
当たり前の日々に感謝する。


いずれはコロナも治まるだろうし、10年後に振り返ったら「散々だったけど、一生に一度の経験だったよね」なんて、きっと笑い話になると思う。

だから、今の状況をどうサバイブするか楽しんでみようと思います。


でも10年後生きてるという保証なんて無いので、まずは毎日の当たり前に感謝して、日々の小さな幸せを噛みしめて生きていこうと思っています。

人生いろいろありますが、今しかできないことに挑戦していきます♩